目をこすり、目覚まし時計を見て私は慌てた。
もうとっくに大学の授業が始まっている時間だ。
身体を起こそうとして、すぐにくらくらと眩暈がして私はベッドに潜り込んだ。
昨日の夜まではあんなに元気だったのに、喉が痛くて湿った咳が出る。
首のリンパ節が腫れているのを感じて、ああ、風邪を引いたのだと気付く。
もうすぐ大学の期末試験の季節だ。
一回の授業でかなりの試験範囲がカバーされるので授業を休むのはなるべく避けたい。
もう一度起きようとしたけれど、あまりの身体の怠さに私はついに諦めた。
そして、クラスメイトのかすがに授業を休む旨を伝えるメールを送る。
ほどなくしてかすがから返信があった。
『授業のノートと代返は任せろ』との心強い言葉にホッとする。
本当は自分で授業に出たかったが仕方がない。
『ありがとう』とメールを送って、再び私の意識は泥のような眠りに引きずり込まれた。
次に目覚めた時は、西陽が白いレースのカーテンをオレンジ色に染めていた。
相変わらず身体は怠くて、空腹感はあるのに起き上がる気力すらない。
運悪く、両親は海外旅行中だ。
年末年始に出勤していた私の両親は、今、遅い冬休みを満喫している所だ。
兄弟もいない私は、この家で独りぼっち。
ゴホゴホと湿った咳を繰り返しながら、無性に人恋しくなる。
そういえば政宗はそろそろ学校から帰ってくる時間だろうかと思い当たるが、やっぱりこんな酷い風邪をうつすわけにはいかないと思い直す。
政宗は小さい頃、身体が弱くてよく熱を出していた。
それに、今日は塾があるかも知れない。
今日はご飯抜きか、カップ麺かと思うと何だか悲しくなる。
思い返せば朝から何も食べていない。
とりあえずかすがに御礼のメールをしようと携帯に手を伸ばしたら、急に携帯が鳴り出して驚いて取り落としてしまった。
画面には小十郎の名前と電話番号が表示されている。
小十郎、まだ仕事中じゃなかったっけ?
間違い電話じゃないかと思いながら私は電話に出た。
「もしもし」
自分が出した声は、思ったよりずっと掠れていた。
「お前ぇ、何て声してやがる。風邪か?」
こんな声でも私だと分かるのだから、間違い電話ではなさそうだ。
「うん、風邪引いちゃった。小十郎、どうしたの?まだお仕事中じゃないの?」
「お前ぇの両親、旅行中だろう?一緒に飯でもと思って電話した所だ。お前ぇ、いつから風邪引いてる?かなり辛そうじゃねぇか」
「朝起きたらこうなってた」
「熱は?」
「分かんない。怠くて起きる元気がなくて…」
小十郎は電話の向こうで深い溜め息を吐いた。
「今からそこに行く」
「えっ!?仕事は?」
「何とかなる。お前ぇは気にするな。いいな?すぐに行くから」
私が何か言おうとする前に電話は切れてしまった。
それでも、心の中に安堵感が広がっていく。
小十郎が来てくれる…。
寂しくて堪らなかったのに、兄のように慕っている小十郎が来てくれると思うと、何だか安心して、やがて私は再びうとうとと眠り始めた。
次に目が覚めたのは、玄関のチャイムが鳴った時だった。
怠い身体を何とか起こして、カーテンを開けて部屋の窓から階下の通りを眺めると、黒いコートを着た小十郎の姿が見えた。
こちらを見遣った小十郎と目が合う。
軽く片手を挙げる小十郎に私もひらひらと手を振ると、パジャマの上からパーカーを羽織り、フラフラとした足取りで玄関に向かった。
玄関のドアを開けると、小十郎がつかつかと歩み寄る。
その表情は険しい。
「薄着し過ぎだ」
小十郎は自分が着ているコートを脱ぐと、私に着せる。
背の高い小十郎のコートは、私が着ると、裾が床に着きそうだ。
袖も長くて、かろうじて指先が見えるか見えないかくらい。
小十郎の温もりが残ったコートは温かかった。
「温かい…」
袖を頬に当て、カシミヤの肌触りを楽しんでいると、ようやく小十郎は表情を緩めた。
そして、大きな手のひらを私の額に当てる。
「随分熱があるな。病院は行ったのか?」
ふるふると首を横に振ると、小十郎は私の手を引いて部屋に上がり込んだ。
有無を言わせず私の手を引いて階段を上って行く。
「普通の診療所はもう閉まっちまう。大学病院行くぞ」
「えっ!?そんな大袈裟な」
「素人判断で治すんじゃねぇ。長引くぞ。俺に電話一本入れりゃあ大学の保健センターが開いてる時間に連れて行ってやったのにな。過ぎた事は仕方ねぇ。今日はうちに泊まりだ。その様子じゃ飯もろくに食ってねぇんだろ?」
こくりと頷くと、小十郎は溜め息を吐き、ぽんぽんと私の頭を撫でた。
「今から二日分荷造りしろ。それから学生証を忘れずにな。俺の知り合いが大学病院にいるが、当直かは分からねぇ。急患以外は基本的に受け入れねぇが、在学生は別だ」
「そうなんだ。知らなかった」
「俺に聞かねぇからだ。下手な遠慮は止めろ。お前ぇは俺に甘えていればいい」
「でも…小十郎、お仕事だったし…」
おずおずと言うと、小十郎は柔らかく微笑んだ。
「余計な気を回すな。お前ぇ独りで辛い思いをしていたって後で知る方がやるせねぇよ。部屋の外にいるから着替えてこい」
今度は優しくあやすように私の頭を撫でると、部屋のドアを開け、私を中に促しドアを閉めた。
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