Bitter Sweet Chocolat -6-

そのまま小十郎と、言葉をほとんど交わすことなく、私達は家に着いた。
部屋で着替えて、ココアとラム酒を紙袋に入れ、政宗の屋敷の門をくぐる。
玄関まで政宗は出迎えてくれた。

「Honey, I was waiting for you!小十郎に聞いたぜ。危うく飲み会に連れて行かれるところだったって」
「うん、でも、何とか帰って来れたよ。ご飯作ってくれたんだって?ありがとう」
「No problem. お前と一緒に飯を食うの、久々だもんな」

政宗は嬉しそうに笑った。

「今年はケーキはないけど、食後にキッチンを借りられるかな?」
「別にいいぜ。何をくれるんだ?」
「それは秘密」

教えろよ〜とまとわりつく政宗を笑ってはぐらかす。
廊下まで小十郎が様子を見に来ていた。
小十郎と目が合う。
小十郎は、ただ、微笑ましそうに優しく笑っていた。
ついさっき見せた激情などまるで嘘だったかのように。
それが少し寂しくて、小十郎をじっと見つめると、小十郎は視線から逃れるように背を向け、部屋へと入っていった。

「仄香、小十郎がどうかしたか?」

私の視線に気付いたのか、政宗が私をぐいと引き寄せ訊ねる。

「ううん、何でもない」

私は政宗の腕から逃れ、政宗の屋敷へ上がった。


ダイニングに入ると、カレーの香りがする。
それも、インドカレーの。

「今日、寒かっただろ?温まる食べ物がいいだろうと思ってな」

政宗は、カレーを何種類も皿に盛って運んできた。

「チキンカレーとシーフードカレーとサグ・パニール。あとは、タンドリーチキンもどきな。お前、好きだろ?」
「わぁ、ありがとう!政宗、器用だね!」
「独眼竜は伊達じゃねぇ、you see?」

ご飯はサフランライスが炊かれている。
本当に、政宗が、手間隙かけて作ったことが伝わってくる。

政宗の後ろから、小十郎がやって来て、溜息を吐いた。

「政宗様。このメニューでは野菜不足です」
「サグ・パニールにほうれん草がたくさん入ってるから十分だ」
「偏りすぎです。今、サラダを作って参りますから」

小十郎はキッチンへ消えていった。

政宗と二人、小十郎が戻ってくるのを、おしゃべりをしながら待つ。
政宗と話すと、主に、経済や政治の話になる。
小十郎に帝王学をみっちり叩き込まれている政宗の話は飽きない。
読みが鋭くて、本当に頭のいい子だと思う。
学校の勉強から学ぶことが出来ない、色々なことを政宗は知っている。

小さい頃は、私が教えることの方が多かったのに、最近では政宗から学ぶことの方が多い。

じっと政宗を見つめていると、政宗はニヤリと笑った。

「仄香、俺に惚れたか?」

またいつもの調子でからかっているに違いない。
確かに政宗のことは好きだけど。
政宗の戯れに付き合って、捨てられたら悲しい。
私もくすりと笑った。

「政宗のことは小さい頃から好きだよ?可愛い弟みたいなものだもの。こんなに立派に育ってくれて、お姉さんは嬉しいよ」
「Shit!!子供扱いすんじゃねぇ!!」

子犬がじゃれあうように、政宗と戯れていると、小十郎がサラダを持ってやってきた。
そして、食卓に着く。
小十郎も経済の話に加わり、和やかに食事をしていく。

政宗と小十郎のやり取りを聞いていると、本当に次元が違うと思い知らされる。
もっと広い視野で、世界の流れを捉えている。
私が質問をすると、小十郎は、その背景を、歴史を遡って説明してくれる。
大学でこんな授業をしてくれれば良かったのに、と思うほどに、経済の流れがパズルのピースがぴたりとはまるように説明されていく。
小十郎が提示する問題に、大学受験で培った、世界史や政治経済の知識を引っ張り出して、答えを引き出していくと、小十郎が褒めてくれる。
政宗も満足そうにニヤリと笑う。

「お前をうちの会社に入れなかったのは本当に誤算だな」

食後のお茶を飲みながら、政宗が呟いた。

「無理矢理にでも浚っちまえば良かったかな」
「どこから?」
「就職の面接会場」
「あはは!無理無理!それ、大ひんしゅくだよ!」

私はひとしきり笑った後、真面目な顔つきになって政宗を見つめた。

「政宗の会社に入ったら、小十郎や政宗の七光りだって陰口叩かれるような気がして。だから、自分の力でやって行きたくて、今の会社を受けたの。私、後悔はしてないよ」
「But……」
「ごめんね、政宗。もう少し、頑張らせて。じゃあ、私、キッチン借りるね」

私は席を立ち、紙袋を持ってキッチンに入った。

私が政宗の会社を受けなかったことに、政宗が不満を抱いているのは知っている。
でも、お隣のお姉さんだからって贔屓はされたくなかった。
これは私の我侭だけど。
きっと、政宗の会社に入った方が、ある意味のびのびとやりたい仕事が出来るのかも知れないけれど。
何の後ろ盾もない世界で、自分がどれだけ評価されるのか、試してみたかった。

ココアを溶かして、少し濃い目に作る。
砂糖は控えめにして、ラム酒を少し注いで、味見をすると、私はココアを3つのマグに注いでトレイに乗せて、ダイニングに向かった。

「はい、政宗。バレンタインのチョコレート。今年はケーキじゃなくて、ごめんね」
「手抜き…」
「何か言った?」
「Nothing」

文句を言いながらも、目が嬉しそうに細められているのでそれが冗談だと分かる。

「手作りは政宗と小十郎にしかあげないんだからね」
「Thanks!本命チョコだな」
「はいはい、そうだね」
「Sweet!!I love ya!!」

政宗は私に抱きつき、頬にキスをする。
政宗のスキンシップは日常茶飯事だったから、もう慣れた。
きっと、このキスにも深い意味はないんだから。

暖を取るようにして、マグカップを両手で包み込み、政宗がココアを飲む姿が可愛らしくて笑みを誘う。

「お前、本当に俺の好み、分かってるよな」
「そう?」

ちらりと小十郎を見遣ると、小十郎はフッと口元を綻ばせて、軽く頭を振った。
見つけてくれたのは小十郎だけど。
こんなに政宗が喜んでいるから黙っていた方がよさそうだった。

「別にチョコレートが嫌いなわけじゃないんだぜ?甘ったるいのが嫌なんだ。カカオの味は結構好きだぜ。このラム、いい香りするよな」
「今年は何個チョコをもらったの?」
「数えてねぇ。お前からもらえたら、俺はそれでいいんだ」

まるで、恋人に対するような言葉にドキリとする。
そして、政宗との年の差を考えるとどうしようもなく寂しくなる。
社会人になれば、年の差なんてあまり関係なくなるけど、政宗が社会に出るまであと3年ある。
その頃、私はすでに27歳。
男の27歳と女の27歳は大きな違いだ。
政宗がスタートラインに立った22歳の時、私はもう、その先の人生をどう生きるか真剣に考えなくてはならない年頃だ。

私と政宗は付き合えない……。

それに、政宗が私に向ける好意は、お隣のお姉さんに向けられた慕情なのか、真剣な恋心なのか、私には分からなかった。

私は曖昧に微笑んで、ココアを飲んだ。

政宗にご馳走になったので、私はキッチンで後片付けをしていた。
政宗がキッチンに入ってくる。

「手伝うぜ」
「いいよ。私が押しかけたんだし」

お皿を食洗機に入れていると、政宗が私を後ろからぎゅっと抱き締めた。
そして、首筋に顔を埋める。
普段から甘えるように、こうして抱きついてくることはあったけれど。
何だかいつもと様子が違う。

政宗は深く息を吸って吐くと、私の耳元で低く囁いた。

「お前、煙草変えた?いつもと違う香りがする」
「え……?」
「この煙草……小十郎と同じ煙草の香りだ」

政宗の声は、低く、真剣で。
私を抱き締める腕にぐっと力が篭る。

小十郎に抱き締められた時のことを思い出す。
ドキドキして。
でも、安心して。
ずっと小十郎の腕の中にいてもいいと思った。

政宗は……?

政宗のことは好きだけど。
ずっとそばにいたいと思うけど。
小十郎の腕の中にいる時に感じる安心感ではなく。
心がざわつく。

いつか、決断を下さなければ、という思いに駆られる。

初詣の時から時々考えていた。

私は、政宗のことが好きだけれど。

でも……。
本当は、小十郎と幸せになりたいんじゃないの……?

政宗と恋するのが辛くて。
小十郎のそばは安心出来るから。

ああ、自分で、自分の心が分からない。

「なあ、仄香……」
「ずっと一緒に車に乗ってたから香りが移ったんだよ」

私は政宗の腕に手をそっと重ねた。
次の瞬間、政宗は私の身体を反転させると、私の頭を引き寄せ。
気付いたら、政宗に唇を奪われていた。

少し甘い、チョコレートの味がする。

私の……ファーストキスだった。
あれほど焦がれていた政宗からの。

でも、私は、政宗の気持ちを聞いていない。
政宗の気持ちが分からない。

これが、ただの子供じみた嫉妬なのか。
私を本気で恋しく思ってくれている故の嫉妬なのか。

荒々しく唇を奪われて言葉を発することも出来ず。
心臓は煩いくらいにドキドキと脈打ち。
上手く呼吸が出来ない。

これが政宗の本当の気持ちだったら嬉しいという気持ちと。
もし、ただの子供じみた嫉妬だったら悲しいという気持ちと。
もし、これが政宗の本当の気持ちだったら、私はこの年の差をどう克服していかなくてはいけないのかという不安と。
ない交ぜになって涙がこみ上げてくる。

政宗のセーターをきゅっと握り締め、涙を堪えると。
政宗はハッとしたように唇を離して、私の頬に手を添えた。

「お前、泣いて……?」
「ゴメン、政宗。私、帰るね」

不安でいっぱいで、政宗の顔を見ることすら出来ず。
キスをした理由が怖くて聞けず。
私は、政宗の腕から逃れ、パタパタと走って部屋を出て行った。

玄関を出ると、私はぐいと手首を引かれた。

「おい、どうした?」

振り返ると、小十郎が煙草を咥えて、驚いたように私を見ていた。
小十郎の顔を見ると、一気に緊張が解けて、堪えていた涙が零れる。
小十郎は目を瞠り、煙草を揉み消すと、そっと私を抱き締め、背中を撫でてくれた。

「政宗様と何かあったのか?」

暫く経って、小十郎がようやく口を開いた。

「政宗にキスされちゃった……ファーストキスだったんだよ?」

小十郎の身体が一瞬強張る。

「良かったじゃねぇか」
「良くないよ…。だって、私、政宗の気持ち、聞いてないもの」

小十郎は呆れたように溜息を吐いた。

「だったら、今から戻って聞いて来い」
「ヤダ。だってだって……」

私は小十郎に抱きついたまま、途切れ途切れに、不安に思っている事を小十郎に話した。
小十郎は相槌を打ちながら、背中をぽんぽんと撫でてくれる。
ひとしきり話すと、小十郎はまた溜息を吐いた。

「お前ぇの不安も分かる。確かに政宗様はお若く、また少々子供っぽいところもある。だがな、政宗様はそんなに器の小せぇ男じゃねぇ」
「でもでも!それだけじゃないの!……政宗に抱き締められるより、小十郎にこうして抱き締められる方が、安心するって……おかしいよね?私、自分で自分が分からないよ。政宗のことがずっとずっと好きだったのに。小十郎の腕の中の方が安心するなんて……。仮に政宗が私のことを好きだとしても、私、今のままじゃ、政宗を受け入れられないよ……」

小十郎の身体が強張る。

「……っ!!それ以上言うんじゃねぇ……。今度こそ、お前ぇを奪いたくなっちまう」

きつく小十郎に身体を抱き締められ。
また、安心感と高揚感に身体が包まれていく。
しばらく、抱き締めた後、深く吐息を吐いて、小十郎は身体を離した。

「家まで送る。ゆっくり考えろ。政宗様のことは、俺が何とかする。時間がかかってもいいから、お前ぇはお前ぇの気持ちに答えを出せ。いいな?」

私の気持ち…?
私の気持ちって何だろう…。

きっと政宗とは気まずくなって、今までみたいには話せない。
小十郎の想いに気付いた以上、こうして小十郎に会ったら、きっと小十郎に惹かれてしまう。
でも、相変わらず政宗が好きという気持ちは変わらなくて。

本当に私に答えが出せるの…?

小十郎の言葉に胸の奥が苦しくなる。
私はしばらく小十郎を見上げていたが、やがてようやく頷いた。

「うん、わかった」

小十郎は私を元気付けるように私の手を握り、そして私を家のドアの前まで送ってくれた。

その後ろ姿を政宗が密かに見送っていたとは知らず。


バレンタインのほろ苦くほんのり甘いチョコは。
ほろ苦く甘い恋の幕開けだと、その時、私は気付かなかった。


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