そんな事を思いながら、クラブの帰り、幸村達と歩いていると、幸村が知り合いを見付けて声を上げた。
俺もつられて振り向くと、『佐助』と呼ばれた男の腕に抱かれているのは仄香だった。
「仄香…?」
何でお前が知らない男の腕に抱かれてんだ!?
そいつは誰だ!?
何で自分で歩けねぇくらい酔ってんだ!?
男と二人で飲んでつぶれるのが危ねぇくらい分かってんだろ!?
それとも…。
お前は俺の知らねぇ所でいつもこうして男に抱かれてんのか!?
聞きたい事はたくさんあった。
俺は大股に仄香に近付いて、顎を掴み顔を上げた。
「まさ…むね…?」
すっかり酔いの回った視線とぶつかると、仄香の瞳に怯えの色が浮かんだ。
佐助が仄香を庇うように抱き寄せると、仄香は俺の視線から逃れるように佐助に身体を預けた。
それが俺の怒りを煽る。
「あんた、誰だ。仄香との関係は?」
「それを聞くのは野暮じゃないの?」
へらっと笑って男が答える。
考えが読めないようなうさん臭い笑顔に苛々が募る。
チッと舌打ちをして掴み掛かろうとすると、慌てて幸村が俺と佐助の間に入った。
「政宗殿、落ち着かれよ!佐助!はぐらかすでない!事と次第によってはこの幸村、お前を許す訳にはいかぬ!」
いつもはほわほわとした笑みを浮かべている幸村が、凛とした表情で佐助を睨み付ける。
佐助は笑みを消し、溜め息を吐いた。
「はぁ、やれやれ。旦那にそう言われちゃねぇ。仄香ちゃんは俺の会社の同期。一緒にプロジェクトやってるからさ。まあ、仲のいい同僚?これで満足?」
「何ゆえ仄香殿はこんなに酔っているのだ!?ま、まさか、佐助、そなた…ははは破廉恥でござるぅううっ!」
「あー、はいはい旦那、黙って、お願い。みんな見てるでしょ?恥ずかしいから。沸かない沸かない」
佐助は困ったように眉間に皺を寄せて幸村を宥めた。
「Ha!幸村の言う通りだぜ。仄香を酔わせてどこかに連れ込もうとしたんじゃねぇか?」
肩をぐいと掴んで凄むと、佐助は俺の手を振り払って睨み付けた。
「はぁ!?人聞きの悪い事言わないでよ。誰かさんじゃあるまいし。仄香ちゃんは悩み事があって、飲まずにいられなかったんだよ。誰かさんに10日前に酷い事されたらしいから」
10日前の酷い事…?
バレンタインのあの…キスの事か…?
仄香は酒に逃げなくてはならないくらい気に病んでる?
そんなに…俺とkissするのが嫌だったのか…?
あの日の事を思い出すと胸がきりきりと痛む。
仄香はいつも通り、俺にチョコを用意して遊びに来てくれた。
でも、俺は気付いてしまったんだ。
いつでもその瞳に俺だけを映していてくれたのに。
その瞳に小十郎が映っているって事に。
ずっとお前を見て来たから。
すぐに分かった。
仄香…お前は…。
俺の初恋だったから…。
仄香への想いは変わっていない。
相変わらず俺は仄香の事が好きで。
想いを告げてもまともに取り合ってくれなかったのは、俺が子どもだったから。
幼い頃に告げた、本気の告白は笑って流された。
その時俺は決めたんだ。
早く大人になって、いい男になって。
仄香を守って甘やかせてやれるくらいに成長したら、また想いを告げるって。
まだ想いを告げるつもりはなかった。
仄香の瞳に映る俺は相変わらず子どものままだ。
まだ仄香に追いついていない。
まだ、俺には仄香を守ってやれない。
哀しい時、優しく包んでやれるくらい大人でもない。
早く大人になって迎えに行きたかった。
なのに、今、仄香の目には小十郎が映っている。
小十郎の気持ちも俺は知っている。
小十郎もずっと仄香を見つめて来た。
あの日…。
二人が想いを交わしたんじゃないかという疑惑に胸が染まっていって。
仄香にじゃれついた時に、それはもう疑惑というより確信に近かった。
仄香の髪からは小十郎の煙草の香りがした。
どす黒い嫉妬があっという間に身体を支配して行って、これ以上想いを抑える事が出来なくて、衝動的に仄香の唇を奪うと。
仄香は泣きながら部屋を出て行った。
追いかけた俺が見たものは。
小十郎の腕の中で甘える仄香の姿だった。
その時の小十郎の表情が忘れられない。
今までだったら、想いを胸の奥にしまいこんで。
兄の顔で仄香を甘やかしていた。
あの時の小十郎は…。
仄香に想いを寄せる、男の顔だった。
あんなに愛しそうに仄香を見つめる小十郎を初めて見た。
後で小十郎を問い質してみても、動揺していた仄香を慰めていただけだという答えが返ってきただけだった。
仄香が落ち着いたらきっと俺に想いを告げると言い残して…。
仕事が大事な時期だし、あまり急かさない方がいいと言われたからこそ、俺はずっと待っていた。
あれ以来、小十郎も仄香と連絡を取っていないようだし安心していた。
でも、まさか…。
仄香が悩んで他の男と酒を飲み、腕に抱かれる事になるなんて思いもしなかった。
こんな事なら無理にでも会いに行けば良かった。
奪いに行けば良かった。
今なら…。
今からでも…。
俺は仄香の頭をくしゃりと撫でた。
いつも小十郎がするように。
すると、ようやく仄香は俺を見上げた。
「政宗…?小十郎…?」
もう意識がはっきりしていないのか、俺と小十郎の区別もついていない。
「家まで送ってやるから来い」
小十郎の口調を真似して言うと、仄香は佐助の腕の中から抜け出し、ふらふらとした足取りで、俺に抱き着いた。
「ちょっ、仄香ちゃん!」
「佐助、控えよ!仄香殿は政宗殿の初恋のおなごだ。無粋な真似はよせ!」
幸村が間に入ってしぶしぶ佐助が諦める。
「家に着いたら起こしてやる。だから、安心して寝てろ。な?」
小十郎がするように、低く耳元で囁き、頭をぽんぽんと撫でると仄香は頷いた。
俺は荷物を持ち、仄香を抱き上げると、幸村を振り返った。
「悪ぃな。先に帰らせてもらうぜ」
「ああ、気にするな。気を付けて」
一行を後にし、道玄坂に出ると、俺はタクシーを拾った。
タクシーに乗り、自宅へ向かうように告げる。
酔いを覚まさないと仄香の親が心配すると思い、俺と小十郎と一緒に飲んでいる事にして仄香の家に連絡を入れた。
仄香の母親は、俺の母代わりのようなものだ。
昔、よく世話になった。
いつも『仄香が小十郎君か政宗君と結婚してくれたら安心なのに』とよく言っているくらいだから、こうして仄香が俺の屋敷で夜を明かしても連絡さえ入れれば何の問題もない。
電話を切って、腕の中でぐったりとしている仄香を眺める。
「大丈夫か?」
こいつが酒を飲んでこんなにつぶれているのを初めて見た。
いつも、屋敷で飲む時は加減してるのか、意識ははっきりしているし、俺と飲んでも俺より強いんじゃないかというくらいに平然としている。
佐助が言っていた事を思い出す。
10日前に酷い事をされたから飲まずにいられなかった…。
仄香…。
お前にとって、俺はなんなんだ…?
ただの可愛い弟か…?
そんなにあのkissが嫌だったか…?
俺は身体も大きくなった。
まだ社会に出ていないから社会人としてのお前の苦労は分かってやれねぇ。
でも、そんなに頼りねぇか?
お前が望むならこうして抱き締めてやれるのに…。
「仄香…」
そっと頬を撫でると、くすぐったそうに身を捩り、俺の胸に身体を預ける。
「小十郎…」
すっかり安心したように緩んだ口許から紡がれた名前は。
俺ではなく小十郎のものだった。
その瞬間、心の底がすうっと冷えていった。
胸がきりきりと痛む。
屋敷に帰れば小十郎がいる。
きっと小十郎は俺を先に休ませて、仄香のそばにずっとついているだろう。
優しく仄香の頭を撫でる小十郎の姿が容易に想像出来た。
今までは仄香の前では兄の顔しか見せなかった小十郎が、男の顔を見せるようになった。
仄香も小十郎に惹かれ始めている。
今夜…もし仄香を連れ帰ったら、きっと二人は結ばれてしまう。
もう、俺の手には届かなくなる。
相手はあの小十郎だ。
唯一俺が敵わないと思う男。
仄香を渡したくねぇ…!
例え相手が小十郎でも…!
俺は仄香をぐいと抱き寄せた。
「悪ぃ、行き先を変えてくれ。湾岸通りのベイサイドホテルまで」
「はい」
運転手に行き先を告げて、ずっと切っていた携帯の電源を入れ、小十郎に電話をかける。
すぐに小十郎が電話に出た。
「政宗様、一体何時だとお思いか!携帯の電源は切ってらっしゃるし、部下に探しに行かせる所でしたよ!」
「Ah…sorry」
麻薬の密売が行われる事もあるようなクラブに出入りしている事がバレたら面倒だから携帯の電源を切っていた。
勿論純粋にクラブの雰囲気を楽しむために遊びに行ってるだけだが、小十郎にバレたら面倒だ。
「ライブ行ってたんだよ。携帯の電源入れてたらマズいだろ?その後電源入れるのを忘れてた」
電話の向こう側で小十郎が深い溜め息を吐く。
「全くしようのない御方だ」
「Ha!俺がkidnapされるとでも思ったか?」
「貴方は御自分の立場をわきまえられよ。今どちらに?」
「これからベイサイドホテルに行って来る。いつもの部屋を用意させろ」
「夜景が恋しくなりましたか?」
「まあな」
俺の屋敷は平屋だから、ふとゆっくり夜景が見たくなった時、グループ系列のホテルのスイートに泊まりに行くのを小十郎は知っている。
女を連れ込む事もあるから、基本的に小十郎は深く詮索して来ない。
「分かりました。連絡を入れておきます」
「Thanks、小十郎」
電話を切ろうとして、小十郎が言いにくそうに『あの…』と言い澱む。
「女を連れ込むんじゃないでしょうね?」
今まで殆ど干渉して来なかった小十郎が口を挟んで来て首を傾げる。
「Why?」
「いえ…仄香の事はどうなさるおつもりですか?貴方が軽いお気持ちで仄香に手を出したのだったら、この小十郎、貴方に遠慮など致しませぬ。すぐにでも奪ってみせます」
ああ、そういう事か、と合点がいく。
「安心しろ。そんなんじゃねぇよ」
「ん…。政宗…?」
寝ぼけたように、目を擦りながら仄香が電話のそばで声を上げた。
「政宗様っ!やはり貴方は!」
「Shit!」
もの言いたげに俺を見上げる仄香の唇を無理矢理自分の唇で塞ぐ。
「んっ…やめっ…!」
ここで仄香の声を小十郎に聞かれる訳にはいかねぇ。
小十郎に気付かれたらきっとあいつは奪いに来る。
「政宗様っ!」
「悪ぃな。今取り込み中だ」
俺は携帯の電源を切り、仄香が抵抗しなくなるまで、ずっと奪うように口付けた。
仄香、お前は誰にも渡さねぇ。
小十郎が奪いに来る前に、俺のものにしてやる…。
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