Bitter Sweet Chocolat -5-

私も煙草を燻らせながら、窓の外のネオンを眺めていた。
銀座、数寄屋橋の交差点近くのエルメスのビルが目を引く。
小十郎は低くくつくつと笑った。

「まだバーキンが欲しいのか?」
「ち、違うよ!!そんな高いもの、もらえないもん」

年が明けて、お店も通常営業が始まった頃に、小十郎にからかうように、「銀座のエルメスに行くか?」と問われて、私は慌てて首を横に振ったのだった。

小十郎は、まだくつくつと笑っている。
からかわれているのが悔しくて。
私は頬を膨らませて、まるで子供のように、窓に張り付いて、外を眺めた。

途中で、狭い道に入っていって、そこの路肩のパーキングエリアに小十郎は駐車した。

「どこに行くの?」
「お前ぇ、聞いたことねぇか?有名なチョコレート専門店が銀座にあることを」
「あるようなないような」
「ついて来い」

車を出ると、小十郎は後部座席から、紙袋を取り出し、そして、私の手を握って歩き出した。

小路に面した、小さなお店の中に小十郎は入っていった。
1階には、所狭しとチョコレートが並んでいる。
どれも美味しそうだけど。
やっぱり、手作りしてあげたかったな…。

じっとチョコレートを眺めていると、小十郎が私の腕を引く。

「おい、仄香。ちょっと、これを見てみろ」

小十郎に腕を引かれてそちらを見ると、ココアのパウダーがあった。
箱を手に取って、説明を読む。
カカオの含有量がかなり高い、ビターな味が売りらしい。
政宗は甘いのが苦手だから、こういうのがいいかも。

「ケーキを作る時間はないだろうが、これでも一応『手作り』だろう?ダークラムは買って車に積んである。政宗様もきっとお喜びになるだろう」

ハッと小十郎を見上げると、小十郎は優しげに微笑んでいた。

「小十郎、もしかして、調べてくれたの?」
「さあな」

小十郎はフッと笑ったままはぐらかした。

きっと、小十郎は、私が忙しくて、政宗に今年はチョコレートを作れないことを知っていたから。
私がそれを気に病むんじゃないかと思って、調べてくれていたに違いない。
それが、嬉しくて。
私は思わず小十郎にぎゅっと抱きついた。

「小十郎、ありがとう……」

小十郎は何も言わず、私の頭をそっと撫でてくれる。

いつも私のそばでこうして支えてくれて。
私の心は政宗にあることを昔から知っているのに。
なのに、何故こんなに優しいの…?


私……。
小十郎を好きになればよかったのかな……?

こんなに大切にされて。
私の心は別の男の人にあるのに。


じっと小十郎を見上げると、小十郎は、私の頬をすっと撫で、私をそっと引き離した。

「2階が喫茶室になっている。そこで少し休憩して帰らねぇか?」
「うん」

私は、先ほどのココアパウダーの会計を済ませ、小十郎と一緒に2階へ上がって行った。

「メニューにさっきのココアがあるぜ。味見のために、頼んでみたらどうだ?」
「あ、本当だ。じゃあ、これにしようかな。小十郎は?」
「俺も同じのでいい。お前ぇに勧めた手前、味見しないわけにはいかねぇからな。政宗様のためにも」

本当に小十郎は主思いだと思う。
もしかして、私に協力してくれるのは政宗のため?

でも、小十郎の笑顔は優しくて。
そんなのじゃない。
政宗のためだとか。
そういうのじゃない。
ただ、私達が、みんな幸せに笑っていることを願ってくれているのだと思う。

注文をして、ウェイトレスが下がると、小十郎は先ほどの紙袋の中から何か取り出した。
それはCartierの小さな紙袋だった。

「今日はバレンタインだからな。これをお前ぇに」
「え?でも…。女の子が男の人にチョコをあげる日でしょう?」
「日本ではな。欧米では、男が女に贈り物をする日だ」

小十郎がすっと、私の前にエンジ色のCartierの紙袋を押しやる。

「開けてみろ」

私は言われるがままに紙袋の中を覗いた。
細長い長方形の包みが入っている。
もちろん、その包みもCartierのロゴが入っていて、リボンにもロゴが入っている懲りようだ。

名だたる高級ブランドの中でも、少しマイナーなCartierを選んだところが小十郎らしかった。

包みを解いていく。
箱のふたを開けると、薔薇色のカルティエのロゴがあしらわれた、シルバーの小さなボールペンが入っていた。

「わぁ、これ可愛い。カルティエのロゴのチャームがついてる」
「男性向けの万年筆が有名なブランドだが、それならお前ぇでも持てるだろう?去年の新作だから、もう品切れかと思って焦ったぜ」

モンブランやカルティエは少しごつい、男性向けの文房具を作っているイメージがあったけれど、こんなに可愛らしいボールペンもあるんだ。
私は一目でそれに魅了された。

「ありがとう。大切に使うね」

嬉しくて、にっこりと笑って小十郎にお礼を言うと、小十郎も嬉しそうに笑う。

「お前ぇがそんなに喜ぶのなら、それにして正解だな」

手帳をバッグから取り出して、今日のスケジュールに書き込むのを、微笑ましそうに小十郎は見ている。
このボールペン、小さいけれど、安定感があってとても書きやすい。

「来年は手帳にするか?」
「え!?いいよ、そんなに気を遣わなくても」
「別に気を遣ってるわけじゃねぇ。お前ぇが喜ぶ顔が見たいだけだ。お前ぇももうペーペーの社会人ではねぇし、そろそろ小物には気を遣いたいだろう?たかだか1000円程度のボールペンじゃあみっともねぇ」
「うん、そうなんだけどね」

自分の給料じゃ、到底カルティエなんて手が届かない。
まあ、文具程度の小物なら何とか手は届くけど。

いともたやすくこういう贈り物を贈る小十郎がどうしようもなく大人に見える。

注文をしたココアが届いたので、二人でおしゃべりをしながら、ゆっくりと飲んだ。
ほろ苦くて、濃厚で。
大人向けの味だった。
どこか小十郎を思わせる。

「これなら政宗様のお気に召すだろう。よかったな。チョコレートが見つかって」
「うん、小十郎のお陰だよ」

本当に小十郎のお陰だと思う。
もう、間に合わないと思ったチョコレートも手に入って。
バレンタインの贈り物までもらって。
どうお礼をすればいいのか分からない。

そう言うと、小十郎は気にするな、と言って優しく笑ってくれた。


でも……。
私は、小十郎に何かしてあげたいよ……。


「政宗様がお待ちだろう。きっとお前ぇは昼休み返上でチョコレートを買いに行ってただろうし、朝もあの時間だ。朝飯食ってねぇだろう?」
「うん……」
「政宗様が心配しておられた。お前ぇのために夕食を作って待っているそうだから、これを飲んだら行くぞ。お前ぇのお袋さんには連絡済だから、部屋に荷物を置いて着替えたらすぐにうちへ来い」
「え?政宗が?」
「ああ。今朝のことを少し反省しておられたようだ。チョコレートも諦めておられたようだから、きっとお喜びになる」
「政宗……」

政宗にも大切にされて。
小十郎にも大切にされて。

私はどちらに報いればいいの?
わからないよ……。

カップに口をつけて、ココアを飲み干す。
私の心の中と同じくらい、少し甘く、そしてほろ苦かった。

「さあ、店を出て、家に帰るか」

小十郎は会計を済ませると、私の手を引き、店を出た。

車に乗り込むと、小十郎はエンジンをかけて、アイドリングさせたまま、煙草をポケットから取り出し、ゆっくりと吸い始めた。

「流石に2月になると、東京も冷えるな」
「そうだね……」

そのまま、小十郎は車を発進させることもなく、ゆっくりと紫煙を燻らせる。
きっと、小十郎は、私のために奔走して。
少し疲れているのかも知れない。
きっと、今、やっと一息つけたんだ。

そう思うと、申し訳なくて。
自分ばかり小十郎の世話になって。
バレンタインなのに、私は何もしてあげられなくて。

小十郎の恩に報いたい……。

「私……小十郎に迷惑かけてばかりだね……」

小十郎は、私をちらりと見遣ると、口元をフッと綻ばせて笑った。

「別に迷惑だなんて思っちゃいねぇ」
「でも……。バレンタインなのに、私は小十郎に何もあげられなくて。むしろ贈り物までもらって。なのに、私はそれを返せない。ホワイトデーって日本だけでしょう?しかも男の人が女の子にお返しする日でしょう?私……小十郎に何かお返しがしたいけど、何も思いつかないの。私があげられそうなものは、小十郎、全部持ってそうだもの」

小十郎が小物は全てダンヒルで、文房具はモンブランで統一していることを私は知っている。
メンズブランドの帝王だ。
とても、駆け出しの社会人の私の手に届くような代物ではない。

「お前ぇの喜ぶ顔が見られれば、俺はそれで構わねぇ」

そう言って、私の頭をぽんぽんと撫でてくれる。

「でも……。私、こんなに大切にされて、それをただ当然のように受け止められるほど、もう、子供じゃない。私、小十郎にきちんとお返しがしたい」

小十郎をじっと見つめて言うと、小十郎は笑みを消し、煙草の火を揉み消した。

「俺が欲しくて、でも手に入らなくて……お前ぇだけが与えることが出来るもの……あるぜ」
「え……?」

問い返すと、小十郎はじっと私を見つめ。
そして、手を伸ばして、私の頬をそっと撫でた。
小十郎の視線は、熱く、甘く。
初詣の日に見せたものと同じものだ。

小十郎の視線に絡め取られたかのように、私も小十郎から視線を外せない。
胸がドキドキと高鳴り、頬に血が上っていくのを感じる。

小十郎は長い腕を伸ばし、そして私を抱き寄せた。

「嫌だったら、突き放せ」

耳元で低く囁かれて、ドキリとする。
小十郎の腕に抱き締められて、ドキドキとすると同時に、何故か酷く甘い安堵感が胸の奥に広がっていく。
小十郎は、私の額に口付けを落とし。
口付けが、こめかみに、瞼に、頬に落ちていく。
それが何だか酷く心地が良くて。
まるで、お酒に酔ったように、身体が熱くなって、力が抜けていく。

抱き寄せる腕の力強さと。
小十郎の吐息と。
柔らかな唇の感触に五感を支配される。

小十郎は、私の頬を大きな手で包み、吐息のかかる距離で見つめると、すっと目を伏せた。

キスをされる、と思ったけれど。
小十郎の腕に抱かれるのがあまりに心地よくて。
小十郎の想いが痛いほど伝わってきて。
拒むことなんて出来なくて。
私も目を閉じた。

唇に落ちると思っていた口付けは。
私の唇の端にそっと落ちた。

驚いて、思わず目を瞠ると、少し身体を離して、小十郎が笑みを浮かべて私を見ている。

「お前ぇの心を手に入れるまでは、唇は奪わねぇ。安心しろ」
「小十郎……」
「お前ぇの政宗様への想いは知っている。長年抱いてきた想いをそう簡単に捨てられねぇことは、俺がよく知っている。だから、今のは俺の我侭だ。お前ぇにどうこうして欲しいわけじゃねぇ。悪かったな」

小十郎いつも通りの兄の顔になり、ぽんぽんと頭を撫でて、その手が離れていく。
私は思わず、その手を取った。

「謝らないで。私……嫌じゃなかった……から……。むしろ……」

小十郎の顔を見られなくて、私が視線を落としてそう言うと、再び、今度はきつく抱き締められた。

「それ以上言うんじゃねぇ。歯止めが利かなくなる」

押し殺した低い声で耳元で囁かれ。
その声には、いつもの余裕がなく。
心臓が煩いくらいにドキドキと脈打つ。

小十郎は暫く私の首筋に顔を埋めて、ぎゅっと私を抱き締めていたが、やがて、そっと身体を離して、私の方を見ようとせずに、車を発進させた。

小十郎に抱き締められた感触が身体にまざまざと残っている。
嫌じゃなかった。
むしろ心地よくて。
ずっと小十郎の腕の中にいたいと思ってしまった。
私が好きなのは政宗のはずなのに。

抱き締められた感触が少しずつ薄れていくのが何だか寂しくて。
私はそっと自分自身を抱き締めるようにして、車のドアに身体をもたれかけさせて、流れる景色を眺めていた。
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