覚醒 -1-

まさかボイストレーニングまでしっかりする部活だと思っていなかった。
私は政宗先輩に呼ばれ、放課後部室に来ていた。
政宗先輩の長い指がキーボードの鍵盤を叩く。

「一番低い音と高い音を出してみろ」

言われるままに、キーボードに合わせて声を出す。
私の音色は少し高い。
元々ソプラノだ。

「hum……。低音も高音もいい声だが少し弱いな。もう少し声張らないとギターに負けちまう」

佐助先輩が頷く。

「俺ら自分の音に妥協しないからさ。演奏聴いたでしょ?竜の旦那も凶悪なギター弾くからね。俺だって負けたくないし」
「やっぱハードロックは無理なんじゃねぇか?」

元親先輩がくるくるとドラムスティックを回しながら呟く。

「トレーニングすればセリーヌ・ディオンみたいな歌い方出来そうな感じだけどよ。今のままの作風だったら独眼竜が歌う方がいい」
「いい声だけどな。ABBAとかBanglesみたいな曲を書けってか。Sigh。ギターの出番があまりねぇ。紗夜歌。もう一度この音出してみろ」

政宗先輩がまたキーを叩く。
とても高い音。
地声では音域ぎりぎりの音だけど、背筋を伸ばして腹筋を使って声を出すと、今までになく張りのある声が出た。
政宗先輩が口笛を吹く。

「やっぱりな。初めて聴いた時に思ったが、お前、今まで合唱かなんかやってたんじゃねぇか?素人にそういう腹筋の使い方は出来ねぇ。今の声、最高だったぜ」

言われて私は目を伏せた。

合唱ではない。
声楽を中学の頃学んでいたから。
芸大の先生について、本格的にクラシックを歌っていたし、私立のミッション系音楽学校で聖歌隊に入っていた。

私は、もう、クラシックを捨てた。
もう、ああいう風には歌わない。
誰かに強制されるんじゃなくて、自由に自分の歌を歌いたかった。
だから、バンドをやりたかった。
どうしても。

「以前、少しやっていましたけど…。でも、もういいんです…」

私が呟くと、それまで椅子に座ってじっと私のボイストレーニングを見つめていた元就先輩が立ち上がった。

「独眼竜。我に代われ」

元就先輩は政宗先輩が抗議の声を上げたのをさらりと無視をして、キーボードの前から押しのけた。

「この音から上はボイスチェンジをしないと出ないな?これは命令だ。背くことは許さん。これから先、全て裏声で出せるだけの声量で音を出してみせよ。出来ぬというならそなたの入部は取り消す」
「そんな!!」

もうクラシックは捨てたのに。
またああいう歌い方をしなければならないなんて。

先生について発声練習をしていたことを思い出す。
元就先輩の厳しい横顔と先生の顔がダブって見えた。

キーボードの音に合わせて、言われるままに声を出していく。
もう、こういうのは止めたはずなのに。
今まで積んで来たトレーニングの成果は簡単には隠せるものではなかった。
声が内側から溢れてくる。
どういう風に身体を使えば声が出るのか、考えなくても身体が覚えている。
声が部室の中に響き渡る。
廊下まで聞こえているはずだ。

先輩たちは驚いたように目を瞠っていた。
次のキーを元就先輩が叩いた時に、私は発声を止めた。
元就先輩は怪訝そうに私を見る。

「どうした?そなたの音色はソプラノだ。この程度の音を出すのは造作もないはずだ」
「歌いたくありません。どうしてですか?何でロックにこんなクラシックの発声が必要なんですか?」

思わず本音を口にすると、部屋の空気が凍りついた。
元就先輩が怖い顔をして私を睨み付ける。
背筋を冷たい汗が流れ落ちていくのが分かった。
それでも、私は歌いたくなくて。
じっと元就先輩から視線を逸らさずに見つめ返した。

「理由が必要か……。ならば、教えてやる」

そのまま、元就先輩は私に背を向け、部室の隅にあるラックからdatを取り出した。
そして、ファイルの中から譜面のようなものを取り出す。
後ろから元親先輩が元就先輩の手元を覗き込んだ。

「おっ!これ、前にお蔵入りになった曲じゃねぇか」
「煩い!オクラと言うな!!」
「あれかよ……」

政宗先輩が苦りきった表情を浮かべている。

「どうしたんですか?」

私は政宗先輩の傍に行って、小声で尋ねた。

「ああ。前にライブ用の曲を元就が書いてきたんだが…。何つーか、あれは俺に対しての嫌がらせだぜ。俺はマイケル・キスクじゃねぇってんだよ。どっちかっつーと、セバスチャン・バックの方が向いてる。なのに、ギリギリまで練習したのに、結局元就が気に入らなくてお蔵入りだ」

ああ、要するに、高音で音を張り続けるジャーマン・メタルじゃなくて、低音から高音までの盛り上がりで聴かせるアメリカンハードロックの方がいいってことか。
そう言えば、私が入部の時に歌ったのもハードロックだった。

「ふん。そなたの歌唱力がないのが悪い」
「んだとっ!?」

元就先輩に掴みかかろうとした政宗先輩を佐助先輩が後ろから羽交い絞めにして止めた。

「まあまあ。あれは旦那に向いてないだけだって。でもさ、確かにあの曲だったら紗夜歌ちゃんに向いてるかもね。ある意味、すごい凶悪な曲に仕上がると思うよ」

佐助先輩がそう言うと、政宗先輩は少し考えるような表情になって、やがて身体から力を抜いた。

「Shit!仕方がねぇ。じゃあ、俺たちも譜面出すか」

先輩たちはバッグの中から譜面の入ったファイルを取り出すと、それを広げた。
prev next
しおりを挟む
top