フッと笑いかけてくれるたび。
胸の奥がきゅうっと苦しくなって。
甘くほろ苦い気持ちでいっぱいになる。
でも……。
あれ以来、政宗は私に触れようとしない。
表面上何事もなかったかのように、いつも通りに振舞っているけど。
確実に何かが変わってしまった。
以前は政宗が傍にいるだけで、ふわりと心の奥が温かくなっていたのに。
こうして傍にいても、もうそれが感じられない。
傍にいればいるほど、心の距離を感じてしまう。
政宗の心が他の誰かのものだと気付いてしまったから……。
政宗も、一人で行動するようになった。
とは言え、近所を散歩したり、私の書斎で本を読んだりするくらいだけど。
傍にいてもその心に触れることが出来ない。
こんなに恋しいのに、焦がれているのに、その想いが届かなくて。
ずっとその姿を捉えていたいのに。
でも、見つめていると一層辛くなるから。
私は大学の課題をさっさと済ませるために、大学の図書館へ行くことにした。
私は逃げている。
それでも、胸の奥で吹き荒れている激情に耐えられそうもなかった。
「政宗。私、大学の課題を終わらせないといけないの。うちにも資料はあるんだけど、大学じゃないと手に入らない資料もあるから、大学の図書館に行って来るね。図書館にはIDカードがないと入れないから一緒に行けないんだ、ゴメンね」
「IDカードって何だ?」
「通行手形みたいなものだよ」
「Oh, I see. Securityが厳しいんだな」
「うん。何日か通えば資料は揃うと思うんだ。その間、政宗一人になっちゃうから、お金と家の鍵を渡しておくね。好きなところに出かけていいよ。帰りが遅くなるかも知れないし。でも、夜8時までには帰るね。それから、ノートパソコンは重たいから持って行かないから、暇だったら使っていていいよ。使い方はわかる?」
「Ah〜、大体はな。この間見せてくれただろ?」
「一応説明書を置いておくから、これで遊んでて。音楽も入ってるから聞いてみるといいよ。あ、それも説明しておくね」
「Right on」
私は政宗に、PCの使い方を一通り教え、音楽再生ソフトの使い方を教えた。
念のため、家の住所と私の携帯電話番号を書いたメモも渡す。
電話機の使い方を教えると、私は大学へ行く準備をした。
「あいつに気をつけろよ」
玄関まで見送りに来た政宗が気遣わしげに私に声をかけた。
「来栖君?」
「ああ、そうだ」
私は小さく笑った。
「大丈夫だよ。政宗があんなパフォーマンスをした後でも言い寄って来るとは思えない。ああ、もう、噂が広まってたらどうしよう」
溜息を吐くと、政宗の表情も翳る。
「悪ぃ。あんたにはあんたの生活があったな。すぐに消えてしまう俺があんなことをするべきじゃなかった……」
『消えてしまう……』
その言葉が出るたびに、胸の奥が苦しくなって、うまく呼吸が出来なくなる。
こんなにも好きになってしまったのに。
私はその想いを告げることすら出来ず。
政宗を永遠に失ってしまう。
でも、私はすでに政宗の温もりを失ってしまった。
もう、これ以上、きっと何も失うものなどない。
私は小さく首を横に振った。
「ううん。いいの。政宗は助けてくれただけだから。気にしなくていいよ。じゃあ行って来るね」
「ああ。飯を作って待っていてやるよ」
「ありがとう」
私は手を振ると、外に出た。
遙が扉の向こうに消えて、俺は溜息を吐いた。
あの日から……。
俺が遙を抱こうとしてしまったあの日から、遙の様子がおかしい。
時折じっと俺を見つめて、そして、すっと目を逸らす。
その瞳には色濃く哀しみが映っていた。
大学の課題を済ませるから、とノートパソコンに向かう遙をそっとしておこうと、奥の部屋で本を読んでいたが、遙が気になって仕方がない。
そっと様子を伺うと、ノートパソコンにヘッドフォンをつけ、音楽を聴きながら、時折ぼんやりとしている。
薄っすらと目に涙が浮かび、そっと指でそれを拭うと、またキーボードを打ち出す。
抱き締めて、何がそんなに哀しいのか聞いて、その哀しみを拭い去ってやりたいのに。
抱き締めることが出来ない。
抱き締めたらきっと止まらなくなる。
それに……。
あの日、遙は初めて俺の腕を振りほどいて逃げてしまった。
腕の中に閉じ込めてどこにもやりたくないのに……。
きっと遙は俺を避けるから。
日に日に想いは募るばかりなのに。
俺と遙の間にある溝は日に日に深くなっていく。
俺達は、一体どこで間違えてしまったんだ……?
俺は、遙に教えてもらったコーヒーを淹れて、ノートパソコンを立ち上げた。
遙が目に涙を浮かべる時、必ずノートパソコンを開いていたから。
そこに何か手がかりがあるのではないかと思った。
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