Cendrillon -3-

『美紀は知ってたのかなあ。教えてくれれば良かったのに』

遙は、まだ前の男に未練がある……?

やっと遙の心を手に入れたと思ったのに。
まだ前の男を想っていることが許せなくて。
遙を誰にも渡したくなくて。
俺は衝動的に遙を抱き寄せて唇を奪った。


俺以外の男を想うなんて、絶対に許せねぇ。


「俺だけを見て、俺だけを感じろ」


僅かに唇を離して、吐息がかかる距離で言って、また唇を奪う。
遙は堪えきれないというように、俺の胸に手を付き、顔を逸らした。
露になった首筋に口付けを落とし、軽く吸い上げると、遙が切なげな溜息を漏らす。

「ダメ、政宗っ……弁天様が嫉妬するよ……」
「手を繋いだら、別れさせられるんだろ?俺達は手を繋いでいるわけじゃねぇ」
「でも……ぁっ……」

遙の耳の後ろに口付けると、遙は鼻にかかった甘い声を上げ、俺のシャツをきゅっと掴み震えた。

「ダメだよ……私、政宗と別れたくない……」
「遙……?」

遙は俺にしがみついたまま息を乱し震えている。

「政宗が好きだから……。今まで出会った誰よりも愛してるから……。弁天様の嫉妬なんかで別れたくない……」

遙の首筋に埋めていた顔を離し、じっと 遙を見つめると、 遙は甘えるように俺の胸に頬を寄せた。

「前の彼氏のことじゃないの。もし、彼と別れなかったら、私、政宗に出会えなかったから。私、知らなかったから…。もし、知らないで、政宗と手を繋いで弁天様の前を歩いてしまったら……って思ったの。私、政宗を失いたくない……」

乱れた息を整えながら、途切れ途切れに話す遙が可愛らしくて。
自分の早とちりに内心苦笑いをしながら。
俺はもう一度遙をきつく抱き締め、その首筋に顔を埋めた。
仄かに花の香りがする。

「政宗、ダメだって……」
「Just hold still(じっとしてろ)。あと少しだけ……」

女特有の柔らかく細い身体がしっくり腕の中に馴染んで、愛しさがこみ上げてくる。
遙と出会って間もないのに。
こうして抱き締めたのも、僅か数日のことなのに。
まるで、ずっと昔から、遙がこうして俺の腕の中にいたような気さえしてくる。

「ねぇ……弁天様が嫉妬するから、そろそろ行こう?」
「そうだな。明日……」
「ん?」

俺の胸に顔を埋めていた遙が顔を上げる。
その頬を指先でそっとなぞりながら俺は続けた。

「明日、もう一度、ここに来ねぇか?縁結びの神様なんだろ?」

遙の心を手に入れたのに。
遙はこうして俺の腕の中にいるのに。

それでも、俺が元の世界に帰ってしまったら。
遙は俺のことを忘れてしまうのでは。
他の誰かと恋に落ちて、俺と過ごした日々の記憶はそいつに塗り替えられていくのでは。

こんなものは迷信だって分かっている。
こんなもので遙の心を縛ることは出来ない。
それでも、俺は縋りたかった。

遙の心が欲しい……。

遙は花の綻ぶような笑みを見せた。

「うん、いいよ。明日は少し海で遊びたいな」
「ああ、いいぜ」

もう一度軽く唇にkissを落とすと、身体を離し、俺達は歩き出した。
ずっと手を繋いでいたから。
すぐそばを歩く遙に触れられないのがもどかしくて。
そんな気持ちが遙にも伝わったのか。
俺達は足早に弁財天の前を通り過ぎた。

弁財天を通り過ぎて、階段へと差し掛かって、俺達はまた手を繋いだ。
階段を下り、江ノ島を出ると、桟橋をゆっくりと歩く。
遙は、先ほどのように思いつめた表情で、時折俯く。
俺は小さく笑って、遙の手をぎゅっと握り締めた。

「I told you. 無理しなくていい」
「でも……」
「お前が嫌なら、今日はこのまま帰ればいい。お前が傍にいてくれればそれでいいんだ」

ベッドの上で遙を抱き締めて。
果たして自分が抑えられるか、そんな自信はなかったが。
こんなに思いつめた遙を無理矢理抱くなんて俺には出来ない。
俺が欲しかったのは遙の心だから。

遙は俯いたまま小さく呟いた。

「明日、またここに来たいし……。まだ政宗と湘南で遊びたいし……」

段々と声が小さくなっていく。
夜目にも分かるほどに遙は頬を染め。
そして、俺の背に腕を回して俺に抱きつき。
消え入りそうな声で囁いた。

「早く、人目のないところで政宗に抱き締めて欲しいから……」

余程恥ずかしいのか、顔を見られないように俺の胸に顔を埋める遙が可愛くて。
俺はそっと抱き締めその頭を撫でた。

「All right. As you wish. (いいぜ。お前の望むままに)」


ずっと焦がれていた遙が。
同じように俺を焦がれていることが嬉しくて。
信じられないほどの幸福感に胸が満たされていく。

そっと遙の額に口付けると、俺は遙をそっと引き離し、また手を繋いでゆっくりと歩き出した。


桟橋を渡ると、海沿いの道を歩いて行く。
左手には漆黒の海が広がっている。
その海の水面に月明かりが仄白く輝いていた。

「来た道を戻らないのか?」

遙が、来た道と反対方面へ歩いていくので、ふと疑問に思いそう口にすると、遙はぴくりと身体を震わせ、再び耳まで薄っすらと紅く染まっていく。

「国道134号線……この道沿いに、泊まれるところが色々あるって聞いたことがあるから…。行ったことはないんだけど……」
「そうか、宿があるのか」
「ああ、でもどうしよう……」

遙は手を頬に当て、はぁっと溜息をついた。

「どうした?」

宿に着いても、ただ寄り添って眠るだけなら、今までと何ら変わりがないのに。
何故遙はそこまで気に病むのか。

「お前が嫌なら、俺は何もしないから、そんなに思いつめるんじゃねぇ」
「うん。政宗が無理矢理そういうことをしないのは知ってるよ。ああ、でも……」

遙は言いよどみ、視線を彷徨わせて立ち止まる。

「どうした?」

俺はもう一度尋ね、遙をそっと抱き寄せた。
遙は俺の首に両腕を回し、唇を俺の耳元に寄せて消え入りそうな声で囁いた。

「だって……その宿ってどれもmake loveするためのところなんだよ?」


瞳を潤ませて。
頬を熟れた林檎のように染め。
困ったように溜息をつく遙は堪らなく可愛らしくて。
堪らず俺は遙をきつく抱き締めた。


今まで俺が抱いてきた女のほとんどは、こういうことには慣れていて。
男を悦ばせる術を熟知していて。
恥らって見せても、それは男を悦ばせるため、計算された演技だったから。
俺もそういう女達を戯れに抱いてきていたから。
本気で恥じらい、戸惑う遙の反応が新鮮で。
可愛らしくて。
愛しくて。
言葉にならない。


遙はびくりと身体を震わせ、恐る恐る俺を見上げた。

「そんな顔をするな。照れるお前が可愛いと思っただけだ。ここで襲ったりしねぇよ」
「もう、びっくりした……」
「そんなに嫌なら帰るか?お前の家からここまでそんなに時間はかからなかったはずだ。別に明日じゃなくてもいい。また来ればいいじゃねぇか」
「うん、そうなんだけどね、でも……」

遙が恥ずかしそうに、俺の胸に顔を埋める。

「朝起きて、政宗が隣りにいて。窓の外から海が見えたら素敵かなって……。政宗と結ばれてから、初めての朝だから…。特別な朝だから……」

俺が今日という日を大切にしたいように。
一生に一度の特別な日として愛しみたいというように。
遙も大切にしたいということが痛いほど伝わってきて。
胸の奥が熱くなる。

「俺にとっても、今日は一生忘れられない特別な日だ。ずっとお前の心が欲しかったから。お前の望みは何だって叶えてやりたい。お前が望むなら、ずっと抱き締めて眠って。一緒に海を眺めよう」
「ありがとう、政宗……」


愛してる……。


遙はじっと俺を見上げてそう囁くと、そっと唇を重ねてきた。
酷く甘い口付けに、身体の芯が痺れたようになる。

愛しくて。
大切にしたいのに。
むくむくと沸きあがる劣情に内心舌打ちをする。
でも、遙を傷つけたくないから。
ずっと触れていたいのに、これ以上触れていられなくて。
俺はそっと遙の身体を引き離した。

「さあ、行くか」
「うん」


遙は覚悟を決めたはずなのに。
まだ、時折溜息が漏れる。
恥ずかしいのか、先ほどまでのように指を絡ませるように手を繋いでこない。
俺は俺で、これ以上遙に触れていたら、理性が保てそうになくて。
俺もまた、遙の手を強く握ることが出来なかった。
prev next
しおりを挟む
top