Hearts Broken Even -3-

仄香ちゃんは付き合っている訳でもないのに誰かにキスされた。
今まで誰とも付き合った事のない彼女にとってはそれがファーストキスだ。
それが塞ぎ込んでいた理由だと気付いてふつふつと怒りが込み上げてくる。

「誰?その男…。お隣のお兄さん?」

怒りを抑えていたつもりだけど、かえって声が静かで低くなってしまい、仄香ちゃんは怯えたようにびくりと身体を震わせた。

「う、ううん、違う。小十郎は告白してくれたけど待つって言ってくれたの。私に好きな人がいるのを知っているから」

慌ててそう答えて、辛そうに彼女は眉を顰めた。

「私、幼い頃から小十郎と一緒にいたのにずっと気持ちに気付かなくて。ずっと兄として慕っていたから…。でも、今年の正月に告白されてから段々小十郎の存在が大きくなってきて。好きな人がいるのに心が揺れ動いて。それなのにあんな事があったからっ…」

仄香ちゃんは言葉を詰まらせ、スコッチをくいっと呷った。

あんな事ってキスの事だろう。
きっと良くない事があったのだと思うと、彼女を傷付けてしまいそうで、俺も言葉を探してスコッチを呷った。

「佐助君、ファーストキスって覚えてる?」

少し酔いの回ったような潤んだ瞳でじっと見つめられて、心がざわつく。
俺はわざと明るく茶化した。

「もちろん!幼稚園で同じクラスだった女の子。初恋の人だよ」

プッと仄香ちゃんは噴き出した。

「佐助君らしいね。手が早い」
「あっ、酷〜い!俺様、本気で結婚したいって当時思ってたんだから。意外に純情でしょ?」

仄香ちゃんは額に手を付いて、堪え切れずにひとしきり笑い、目尻に溜まった涙を拭った。

「私のファーストキスもそういう風に後で笑えるようなものだったら良かったのに。……相手が同じ初恋の人でもこんなに違うんだね…」

いよいよ本題に入った。
俺は息を殺し、じっと仄香ちゃんを見つめた。

「私には幼馴染みが二人いるの。5歳年上の小十郎と5歳年下の政宗。いつからか、私は政宗の事が好きになってしまって…。でも、5歳も年下だから絶対に叶わない想いだと思ってた…。でもあの日…」

声を震わせ言葉を詰まらせる仄香ちゃんの肩をぽんぽんと叩いて大丈夫だと言うと、彼女は少し表情を緩め、視線を落としたまま続けた。

「政宗にバレンタインのチョコを用意するため、あの日、私は小十郎と一緒にいたの。ずっと車の中で一緒にいたから、髪に小十郎の煙草の香りが移ったんだと思う。その晩、政宗と小十郎と一緒に食事をした後、政宗がそれに気付いて…無理矢理キスされたの」

思い出しているのか、きゅっと唇を噛んで睫毛を震わせる。

「優しくなんかなかった。政宗がどういうつもりでキスしたのか分からない。私は政宗を想っているだけで満足だったのに…。キスってもっとロマンチックなものだと思ってた。私、おかしいかな?」

薄っすらと目に涙を浮かべて仄香ちゃんが俺を見る。
俺は仄香ちゃんの手を握り、首を横に振った。

「初めてのキスに夢見るのは誰だって同じだよ」
「ねぇ、男の人が奪うようにキスするのってどういう時?」

随分答え辛い質問をしてきたな、と思う。
顔には出てないけど相当酔ってるのかも知れない。
でも、きっと酒の力を借りないと言えなかった本心なんだろう。
この10日間独りで悩んで。

「難しい質問だなあ。自分が抑えられないくらい、相手をめちゃめちゃにしたい時だと思うよ。好き過ぎる時もだし、嫉妬に狂った時も。色々だよ」
「そっか…。やっぱり政宗に直接聞かないと分からないか…」

そう呟いて、仄香ちゃんは深い溜め息を吐いた。

「政宗の気持ちを聞くのが怖い。私達いつも3人一緒にいたから、その関係が崩れるのが怖いの。もう遅いかも知れない…。ずっと政宗に片思いしていたのに、段々小十郎への想いが強くなっていって。小十郎にはゆっくり考えて答えを出せって言われたけど、いくら考えても答えが出ないの。自分で自分の心が分からないから。政宗の事は好きだけど、辛い時、思い浮かぶのは小十郎の事ばかりなの。私にはどちらかなんて選べない…」

ずっと3人で仲良くしてたかった…。

そう呟いて、仄香ちゃんは一筋涙を零した。
それを指で拭ってあげてそっと頭を撫でる。

「一人で悩んで辛かったね」

よしよしと頭を撫でると口許を歪めて涙を堪えようとする。
俺は席を立ち、仄香ちゃんの隣りに座ってそっと抱き締めた。

「誰も見てないから好きなだけ泣きなよ」

俺は彼女の心に出来た隙を見逃さなかった。
揺れている彼女の心はまだ誰のものでもない。
俺にだって入り込む余地がある。

仄香ちゃんは、俺を拒まず、腕の中で静かに泣いた。


君は無防備過ぎるよ。
過保護なお兄さんも流石にそこまでは教育しなかったみたいだね。
それともいつもこうして腕の中で泣かせていたから俺のことも警戒しないのかな。
本当に純粋培養なんだから。
悪いけど、仄香ちゃんは俺がもらうよ、お兄さん。


俺は静かに泣く仄香ちゃんの髪を撫でながら囁いた。

「3人でいつまでも仲良くする方法、一つだけあるよ」

仄香ちゃんはぴくりと身体を震わせ、顔を上げた。

「3人でずっと一緒にいる方法…?」

仄香ちゃんは目に涙を溜めて虚ろな表情で俺を見上げた。
涙を指で拭ってそのままそっと頬を撫でる。

「うん、そう。3人でずっと仲良くしていられる方法」
「どうすればいいの…?」

僅かに光明を見出したように瞳が揺れる。
口許に悪魔の笑みが上りそうになるのを必死に堪え、俺は柔らかく微笑んだ。

「二人のどちらかを選ぼうとするから上手く行かないんでしょ?だから他の人と付き合えばいい。そうしたら、今まで通り幼馴染みで仲良く出来るよ?」
「二人のどちらとも付き合わない?」
「うん、そう。仮に政宗が君の事を好きだとして、君が政宗と付き合うとする。君に小十郎を傷付ける事は出来るの?」

仄香ちゃんはすぐに首を横に振った。

「じゃあ、小十郎を選んで政宗を傷付けるのは?」

またふるふると首を横に振る。
頭をそっと撫でて俺は仄香ちゃんの顔を覗き込んだ。

「君にそれが出来ない間は二人のどちらかと付き合う事は出来ないよ。いっそ他の男と付き合う方がいい。例えば俺とかね」
「佐助君…?」

驚いたように仄香ちゃんは身体を強張らせた。
すぐに俺は身体を離し、またぽんぽんと頭を撫でて軽い口調で話し始めた。
ここで警戒されては元も子もない。

「な〜んてね。そんなに警戒されると俺様傷付いちゃう。例えばの話だって。仄香ちゃんには俺の事で悩んで欲しくないし。いつでもこうして見守ってあげるから。だから、また辛くなったら俺に言って?話聞いてあげるから」

ね?と言って微笑みかけると仄香ちゃんもようやく小さく微笑んだ。

「佐助君、優しいね。ありがとう」

嬉しそうに笑う彼女にほんの少しだけ罪悪感を感じる。

ゴメンね。
俺はなんの見返りもなく優しく出来る男じゃないんだよ。
君の心が手に入れられるなら、いくらでも仮初の優しさで包んであげる。

今日はこのくらいが引き際かな。
彼女の心に俺という種を植え付けられたからそれでいい。
これから少しずつ、優しさという名の水を撒いて。
やがて芽生え、いずれは花が咲く。
真綿で首を絞めるように少しずつ彼女の心を縛って行けばいい。

「そろそろ出ようか。家まで送るよ」

身仕度を整えて立ち上がった彼女の身体はふらついていた。
小さなその肩を抱き寄せて支える。
顔色は全く変わっていないけど、やっぱり相当酔っているらしい。
俺は会計を済ませて外に出た。




人込みを避けた裏道を通って道玄坂方面に歩く。
この時間にタクシーがすぐに捕まるか分からなかったが、最悪泊まる所はこの界隈にはたくさんある。

クラブの前を通り掛かると、大学生の一団とすれ違った。

「佐助ではないか!」

よく通る声に振り向くと、真田の旦那が手を振っている。
その後ろには眼帯をした男が二人いた。
眼帯って流行ってんの?と訝しく思いながら旦那に挨拶をする。

「こーら、未成年がこんな時間までこんな所にいちゃダメでしょ?お館様が心配するよ?」
「今からなら終電に間に合うから大丈夫だ!佐助、そのおなごは…」
「仄香…?」

右目に眼帯をした男が隻眼を見開き、大股に近付いて来て、俺に支えられている仄香ちゃんの顔を上げた。


誰、こいつ。
親しげな呼び方。
そういえば旦那は俺より5つ年下だった。
もしかしてこいつは…。


焦点の合わない目で彼女が男を見上げる。

「まさ…むね…?」

目を瞠って仄香ちゃんが小さく身体を震わせる。


こいつが…仄香ちゃんのファーストキスを強引に奪い…そして悩ませていた仄香ちゃんの初恋の男…?


俺は政宗を睨み付けた。


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