「インフルエンザではありませんでしたよ。良かったですね。インフルエンザの予防接種はしましたか?」
「まだです」
「早くしないと今度は本当にインフルエンザになる恐れがありますから、風邪が治ったら連絡下さい。予防接種してあげますから」
「ありがとうございます」
小十郎は深々と溜め息を吐いた。
「そうやってこいつに接触するのは止めろ」
「おや、心外ですね」
光秀さんは面白がるように笑っている。
「貴方も政宗君も私から予防接種を受けたでしょう?普通の方法よりよく効くのは貴方が一番ご存じのはずでは?」
小十郎は舌打ちをして目を逸した。
「ここは大学病院ですから、普通なら飲み薬を出して帰す所ですが、貴女だから特別点滴をしてあげますよ。よく効くんです」
「私だから特別?」
「ええ、そうですよ」
「真に受けるな。テメェ、誰にでもそう言ってるだろう。政宗様の時もそう言っていたじゃねぇか」
光秀さんはクスクスと笑った。
「ええ、政宗君も特別ですから。何しろ、政宗君もこの子も片倉君の『大切な人』ですからね」
小十郎は目を瞠り、薄っすらと頬を染めてふいと顔を背けた。
その間に光秀さんは、手際良く私の腕を露にし、消毒をした。
「まず、アレルギー検査をしてから点滴をしますね。最初の注射は痛いけれど、いい子で我慢して下さいね」
ツベルクリンに似た注射は思ったより痛かった。
やがて、アレルギー反応がない事を確かめると、止血帯で私の腕を縛る。
「血管が細いですね…。ちょっと失礼」
私の腕をさすり始めた光秀さんを見て、小十郎が表情を険しくする。
「何が不満です、片倉君」
「テメェの手つきがやらしい」
「仕方ないじゃないですか。温めないと血管が出ませんから」
光秀さんがクスクスと笑う。
小十郎は憮然と鼻を鳴らした。
やがて、点滴が無事始まると、光秀さんは席を外した。
少しずつ身体が楽になり、眠たくなってくる。
「政宗、大丈夫かなあ。お腹空いてないかな」
「綱元に任せてきた。お前ぇは心配せずにそのまま寝ろ」
小十郎が優しい笑顔を浮かべながらゆっくりと何度も髪を梳いてくれて、心地良くて瞼が重たくなる。
もう少し小十郎の優しい手の感触を感じていたかったのに、間もなく私は眠ってしまった。
次に目を覚ますと、私は車の中にいた。
隣りを見遣ると、小十郎が運転をしている。
運転に集中している小十郎の横顔は精悍でとても頼もしかった。
もぞもぞと動くと、チラリと目だけでこちらを向く。
「もう少しで着くから、もう暫く寝てろ」
「小十郎が私を運んでくれたの?ストレッチャー借りたの?」
「馬鹿言え。お前ぇ一人抱き上げるくらいどうって事ねぇ」
小十郎が私を抱いて車まで運んでくれたと聞いて、申し訳ないと思うと同時に、何だか懐かしくて嬉しくなった。
昔、政宗と一緒に夜更かしをして、眠たくなってそのまま居間で眠ってしまうと、決まって翌朝には客間のベッドで寝かされていた。
それがすごく嬉しくて、時にはわざと眠った振りをして、小十郎の腕の中でゆらゆらと揺られるのを楽しんだ事すらあった。
小十郎の腕の中はとても温かくて安心出来た。
こうして小十郎に抱っこしてもらうのは久し振りだった。
どうせなら意識があれば良かったのに、と思う。
小十郎に手渡された温かいお茶を飲んでいると、間もなく家に着いた。
小十郎が車庫に駐車していると、小柄な影が現われた。
車が停まると、窓をこんこんと叩く。
政宗だった。
ドアを開けると、政宗が心配そうな少し怒ったような表情で私を見つめた。
「何ですぐに俺に連絡しねぇんだよ!一緒に病院くらい行ってやったのに」
「政宗、ゴメンね。風邪うつしちゃうと思ったの」
「変な気ぃ遣ってんじゃねぇよ。小十郎から連絡受けて、雑炊作っておいた。寒いから早く中に入ろうぜ」
政宗は私の手を引いて、屋敷の玄関へどんどんと歩いて行く。
後ろを振り返ると、小十郎は自分のビジネスバッグと私のボストンバッグを持って苦笑いしながら私と政宗の後をついてくる。
ダイニングに入ると、綱元さんと成実がテーブルに食事を並べていた。
「綱元さんに成実君まで…ご迷惑おかけしてすみません」
綱元さんと成実君は少し離れた所に一緒に住んでいる。
小十郎が私にかかりきりになってしまったからわざわざ政宗の様子を見に来てくれたんだろう。
「気にしなくていい。とりあえず君は早く風邪を治しなさい」
「はい」
コートを脱いでみんなで食卓につく。
普段、家族が揃う事はないから、こんなに大勢で食事をするのは久し振りで楽しかった。
政宗が作ってくれたお雑炊は、鳥ガラで出汁がとられていて、葱と卵と白菜が柔らかく煮込まれていた。
「政宗、すごいね!これ、鳥ガラスープの素の味じゃないね」
「当たり前だろ?ちゃんと鳥ガラで出汁取ってる。たくさん作ったから明日も食えよ」
政宗が嬉しそうにニヤリと笑うと、隣りに座っている成実が深い溜め息を吐いた。
「梵ってば台所占領してるんだもん。だから結局俺達カレーとサラダしか作れないし」
「お前はカレーで十分だ」
じゃれ合う従兄弟同士を小十郎と綱元さんは微笑ましそうに眺めている。
政宗が作ってくれたお雑炊は美味しかったけど、あまり食べられそうになかった。
点滴で楽になったとはいえ、まだまだ身体は怠い。
何とか小さなお椀によそられたお雑炊を平らげて、テーブルに肘を着けて額を押さえて吐息を吐く。
「何か怠い…」
隣りに座っていた小十郎が私の額に手を当てる。
「夕方よりマシだが、まだまだ熱があるな。部屋にお前の荷物は運んである。ポットと加湿器も用意してあるから行くぞ」
「うん。政宗、ご馳走さま。美味しかったよ」
「Glad to hear that. 風邪じゃなくてもまた飯食いに来いよ」
「うん」
小十郎に促されて立ち上がると、まるで地面が波打っているような感覚に襲われて、へなへなとへたり込むと、小十郎が私を抱き上げた。
「独りで歩く」
「馬鹿言ってんじゃねぇ。フラフラのくせに。おとなしくしてろ」
「ゴメン…」
ふと政宗と目が合うと、政宗は悔しそうな表情を浮かべていた。
「後で見舞いに行ってやるよ」
「政宗様、なりませぬ。風邪がうつったらどうなさるおつもりです。御身を大切になされよ」
小十郎に窘められて、政宗は拗ねた表情でふいと顔を背けた。
「では、御前を失礼致します。綱元、後は任せた」
「ああ」
小十郎は私を抱き上げたまま、ダイニングを出て階段を上って行く。
幼い頃の記憶がフラッシュバックする。
あの頃よりも逞しくなった小十郎の腕の中は酷く心地が良かった。
小十郎のシャツ越しに温もりが伝わって、温かくて幸せな気持ちになる。
あんなに心細かったのに、この腕の中なら安心出来る。
やっぱり小十郎は最高のお兄ちゃんだ。
小十郎みたいなお兄ちゃん欲しかったな…。
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