Bitter Sweet Chocolat -2-

翌朝、私は疲れが溜まっていたのか、何度目かのアラームでやっと目が覚めた。

「嘘…。もう、こんな時間?」

急げば間に合わないことはない。
でも、いつもよりも30分も遅い起床に慌てる。
私は朝食もそこそこに家を出た。

「Good morning, honey. いつもより遅いじゃねぇか」

家の門を出ると、ぐいと腕を引かれて、私は驚きバランスを崩した。

「政宗!?何でここに!?」
「お前、昨日、俺のメールに返信しなかっただろ」
「あ……」

昨日は、政宗のメールを確認した後、何も言葉が出てこなくて。
まさか、何も準備していないなんて言えなくて。
そのまま返事をせずに寝てしまったのだった。

「ごめん、仕事が忙しくて…」

これは、事実。
実際、忙しくなければ、きっとバレンタインを覚えていたし、政宗にもケーキを作ってあげていた。
例え、今年のバレンタインがウィークデーであっても。

「お前……。俺と仕事、どっちが大事だ?」

まるで、彼氏に問い詰められているような気分になる。
違う。
政宗は、彼氏じゃないもの。
きっと、ずっと一緒だったお隣のお姉さんが仕事で忙しくなって、構ってくれないから拗ねているだけ。

今年、初詣に小十郎と一緒に行った時に、政宗が「抜け駆け」とか言っていたような気がするけれど、あれはどういう意味だったんだろう?
政宗にとって、私は何?
大切にしてくれていることは分かる。
好意を寄せてくれていることも知っている。
でも、5歳も年が離れているのに。
政宗の周りには、魅力的な同年代の女の子がたくさんいるはずなのに。

期待したら裏切られた時傷つくから。
私は、ずっと答えを出すのを避けていた。

こうして問い詰められると、私はどう返していいのか分からない。
それは、私の立場をはっきりさせないといけないから。
答えを出さないといけないから。

ずっとこのままの関係でいたかった。
例え、政宗の姉のような存在でも。
ずっと私を慕ってくれるのであれば。
裏切られることがないのなら。
このままでいたかった。

「仕事と政宗は比較の対象にならないでしょう?ベクトルの方向が全然違うもの」

これは事実。
仕事も政宗も大事。
比べられない。
でも、今は仕事を優先させないといけない時期だから。

「お前、逃げてるだろう?」

政宗の隻眼は真剣で。
私は息を飲んだ。

痛いところを突かれた、と思う。
急いで仕事に行かなければならないと思うのに、足が地面に縫いとめられたように動かない。

「なあ……」

政宗が一歩踏み出し、私の頬に手を添えてじっと私の瞳を覗き込む。
私はその真剣な眼差しに魅入られたように、思わず見つめ返した。
何か言わなくては、と思うのに言葉が出てこない。
政宗の指がそっと私の頬をなぞり、そして、唇に触れる。

お願い。
そんなことされたら期待してしまうから、止めて……。

胸はドキドキと早鐘のように脈打ち。
この場から立ち去らなくてはと思うのに、動けない。

「おい、仄香。このままじゃ、遅刻するぜ。送ってやるから車に乗れ」

政宗の背後から、低い有無を言わさぬ声が聞こえてくる。
政宗はチッと舌打ちをした。

「仕方がねぇ。それもそうだな。小十郎、後は頼んだ。仄香、今夜、楽しみにしてるからな」

私の頬に軽くキスを落とすと、政宗は背を向けてひらひらと手を振った。


小十郎は足早に私に近づき、私のビジネスバッグを手に取り、反対の手で私の手を握り、車に向かって歩き出す。
小十郎とこうして手を繋ぐのは初詣以来だ。
あの時の小十郎の言葉を、態度を思い出して、どうしようもなく胸がドキドキとする。
ああ、今日は朝から心臓に悪い。
小十郎はまるでそんなことがなかったかのように、いつも通りに振舞っている。

「会社まで送った方が早いだろう。お前ぇの会社、乗換えが面倒だからな」
「ごめん、小十郎、ありがとう。助かる」
「少し飛ばすから、運転が荒くなるが、構わねぇか?」
「うん。間に合うんだったら何でも」
「そうか。行くぞ」

車に乗り込むと、小十郎はすぐにスピードを上げた。
輸入車でしかもカスタマイズしているこの車は、とんでもなくスピードが出る。
しかも、操作性も抜群らしい。
セミオートマチックの車を運転する小十郎の仕草に見蕩れる。
マニュアル車を運転する男の人って何でこんなに格好いいんだろう。

「で、政宗様にはチョコレートを渡したのか?」
「うん、それがね、仕事が忙しくて作ってもいないし、買ってもいないの。ああ、どうしよう。会社の同僚にすら買ってないよ」
「お前ぇも大変だな」

小十郎はちらりとミラー越しに私を見て、口元を綻ばせた。
伊達家に仕える小十郎は、時間の自由がある程度利くとはいえ、仕事による拘束のことをきちんと分かってくれている。
そんな労わりが滲み出ているような笑みだった。

「会社の同僚の分、どうするんだ?」
「昼休みに買うよ。政宗のは厳選したいから、仕事の後かなあ」
「そんな時間あるのか?」

小十郎はここのところ私の仕事の帰りが遅いのをよく知っている。
私は溜息をついた。

「多分、デパートが閉まるまでには今日なら帰れそうなんだけど。でも、私……。政宗にちゃんとチョコ作ってあげたかったな……。小十郎にも……」
「俺のことは気にするな。元々チョコレートには興味がねぇからな。ただ……政宗様は気になさるかも知れねぇ」
「だよね……」

また一つ溜息が漏れる。
赤信号で、車を停車させた小十郎はそっと私の頭を撫でてくれた。
優しい手の感触に、ホッとする。
小十郎の手、とても好きだ。

「出来るなら仕事を早く終えて来い。帰りも迎えに行ってやるから」
「え?」
「お前が政宗様を想う気持ちは痛いほど分かるからな。助太刀してやる。悪いようにはしねぇ」

フッと笑った小十郎の笑顔は優しくて。
初詣の時に見せた、あの艶っぽい笑みがまるで嘘のようだ。

小十郎はやっぱり、私のお兄ちゃんなんだね…。
それが嬉しくもあり。
でも……。

少し、残念な気持ちがするのは何故だろう……?
私が好きなのは政宗なのに……。

朝から気持ちが千々に乱れて混乱する。
いけない。
これから仕事なのに。

私は、無理矢理笑みを作って小十郎に答えた。

「ありがとう。じゃあ、昼休みにメールするね」
「ああ。7時くらいなら迎えに行けるはずだ」

小十郎は、また正面を向いて運転に集中した。
会社には、いつもと同じ就業20分前に着いた。
流石、竜の右目。
裏道を使いまくって、スーパーショートカットで会社まで着いてしまった。
どこをどう走ったのか全然分からない。

「小十郎、ありがとう。いつも通りに着いたよ」
「礼には及ばねぇ。忘れ物するなよ」

まるで、兄のような言い方に心の奥がくすぐられる。
小十郎みたいなお兄ちゃん、欲しかったな……。
きっと、いたとしても小十郎には敵わないけど…。

「うん、大丈夫だよ。行ってくるね!」

小十郎は、私がエントランスをくぐるまで、ずっと見送ってくれていた。
prev next
しおりを挟む
top