結構アニキは飛ばし屋なので、しっかりと腰に抱きつく。
シャツを通して、アニキの体温が伝わってくる。
女の私の身体と違って、アニキの身体は筋肉でかっちりとしている。
男って感じがする。
政宗も抱きついたらこんな感じなのかな、と想像して私は赤くなった。
アニキとお父さん以外にこうして抱きついたことなどない。
中学に入ってからはアニキにしかこうして抱きついたことがないような気がする。
アニキに抱きついていると、何だかホッとする。
空が段々とオレンジ色に染まってきている。
「アニキ!間に合うかな?」
「ギリ間に合うんじゃねぇか?もうすぐ着くぜ」
アニキがそう言って、数分バイクを走らせると、道の突き当たりは海だった。
「わー!海だよ、海!!」
私がアニキの腹をばんばんと叩くと、アニキにたしなめられた。
「コラ、あんまりはしゃいで振り落とされるんじゃねぇぞ」
すぐ浜辺にバイクを停めると思いきや、アニキは道を左に曲がってそのままバイクを走らせた。
「あれ?海に着いたのに?」
「とりあえず、七里ヶ浜まで走るぜ。右向いてろ。海見ながらバイク乗るのも気持ちいいもんだぜ?」
言われるままに、右を向くと、水平線の向こうがオレンジ色に染まり、光を反射して海がきらきらと輝いている。
海岸沿いの道なので、右を向くと見渡す限り海だ。
サーファーやウィンドサーファーがぷかぷかと浮いている。
普段の目まぐるしい学校生活とは無縁のその光景に私は見蕩れた。
海を見ていると、心身に積もった疲れが溶け出して行くようだ。
稲村ヶ崎を越えたところの浜辺にアニキはバイクを停めた。
「着いたぜ。間に合ったな」
アニキがメットを取って、軽く頭を振ると口元を綻ばせた。
うちのアニキってつくづく海が似合うな。
銀色の髪を海風に靡かせ、朗らかに笑うアニキは、実に生き生きとしている。
中学の頃は、免許を取ったばかりのアニキのバイクの後ろに乗って、二人でよく海に来た。
浪人時代からアニキはバイトで忙しいから、海に来るのは2年ぶりくらいだ。
私もメットを取ると、バイクに引っ掛け、浜辺へと続く階段を走って降りた。
「アニキ!早く早く!!」
砂浜に降り立って、アニキを振り返り叫ぶ。
アニキは苦笑いしながら階段を降りてきた。
「おー、丁度いい時間だったみてぇだな。綺麗な夕焼けだぜ」
アニキが眩しそうに目を細めて、沖の方を見つめる。
太陽が、段々と水平線に近づいてきている。
大自然って感じがする。
わくわくとした気持ちが止まらない。
「アニキ!夕日に向かって走るよ!」
私はバッグを浜辺に置いて、靴と靴下を脱ぐと、海に向かって走った。
お腹の底まで響くような潮騒が心地よい。
海まで入って足首まで浸かると私はアニキを振り返った。
アニキは悠然と歩いてきて、波打ち際で立ち止まった。
「あれ?アニキ、海入らないの?」
「お前なぁ。マジで夕日に向かって走るとは思わなかったぜ。俺、大学から直で来たし、タオルねぇぞ。足、どうやって拭くんだ?」
「あ……」
いつも全部アニキに準備を任せていたので私はすっかり忘れていた。
アニキと来ると、いつも海に入ってはしゃいでいたので、私はそのつもりでいた。
間抜けな顔をしてアニキを見上げていると、アニキはクックッと笑い出した。
「お前ぇらしいぜ、全く。七里ヶ浜にしておいて正解だ。すぐそこにコンビニがあるから買ってきてやるよ。飲み物、何がいい?」
「緑茶!玉露入りの甘いやつね!」
「わかった。すぐに戻ってくるから遠くに行くなよ」
「うん、わかってる!」
ふくらはぎの辺りまで海に浸かって、波を蹴り上げたりして一人で遊んでいると、サーフパンツの男達が近付いてきた。
何か嫌な予感がする……。
でも、アニキにここで待ってろって言われたからどこかに行く訳にもいかないし…。
考えを巡らせていると、男達は私を海に追い込むような形で私の前に立った。
「ねぇ、一人で遊んでるの?」
「か〜わいい!!女子高生?もしかしてモデル?もし時間があるなら、これからカラオケとか行かない?」
私はぶんぶんと頭を横に振った。
「お構いなく。人を待ってるんで」
「そういうこと言う子に限って失恋して海に来ましたってケースが多いんだよなー。俺達が慰めてあげるからさ」
ニヤニヤと笑った男達に怖気が走った。
男の一人が私の髪に手を伸ばし、指に絡める。
「ちょっ、止めて下さい!!」
思わずぱしりと手を払うと、男の笑顔が引き攣った。
「調子に乗るんじゃねぇぞ。このまま海に放り込んでやってもいいんだぜ」
「そうだな。全身濡れ鼠になったら服乾かさなきゃいけねぇもんな。ホテルでゆっくり乾かしてやるよ」
男達が一歩二歩と距離を縮めてくる。
私が後ずさると、膝のすぐ上辺りまで水に浸かってしまった。
少し高い波が来たら、スカートが濡れてしまう。
恐怖で心の底が冷やりとする。
脳裏に浮かぶのはアニキの顔。
お願い、アニキ!!
助けて!!!
「嫌っ!!アニキ!!助けて!!」
「今助けるからな!」
男達の後ろから、ずっと待ち焦がれていた声がした。
「アニキ!!!」
男達が振り向く。
「てめぇら、俺の妹に何の用だ」
今まで聞いたこともないくらい、低いアニキの声。
男達が壁になっていて見えないけど、きっと怖い顔をしている。
だって、声だけで思わずびくりとしてしまったくらいだから。
男達は声を失って固まっている。
流石、元鬼の番長。
うちの高校をシメてただけのことはある。
私はその隙に、男に体当たりをして、脇をすり抜けてアニキに駆け寄った。
「アニキ!!怖かった!!」
正面からぎゅっと抱きつくと、アニキが身を屈めて私を抱き締め、耳元で囁いた。
「すまねぇ。怖い思いさせたな」
アニキが来てくれなかったらと思うと、今更ながらに恐怖が蘇って、私は涙ぐんで指で涙を拭った。
「……てめぇら……よくも俺の妹を泣かせたな……。後悔するんじゃねぇ……」
アニキはそっと私を後ろに隠すように立たせると、男達にずかずかと近付き、蹴り上げた。
相変わらずアニキのハイキックは格好いい。
それにしても我が兄ながら実に脚が長い。
政宗より10センチほど背が高いからその分リーチが長い。
警察沙汰にならなきゃいいけど。
アニキが一発ずつクリーンヒットさせると、男達はもんどり打って腹を抱えた。
残る一人をアニキは睨みつけると低い声で一喝した。
「こいつら連れてさっさと失せろ!!じゃねぇと骨の一本や二本は保障出来ねぇ……」
「お、おい、行くぞ!!」
男達は、腹を抱えながら逃げていった。
「大丈夫か?」
アニキが心配そうに私の顔を覗き込む。
私は涙を拭ってアニキを見上げた。
「大丈夫」
「悪ぃ、俺のせいだな。コンビニ寄ってからここ来ればよかったな」
ぽんぽんと頭を叩いて、そのままわしわしと撫でてくれる。
ああ、アニキが助けてくれたんだって実感が沸いてくる。
「ううん。怖かったけど…。でも、アニキがすぐ傍にいるってわかってたから。助けてくれるって信じてたから。アニキ、カッコ良かったよ!流石元鬼の番長!」
「おうよ!ったく、それにしても、お前、可愛いんだからもうちょっと自覚しろよ。あんまり無邪気に遊んでると、さっきみたいに襲われるぞ」
「え……?」
私はアニキをきょとんと見上げた。
「可愛いって誰が?」
「お前ぇのことだ」
「嘘っ!!もう、アニキったら。身内の贔屓目もほどほどにしないと兄馬鹿って言われちゃうよ!」
私はからからと笑いながらアニキの胸を叩いた。
アニキはそんな私の手を取り、真面目な顔をして私を見つめる。
「お前ぇ……無自覚かよ……」
「何が?」
アニキは困ったように頭をがしがしとかいた。
「お前ぇ、モテるだろ?学校で」
「え〜?そんなことないよー」
「独眼竜と付き合ってるだろうが」
「んー、まあ、そうなんだけどね。でも、モテないよ。政宗以外に告白されたことないし。それに…」
言葉を切って視線を彷徨わせた私をアニキは促すように見つめてきた。
言わなきゃダメかな……。
言い難いんだけど。
でも、アニキ以外に相談できないからいっか。
「政宗、私と手を繋いだりはするけどそれ以上はしてこないよ?キスもまだだもん。きっと私の魅力がないからだよ」
アニキは呆気に取られたように目を見開いた後、何故か嬉しそうに笑った。
(手が出せねぇほど惚れていやがるのか、独眼竜は……)
「アニキ、どうしたの?何でそこで笑うの?」
「いや、何でもねぇ。お前ぇが可愛いってことだ」
(大切過ぎて手が出せねぇなんて言ったら、お前ぇはもっと独眼竜にのめり込むだろ?)
何故か一人納得している様子のアニキに私は頬を膨らませた。
「もう、アニキ、意味わかんない!」
つんと顔を逸らして、アニキに背を向けると、目の前には真っ赤な夕焼けが広がっていた。
太陽が、雫のような光線を放ちながらゆっくりと水平線に向かって落ちていく。
アニキは後ろから私をぎゅっと抱き締めた。
「モテない可哀想な妹のために、今日はいっぱい甘えさせてやるか」
「あ、ひどーい!」
「ははっ、冗談だ。綺麗な夕焼けだな!」
「うん、そうだね!」
アニキと夕日に向かって走ることはなかったけど。
海風から守るように抱き締められて夕日を見るのもいいな、と思った。
アニキの腕は逞しくて、抱き締められると安心した。
いつまでもいつまでもこうしていられるといいのにな。
世界でたった一人の、大好きな大好きなアニキ。
後ろのアニキを振り返ると、眩しいほどの笑顔を返された。
やっぱりアニキには海が似合うよ。
また海に来ようね。
Fin…
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