この夜が終わる前に -2-

小十郎の屋敷の警備は手薄だった。
自分のいない時に紗夜歌の周りに男を置きたくないとの小十郎の計らいであろう。
小十郎がどれほど紗夜歌を大切にしているのか伺える。
門番も見当たらない。おそらくくのいちに警備を任せている……。
政宗が馬を繋いでいると、音もなく女が現れた。

「政宗様……」
「楓か……」

楓は元々政宗直属のくのいちだった。
紗夜歌がこちらの世界にやって来た時からずっと紗夜歌の監視と世話をしていた。
折角打ち解けたというのと、紗夜歌の護衛のために、政宗は小十郎の屋敷に移る紗夜歌に傍仕えとして楓をつけたのである。

「お方様はお休みです。御用ならわたくしが承ります」

お方様という呼び名に政宗の心はきりきりと痛んだ。
そうだ。紗夜歌はすでに小十郎のものなのだ。
それはわかっている。
でも……。

「どけ……」

楓を押し退け、政宗は降りしきる雨の中、屋敷の裏手、一際見事な庭へと足を踏み入れた。
小十郎はこの庭を気に入っており、二人の寝室もこの庭に面している。
逸る気持ちから足早になる。
寝室の板戸の隙間から明かりが漏れていた。
紗夜歌はまだ起きている。

「なりませぬ、政宗様!!」

再び楓が政宗の前に立ちはだかった。
政宗はすがるように楓を見つめた。
その切羽詰った視線に楓ははっと息を呑んだ。

「頼む、楓…。紗夜歌をもう一度だけ…」

楓はかつて政宗と紗夜歌をずっと見守ってきた。
政宗がどれだけ紗夜歌を愛していたのか、誰よりも知っていた。
今尚政宗は紗夜歌を愛している。
その苦しそうな、切ない瞳に楓は動けなくなる。

いつも凛々しい、余裕の表情はそこにはない。
それほどまでに政宗は追い詰められているのか。

楓は震える声でもう一度だけ政宗を諌めた。

「なりませぬ。許されぬことです。もう、後には引き返せなくなります。お方様だけではなく、小十郎様も、そして何より政宗様がお苦しみになります!!」
「それでも俺は!!……楓、俺を止めるな」

政宗の搾り出すような声に、心が締め付けられる。
頬を伝う雨の雫がまるで政宗の涙のように見えた。
立ち尽くす楓の脇を政宗は通り過ぎて行った。

「許せ、楓……」
「政宗様……」

楓は両手で顔を覆った。
お方様、小十郎様。
政宗様を止められなかったわたくしをお許し下さい……。
それでもわたくしはあのようにお苦しみになる政宗様を見ていられなかったのです…。
どうか今夜だけは…。
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