Hearts Broken Even -1-

スコッチに合いそうな料理をいくつか注文する。
いつものようにビーフのギネス煮込みを頼むと、仄香ちゃんは興味津津にメニューを眺めた。

「ギネスビールで牛肉を煮込むんですか?」
「うん、そうだよ。すごく柔らかくて美味しいんだ。きっと気に入ると思うな」
「わぁ、楽しみです!美味しかったら今度作ってあげなきゃ」

『作ってあげる』という言葉に思わず反応してしまう。
仄香ちゃんには料理を作ってあげるような男がいる。
もしかしたら、ここの所塞ぎ込んでいたのは仕事の事で悩んでいたのかも知れないけど、その男かお隣のお兄さんの事で悩んでいたのかも知れない。

俺は言葉を探してまたスコッチを飲んだ。
ふわりと薫る僅かにスモーキーな香りに喉が焼けるような感覚。
ここで切り出し方を誤ったら取り返しがつかなくなるというプレッシャーで、やけに胃に染みた。

また一口スコッチを飲むと、俺はにっこりと笑った。

「残念。仄香ちゃんには手料理を作ってあげるような人がいるんだ〜。俺様ショック。彼氏に妬けちゃう」

彼女はびっくりしたように目を丸くすると、首をぶんぶんと振って必死に否定した。

「違いますって!私、彼氏なんていませんから!」
「そうなの?」
「はい」

確かに毎日帰りが遅くて、休日は寝ていたいなんて言ってる仄香ちゃんだから、なかなか恋と仕事を両立させるのは難しいかも知れない。

例えば…。
俺みたいにいつもそばにいて支えてあげられるポジションにいた方が上手くいく。

何だ。
やっぱり状況的に俺の方が有利だ。

問題は何故彼女がそんなに塞ぎ込んでいたかだ。
力になれれば、一歩彼女の心に踏み込める。
さっき、『男』だと思わず思ったけど、もしかしたら家族かも知れない。
直感がそれを否定していたけど、俺はまずそれを確かめる事にした。

「家族に作ってあげるの?」

そう問い掛けると、仄香ちゃんは少し顔を強張らせて視線を彷徨わせた。

「家族…じゃないです…」

そう言って小さく溜め息を吐く。

やっぱり男だったか、と納得すると同時に心の奥がやけにひんやりと冷えていく。

まだ誰のものでもない彼女を自分のものにするチャンスだと心の声が告げる。

視線を落としてしまった彼女の小さな手をそっと握って俺は優しく尋ねた。

「ずっと塞ぎ込んでいたでしょ?その人の事なんじゃないの?俺で良かったら聞いてあげるからさ。言ってごらん?」

仄香ちゃんは少し驚いたように俺の手を見つめた後、振り払う事もせず、じっと俺の瞳を見つめた。
黒目がちの瞳に縋るような色が揺れている。

「でも、プライベートな事ですし、会社の人に話すのはちょっと…」
「俺は仄香ちゃんをただの会社の同僚だなんて思ってないよ。悩んでいるんだったら、それがプライベートな事でも力になりたい。話しにくかったら、俺の事、名前で呼んでよ。敬語も止めて。俺達、今会社にいるんじゃないんだよ?同い年だし、大学の友達に話すつもりで話してごらんよ」

ずっと普通に話して欲しいと思ってた。
でも、会社では彼女は年齢に関係なく敬語で話すから、なかなか切り出せなかった。

仄香ちゃんの瞳にはまだ困惑の色が揺れていたが、やがてようやく口を開いた。

「佐助君、聞いてくれる…?」

初めて聞く彼女のくだけた話し方は、年齢相応に少し幼かった。

守ってあげたい…。

俺は微笑み頷いた。


仄香ちゃんは深い溜め息を吐いて、言葉を探しているようだった。
スコッチをくいっと呷り、煙草に火を点ける。

「うーん、やっぱり食事が終わってからでいい?あんまり気持ちのいい話じゃないから。折角の料理が台無しになっちゃうもの」
「いーよ。いくらでも付き合ってあげる。明日は休みだし、一晩中愚痴に付き合ってあげてもいいよ」

頭をくしゃりと撫でると、仄香ちゃんは少し眩しそうに懐かしそうに俺を見つめて、切なくなるような笑みを口許に浮かべた。

薄々分かってた。
君が俺を見て微笑んだんじゃないって事は。
それでも俺は構わなかったんだよ。
いつか、その瞳に俺を映してくれる日が来るって信じてたから。
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