大学の後、バイトに行って、その帰り道が一番辛い。
真冬にバイクに乗るのなんて、40分が限界だ。
だが、車を買うほどの甲斐性はねぇし、不便なところにバイト先があるから仕方がねぇ。
家帰ったら、速攻風呂に入って寝るに限る。
とりあえず、コンビニでおでんでも買って、少し温まってから帰るとするか。
俺は、家から10分ほどのコンビニでバイクを停めた。
コンビニに入ると、生暖かい空気に包まれるが、冷え切った身体は痺れるようでなかなか温まらない。
少し暖を取ろうと、あてもなくコンビニの中をうろつく。
デザート売り場の前を通りかかり、ふと妹の顔を思い浮かべる。
今頃あいつはまだ眠い目をこすりながら勉強しているんだろう。
そんなに無理をしなくてもいいのにと思うのに、あいつは頑張る。
元はといえば、俺が浪人した挙句に私立理系に行ったのが悪いので、ちくりと心が痛む。
何か買っていってやるか。
また太るとか何とか文句を言いつつ、最終的には嬉しそうに目を細めながらデザートを食べる姿が目に浮かぶようで、自然と笑みが零れる。
なるべくカロリーが低そうなヨーグルトを二つ手にとって、カップラーメンとおでんと一緒に会計を済ませて俺はコンビニを出た。
少し温まりかけていた身体が、また夜の寒空の下で冷えていく。
火傷しそうに熱いおでんも、冷え切った身体には雀の涙ほどしか効果が無い。
これは、速攻風呂に入るしかねぇ。
家まであと10分。
その10分が恨めしいほどに長く感じた。
「ちくしょう。寒いってんだよ!」
バイクを飛ばしながら、誰にも聞こえないのをいいことに、俺は思いっきり悪態を吐いた。
「ただいま」
俺が帰宅する頃には、親父とおふくろはすでに寝ている。
返事をしてくれるのは、妹くらいだ。
でも、今日はその妹の声すら聞こえない。
俺は部屋に上がり、ジャケットを脱いで荷物を降ろし、エアコンのスイッチを入れると、着替えを持って風呂場へ行った。
洗面所には明かりが点いていて、浴室から明かりが漏れている。
一刻も早く風呂で温まりたかった俺は思わず舌打ちをした。
「てめぇ、俺が帰る時刻知ってるくせに今頃風呂入りやがって、誰だ!?」
「あ〜、アニキ?私。ごめんね〜、今半身浴しながら勉強中」
「はぁ!?勉強なら部屋でしろよ!」
「だって、美容にいいんだもん。あと30分待ってくれる?」
のんびりとした妹の声に苛々が募っていく。
指先の感覚がないほどに凍えているのに、こいつはなんて呑気なことを言ってんだ。
「てめぇ、ふざけんな!バイク乗ると体感温度が15度下がるんだぞ!マジ死にそうに凍えてるからさっさと上がれ!」
「リビングで、ストーブつけてホットカーペットの上でごろごろすればいいじゃん。あったかいよ?」
「お前ぇはバイクの寒さを分かってねぇ!!」
「あ〜、もう、仕方がないなあ。まだ髪の毛洗ってないから、洗ったら出るからリビングで待ってて」
風呂から上がる気配がしたので、俺はリビングへ行った。
ストーブをつけて、ホットカーペットのスイッチを入れる。
どちらも冷え切っていて、とても冷たい。
買ってきたカップラーメンにお湯を注いで、そのカップを両手で包んで暖を取る。
こんな凍えそうに寒い部屋で、温かいものがカップラーメンだけだなんて、とても侘しい気持ちになる。
ったく、どこのロックンローラーだ、俺は。
切な過ぎるぞ。
カップラーメンが出来上がる頃、ようやくストーブに火が点いて、俺はその前で丸くなりながらラーメンをすすった。
身体の芯は徐々に温まってきているが、腕や脚がぴりぴりとして、まだかなり冷え切っている。
俺はホットカーペットの上に座り込み、毛布を背中にかけて、ストーブの前に陣取った。
小さなストーブじゃ、全身が温まるわけがなく、がたがたと震える。
ったく、いつまで風呂に入ってやがるんだ。
空になったカップをゴミ箱に捨てて、またストーブの前で震える。
家に帰ったら、風呂で温まって。
そして、妹がまだ起きていたら一緒にヨーグルトでも食べようと思っていたのに、その妹に凍えたまま待たされて、恨めしい気持ちでいっぱいになっていく。
「ごめーん、アニキ、お待たせ」
リビングのドアが開いて、冷気が部屋に流れ込む。
俺は身震いをしながら、じとっと妹を見上げた。
妹はタオルで髪の毛を拭きながら、ほかほかと湯気を立ててのほほんとした笑みを浮かべている。
少し薄手のパジャマでうろうろ出来るくらいに温まっている妹が心底恨めしい。
「おい、すぐにドアを閉めろ!ったく、俺が帰ってくるの分かってたんだろ!?」
「うん、そうなんだけどね。政宗と電話してたら遅くなっちゃったの」
思わずこめかみにぴきりと青筋が立つ。
妹の男のせいで、こんなに侘しい思いをさせられたのかと思うと苛々が募っていく。
妹のことを思いながらヨーグルトを買っていた時に、こいつは男と電話かよ。
そう思うと、どうしようもなく寂しくなっていく。
いつもそばにいたつもりなのに、確実にこいつは手の届かないところに行こうとしている。
「アニキばっかりストーブの前ずるい!私も!」
そんな俺の気持ちを知らずに妹は、今夜は冷えるね〜なんて言いながら、ストーブの前の俺を押しのけてストーブの前に座ろうとする。
俺に触れた妹の身体は湯たんぽのように温かくて。
思わず妹を抱き締めた。
寂しさと。
寒さと。
この温もりを今だけは独占したかった。
でも、セーター越しに伝わる温もりなんてたかが知れている。
俺がセーターを脱ぎ、Tシャツ一枚になると、妹はぎょっとしたような声を上げた。
「ちょっ、アニキ、何考えてんの!?」
「ちょっと黙ってろ」
妹を後ろから抱き締めてやっと温まり始めたホットカーペットの上にごろりと横になって、毛布をかぶる。
「あったけぇ」
ふわりとシャンプーの香りがして。
抱き締めた身体は柔らかくて温かくて。
とても心地が良い。
やっと全身を温もりに包まれて震えが収まっていく。
「アニキの身体冷たいね……」
神妙な声音で妹が呟く。
「だから、しばらくこうさせてろ。じきに温まる」
薄いパジャマ越しに風呂から上がりたてのほかほかとした熱気にだんだんと身体が温かくなっていく。
「あー、このままお前ぇを抱き枕にして寝てぇなぁ」
「そんなことしたら、朝、お父さんとお母さんが見てドンピキだよ」
「だな。でも、お前ぇみてぇな抱き枕欲しいぜ」
「じゃあ、今だけアニキの抱き枕になってあげる。でも、寝ちゃ嫌だよ?私、部屋で寝るし。アニキ風邪引いちゃうよ」
「でも、このまま寝てぇな」
ぎゅっと妹を抱き締めて首筋に顔を埋めると、やっとその存在を確かめられて。
何だかホッとして。
うつらうつらと眠くなってくる。
とても幸せな気分だ。
こうしておとなしく抱かれているけれど、妹の身体は温かくて柔らかくて、やっぱりこいつは女なんだなあ、としみじみ思う。
独眼竜にくれてやるにはもったいない。
もう、震えは止まり、身体はほかほかと温かい。
眠くて眠くて意識が途切れ途切れになる。
「アニキ?アニキ?寝ちゃ嫌だよ?」
「寝てねぇよ」
「嘘。今寝息立ててたもん。あー、もう、しょうがないな」
そう言うと、妹は俺の腕を無理矢理外し、立ち上がる。
そして、ぺたぺたとリビングを歩いていく。
「おい、もう少しアニキを労われよ」
目を開けるのも億劫で、俺は不機嫌そうに声を上げた。
「はいはい、労わってあげるから」
妹の気配が再び近づいてきて。
ふわりと何かが首にかけられて俺は目を開けた。
「日付が変わったから、バレンタインだから。アニキにそれあげる」
目の前に広がっていたのは、鮮やかな紫色の手編みのマフラー。
「アニキ、肌が弱いから、毛糸選ぶの大変だったんだよ?バイク乗るのに市販のじゃ長くて嫌だって言ってたから、短めに編んだの。カシミヤほど温かくないけど、ないよりマシでしょ?」
睡眠時間を削って勉強している妹がこんなものを作ってるなんて知らなかった。
「お、おう。サンキュ」
先ほど不機嫌な声を上げたのが照れくさくて、思わずどもる。
マフラーに顔を埋めてみる。
妹と同じ柔らかい香りが仄かにした。
肌触りが良くて、全然ちくちくしない。
妹の心遣いが身に沁みて、ふつふつと喜びが湧き上がってくる。
「大事に使わせてもらうぜ」
「首を暖めると体感温度が5度上がるんだって」
そう言って、俺の前にぺたりと座る。
ほわほわと笑う妹が可愛くて。
俺は思わず手を伸ばした。
「ほう。じゃあ、こうすれば、体感温度が10度は上がるな」
俺は再び妹を引き寄せ、抱き枕にした。
まだまだこいつを誰にも渡したくねぇ。
「アニキ!私そろそろ寝ないと」
「あと20分だけこうさせてろ。お前ぇも半身浴だと思って俺に付き合え」
「そんな無茶な」
「20分経ったら、俺を叩き起こせ」
「あー、もう、仕方がないな」
腕の中でもがいていた妹がふっと力を抜く。
俺は一層強く抱き締めて、またまどろみの海へたゆたう。
「アニキの身体、あったかくなったね」
ぼそりと妹が呟いた。
その声が優しくて。嬉しそうで。
自然と笑みが零れる。
「当然だろ。世界最高の湯たんぽを抱えてるんだからな」
そう言うと、妹はくすりと笑って、ふわぁと欠伸をした。
「人を湯たんぽにしないでよ。ふわぁ……。何か、アニキの身体、あったかいから私も眠くなってきちゃったよ」
「お前ぇは寝るな。俺を起こさないといけねぇから」
「うん、頑張ってみる。アニキ、お疲れ」
それから数分もしないうちに、俺はすっかり眠ってしまった。
南の海で、船に乗りながら太陽の光を浴びている夢を見ながら。
そして、結局妹も眠ってしまったらしく、朝、両親に俺達は発見され、俺はこっぴどく叱られた。
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