出来ればお互いスーツなんかじゃなくて、リラックスした私服でこうして食事をしたかったと思う。
でも、俺達が付き合う事になったら、やっぱりこうしてスーツで会社帰りにデートする事になるんだと思うとこういうのも悪くないと思い直す。
「佐助君って食事のセンスもいいね。どれもスコッチにぴったりだよ」
「そう?ありがと。六本木にビール専門のバーがあるから今度一緒に行ってみる?」
「ビールはちょっと苦手かな…。苦くて…」
「仄香ちゃん、ラガーしか飲んだ事ないでしょ?」
会社の飲み会でビールに付合わされて浮かない顔をしていた事を思い出す。
いわゆる生ビールだ。
日本のビールは基本的にラガーだから、それが合わないんじゃないかと思う。
「ラガー?」
「うん。発泡酒とかあるけどさ、基本的に日本のビールはラガービールの味だからね。世界にはもっとたくさんのビールがあるよ」
「あ、聞いた事ある。私、ギネスなら飲めるんだ」
「そうなの?じゃあ、アンバーエールとか好きかもね。ベルギーのビールにはフルーツの香りが付けられてるのもあるし。ドイツのヴァイツェンとかも好きなんじゃないかな。香ばしい香りがするから」
「佐助君、色々知ってるね。すごーい」
感心したように見つめられて心の奥がくすぐったくなっていく。
お隣のお兄さんに色々仕込まれてきたみたいだけど、まだ俺色に染める余地がある。
いつか、俺色に染めて奪ってやる。
そう思うと楽しみになってきた。
そんな事を話しながら追加でダブルのスコッチを頼み、食事を進めていく。
会話の内容は仕事の事なのに仄香ちゃんと話すのは楽しかった。
やがてグラスは空になり胃袋も心も満たされて、のんびりと飲みたい気持ちになってくる。
「追加でスコッチ頼む?」
「うん。さっきのをダブルで、ストレートで」
「じゃあ、俺もさっきのをダブルで頼もうかな」
本当に強いなあと感心してしまう。
これもお隣のお兄さんの教育の賜物か。
でも、これからはゆっくりと俺色に染めて行こう。
お酒が飲める女の子は好きだ。
さっきから顔色も全く変わっていない。
お酒を飲んでも乱れない子はいい。
いや、乱れてキス魔になる子もそれなりにいいけどね。
ゆっくりお酒の味を一緒に楽しめるのが嬉しかった。
運ばれて来たグラスを口許に持っていき、香りを確かめるようにグラスを揺らし、また一口スコッチを飲む彼女を見つめる。
少し眉を顰めてまた思い詰めた表情になっている。
「それでね、話は変わって悪いんだけど…」
「いーよ。今日はいくらでも付き合うって約束したでしょ?」
「うん…」
言葉を探すように目を伏せ、また一口飲む彼女のプレッシャーにならないように、俺は煙草に火を点けた。
ゆっくりとスコッチを呷りながら仄香ちゃんの言葉を待つ。
「すごく言うのが恥ずかしいんだけど…。でも、誰にも相談出来ないの。笑わないで聞いてくれる?」
縋るように見つめられて、俺は頷いた。
じっと探るように見つめていた視線を外して彼女は自分の手元を見つめ、ようやく口を開いた。
「私、今まで誰とも付き合った事がないから分らなくて…」
「えっ!?」
だって、仄香ちゃんは可愛いし、賢くて人当たりもいいから、誰とも付き合った事がないなんて信じられなかった。
「私ね、中高一貫教育の女子校だったから、出会いがなかったし。大学は共学だったけど、ずっと好きな人がいたから…告白されても付き合った事はないの」
「そうなんだ…」
その好きな人というのがお隣のお兄さんなのかも知れない。
もしかしたら、その人とは付き合えない理由があって悩んでいたのかも知れない。
そういえば仄香ちゃんが塞ぎ込み始めたのはバレンタインのすぐ後だったような気がする。
「もしかしてバレンタインの日に何かあった?」
勘でしかなかったけど、そう尋ねると、仄香ちゃんは驚いたように目を瞠った。
「どうして分かったの?」
「ん?だって、元気なかったじゃない。まあ、気付いてるのは俺くらいしかいないと思うけど。いつも君の事見てるから。伊達に一緒にチーム組んでないよ」
「そっか…。会社では普通にしてたつもりなんだけど」
自分を責めるように俯いてしまった彼女の頭をそっと撫でる。
「大丈夫。俺しか気付いてないから。ねぇ、何があったのか言ってごらん?」
「うん…」
頷いたものの、どう切り出したらいいか分からないというように、彼女は目を伏せた。
言葉もなく、くいっとスコッチを呷る。
「ゴメン、思い出したらなんか飲まずにいられなくて」
「いいよ。ゆっくりでいいから」
空になったグラスを下げてもらい、またスコッチを追加で頼む。
少し飲ませ過ぎかも知れないと思ったけど、顔色は相変わらず変わっていないし、つぶれたらつぶれたで、どこかで一晩明かしてもいいと思っていた。
少し虚ろな表情で仄香ちゃんは俺を見た。
「ねぇ、佐助君。男の人って好きでもないのにキス出来る?」
唐突に問われてあまりの内容に俺は言葉を失った。
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