Single Malt -3-

大学時代、彼女しか連れて来た事のない、穴場のダイニングバーに俺は仄香ちゃんを連れて来た。
松濤に割りと近い、渋谷の喧騒から少し離れた所にある。
柔らかな間接照明に照らされた、全個室のダイニングバー。
個室は繭を思わせるような風雅な造りで、二人っきりでのんびりと寛ぐには最高の場所だ。
相当何かを思い詰めているみたいだし、話をゆっくり聞くにはこういう所の方がいいだろう。

それに…。
二人っきりでこういう所に来るという事で、少しでも俺の想いに気付いて欲しかった。

いつでもそばで見守っている俺の想いに…。

「素敵な所ですね。渋谷にこんな所があるなんて知りませんでした」

個室に通されて、仄香ちゃんはようやく少し顔を綻ばせて笑みを見せた。

「仄香ちゃんだから特別ね」

いつものようにおどけて笑うと、仄香ちゃんも小さく笑う。

「またまた。みんなにそう言ってるんでしょう?」

普段が普段だから誤解されていても仕方ない。
自分でも八方美人なのは分かっている。
でも、ここは本当に特別な人としか来ないんだよ?

でも、そう言って警戒されてしまったらもう近付けなくなる。
チームメイトのよしみでそばにいられる間に落とせばいい。
まだ時間はたっぷりある。

「あはっ、バレた?でも内緒ね。ここ、俺のお気に入りのお店だから」
「やっぱり…。うん、でも、猿飛君が気に入るのも分かる気がします。とても落ち着きますね」

やっと肩の力を抜いたように仄香ちゃんは微笑んだ。

「先に飲み物頼もうか。何がいい?」

メニューを広げるて見せる。
女の子なら甘いカクテルがいいかなと思いページを繰ると、仄香ちゃんの眉が微かに動いたのを俺は見逃さなかった。
視線を辿ると、年代物のスコッチが並んでいる。
この店の売りだ。

「へぇ、仄香ちゃん、スコッチが好きなんだ。何か意外」
「いえっ、あの、あまり飲んだ事はないんですけど…。何度か飲みに連れて行ってもらった事があって思い出して…」

一緒にスコッチを飲むなんて、彼氏くらいしか思い当たらない。
それもかなり趣味のいい。
相当いい男と付き合っていたんだと見当を付ける。
まあ、俺様だって負けてないけど。

「ふうん。彼氏?」

軽く問い掛けると仄香ちゃんはぶんぶんと首を横に振った。

「違いますって。お隣の幼馴染みのお兄さんです。成人したんだから、飲むならいい酒の味を覚えろって何度か連れて行ってもらっただけですよ。私、モテませんから」
「その人と付き合ってないの?」
「はい。本当に実の兄みたいなものですから」

そう言って、仄香ちゃんは笑った。
でも、それは無理したような笑みだった。
すごく淋しそうな。

もしかしたら、最近塞ぎ込んでいたのはそのせいなのかも知れない。
早くもライバル出現か。
覚悟はしてたけど、かなり手強そうだ。
でも、こうして俺について来た時点で、俺にとってかなり有利だ。
寂しさの隙に付け込む事になるけど、手段なんて関係ない。
俺は愛想良く尋ねた。

「そうなんだ。で、仄香ちゃんは何が好きなの?」
「アイラモルト。スモーキーなのが好きです」

随分渋い好みに内心舌を巻く。
飲みやすいスペイサイドモルトあたりに見当を付けていた俺は驚いた。
相当そのお隣のお兄さんとやらに仕込まれている。

「了解。ラガヴーリンでいい?」
「はい、それ大好きです。21年ものありますか?」

さらりと年代までリクエストされて思わずたじろぎそうになって堪えた。

「あるよ。ロックとストレートどっちがいい?」
「ストレートで」

…この子、かなり通だ…!!
ラガヴーリンの21年物をストレートで頼むなんて…!
21年ものって限定品だよ!?
知ってて頼んでるの!?

俺はどっちかというとロックの方が好きだ。
ストレートはキツ過ぎる。
でも、彼女の手前、ロックで頼む訳にはいかなかった。
俺はウェイターを呼んだ。

「ラガヴーリン21年物とクラガンモア12年物をストレートで」
「かしこまりました」

ウェイターが下がっていって、仄香ちゃんは少しそわそわしだした。

「あの…煙草吸ってもいいですか?」

申し訳なさそうに言う彼女に俺は微笑みかけた。

「いいよ。俺も吸うし」

彼女は軽く目を瞠った。

「え!?猿飛君、煙草吸うんですか?意外…」
「そう?」
「うん、だって…」

言い澱んで仄香ちゃんははにかんだように目を逸らした。

「なあに?気になるじゃない。だって何なのさ?」

じっと見つめると、少し頬を染めて、ようやく彼女は口を開いた。

「だって、猿飛君、いつもいい香りがするから…」

本当に僅かに薫る程度にしか香水を付けていないのに、仄香ちゃんが気付いていて嬉しくなる。
それだけ俺達はそばにいるという事だ。
俺は笑みを深めた。

「へぇ、気付いてたんだ。それだけ俺達が近くにいるって事だね。普通は気付かないよ?」
「もう、からかわないで下さい!」

ニヤニヤと笑って言うと、照れ隠しに彼女は煙草に火を点けようとする。
咄嗟に俺はライターを取り出し、火を点けてあげた。

「ありがとう…」

まだ恥ずかしそうに目を伏せる彼女の頭に手を伸ばしてそっと撫でた。
また仄香ちゃんは僅かに睫毛を震わせ、嬉しいような切ないような表情を浮かべる。

やっぱりお隣のお兄さんか…。
手強そうだ…。

そんな事を思いながら俺も煙草に火を点けた。


彼女の煙草からメンソールの香りがする。
そっと窺うと、1mgの弱い煙草だっていう事に気付き、女の子らしいなあと少し安心する。
何だかここに来てから調子を狂わされっ放しだったから、ようやく俺は落ち着いて来た。

煙草をくゆらせ始めて間もなくスコッチが運ばれて来た。
俺が一口飲もうとすると、彼女が怪訝そうに首を傾げるので俺は思わず手を止めた。

あ、もしかして乾杯をしなかったから?

そう思ってグラスを仄香ちゃんの方に寄せると、彼女はカトラリーケースの中からデザートスプーンを取り出した。
そして、お冷やをほんの少し掬うと、数滴自分のグラスに垂らす。

「何してるの?」

思わず俺は尋ねてしまった。
彼女は少し驚いたように目を瞠った。

「あれ?こうして飲むものじゃないんですか?ストレートで飲むより、少しだけ水を垂らすと香りが引き立って甘味も出るって教えてもらったんですけど。ヤダ、どうしよう。恥ずかしい…。小十郎の馬鹿…」
「いや、多分その小十郎って人の言ってる事は合ってるよ…」

いつもロックで飲むから知らなかった。
俺とした事が。
小十郎って男、相当出来る…!
ちょっと荷が勝ち過ぎるかも知れない…。

「そう?良かった!」

そんな俺の心中に気付かず、彼女は嬉しそうに笑うと、俺のグラスにも水を数滴垂らした。

「乾杯」

カツンとグラスを合わせるとゆっくりと味わうようにスコッチを飲み、やっとリラックスしたように微笑んだ。

「何だか久し振り。やっぱり美味しいな…。メンソールの煙草じゃ勿体なくなっちゃう」
「そう?じゃあ、俺の吸う?」

彼女に煙草を差し出すと慌てたように首を横に振った。

「あ、いえ、そうじゃなくて…」
「どうしたの?」

俺は尋ねた事をすぐに後悔する事になった。

「いいスコッチを飲んでるから、折角なら葉巻を吸いたいなと思ったの」

仄香ちゃん、そのお兄さんって堅気の人ですか!?
ヤのつく職業の人じゃないよね!?
マフィアみたいだよ!?

ヤのつく職業と思い当たって、10日前に仄香ちゃんを迎えに来た男の事を思い出した。
鋭い眼光。
コワもての顔立ち。
上品な雰囲気を纏っていたけど、普通のサラリーマンには到底見えなかった。
身なりは良過ぎたし。

あれがお隣のお兄さんか…!!

手ぇ出したら痛い目見るかも知れない…。

仄香ちゃんは、俺の気持ちに気付かず、また煙草に火を点け、スコッチを飲むと横を向いて煙をふうっと吐いた。
そして、俺に視線を移し、ニコリと笑う。

「折角こんなに素敵なお店だから、今度は葉巻を持って一緒に来ましょうね。私、モテないからこうして誘ってもらえて嬉しいです」

いや、君に憧れてる男はたくさんいるよ?
毛利主任だって君を狙ってるよ?
だけどね、君のお隣のお兄さんの教育の賜物で、俺達には手が届かないと思い知らされるんだよ!
繊細な男心を分かって!

折角彼女がその気になってくれたのに、俺は素直になれなかった。

めげるな、猿飛佐助!
彼女の相談に乗っていればそのうちチャンスは…あるかも知れないよ?

俺は挫けそうな心を隠していつものように明るい笑顔を浮かべた。



⇒Next Chapter
prev next
しおりを挟む
top