10. 重なる欠片

森の泉のほとりで、俺は遙を降ろした。
遙は俺が吸血鬼だという事に気付いているに違いない。
化け物と恐れらるか。
遙に嫌われてしまったら俺は立ち直れそうになかった。
じっと遙の表情を伺う。
遙はじっと俺の瞳を真っ直ぐに見つめていた。
その瞳には怯えの色は浮かんでおらず、魅入られたように俺の瞳をただじっと見つめていた。

術はかけていねぇ。
『貴族』の容貌に魅入られただけか。
その割りに、その瞳にはしっかりと理性の色が燈っていた。

「俺は伊達政宗だ」

遙と言葉を交わすのはこれが初めてだ。

「私は…」

遙の言葉を俺は遮った。

「知ってる。遙だろう?」

遙は驚いたように目を瞠った。
当然だろう。
遙は俺がずっと遙だけを見つめて来た事なんて知らねぇから。
こうして言葉を交わしても、遙は怯えることなく俺を真っ直ぐに見ている。
それが嬉しくて、口許に笑みが浮かんだ。

「俺はこの地に400年以上も住む吸血鬼だ。お前の事は知っている」

この辺りの住民のことは、大方分かる。
でも、遙だけは特別だ。
だが、それを知られたら、途端に遙が警戒してしまうと思って、俺は敢えて告げなかった。

「そう…なんだ…」

遙は言葉に詰まり、ただ俺を見上げている。
俺は腕を伸ばし、指先でそっと遙の頬に触れた。
猫の姿では、遙に抱き締められた。
でも、こうして俺本来の姿で遙に触れるのは初めてで。
指先から伝わる遙の頬の温もりに胸がドキドキと高鳴る。
触れた指先から俺の想いが伝わってしまいそうな気さえした。
長いこと冷たい外の空気に晒されていた遙の頬は少し冷たかった。

「こんなに冷えちまって。こんな夜中にうろつくんじゃねぇ。吸血鬼に襲われるぞ。屋敷まで送ってやるから帰れ」

いつノスフェラトゥに遭遇するか分からねぇ。
俺が駆け落ちの事を知らなかったらどうするつもりだったんだ。
そう思って釘を刺すと、遙はきょとんとした表情になった後、くすりと笑った。

「何、笑ってやがる」

大体こんな時間に屋敷を抜け出しやがって。
もう少し、お前は危機感とかそういうものがねぇのか?

思わず眉を顰めると、遙は笑みを零したまま答えた。

「だって…貴方、吸血鬼なのに」

ずっとノスフェラトゥの心配ばかりしていたし、遙があまりにも普通に俺に接していたからすっかり忘れていた。

そうだ、俺は忌まわしい吸血鬼。
人間を狩る魔物。
人間とは相容れない存在。

改めて、俺達の運命は決して交わらないと告げられたような気がして、心が重く沈んでいく。

「そう…だな…」

やっと言葉を交わせた。
遙は俺に怯えなかった。
もしかしたら俺達の運命は決して平行線じゃなかったのかも知れない。
それが、とても嬉しかったのに。
突きつけられた現実は、やはり想像していた通り重かった。
俺は、何と言っていいか分からず、ただその場に佇む事しか出来なかった。
二人の間に気まずい沈黙が訪れる。
それを破ったのは遙だった。

「私…政宗になら血を吸われてもいいよ」

俺は弾かれたように顔を上げた。

そんな事、絶対に許さねぇ!!
お前は、吸血鬼がどんなに忌まわしい存在なのか分かっていねぇ!!
俺は…俺はお前にはそんな哀しい存在になって欲しくねぇんだ…。

俺の思いに気付かず、遙は言葉を続ける。

「私の人生は、操り人形みたいなものだもの。知らない人と結婚して、子を産むだけの道具なの。そんな生活から抜け出たいと思っていたけど…好きな人と結ばれたいって思ってたけど…それももう無理だから…優しい吸血鬼の手にかかるなら、そんな最期もいいかな」
「そんな事言うんじゃねぇっ!」

そのままの遙でいて欲しくて。
死にたいだなんて言って欲しくなくて。
俺は思わず声を荒げた。
遙が怯えたようにビクッと身体を震わせる。
遙の怯えた表情を見て、俺は我に返った。

遙を怖がらせたくない…。

「頼むからそんな事言わないでくれ…」

俺は遙を抱き寄せた。

こんなにも好きになってしまったから。
愛してしまったから。
だから、その存在を否定するような事だけは言わないでくれ。
俺にとっては、お前が存在すること自体に意味があるんだ。
そのままのお前でいて欲しいんだ。
お前を失いたくない。
愛しているから…。

そんな想いを込めて遙の瞳を覗き込むと、遙も俺の瞳を真っ直ぐに見上げる。
少し戸惑ったような。
俺の気持ちを探るような。
そんな色が揺れている。

やがて、遙の瞳が潤みだし、涙が盛り上がっていく。

涙の理由は分からない。
もしかしたら、怒鳴られた事への恐怖が今更ながらに蘇ったのかも知れない。
俺は遙の頭を抱き寄せた。

「Sorry, 泣くな。怒鳴って悪かった」

遙は違うというように首を横に振る。

「あの男の事か?」

遙は涙を瞳に溜めたまま、俯いた。

やっぱり遙は、あの男の事が…。

あんなに酷い事をされたのに、それでも尚、あの男を慕うのか?
俺だったら…。
俺だったら絶対に遙を捨てたりしねぇ。
ずっと前からもう長い事遙を愛してきた。
俺の記憶にない、はるか昔から、きっと。
きっと、いつの時代の俺も、お前だけを愛していたんだ。

あんな男のことなんて俺が忘れさせてやる。

「前の男の事なんて俺が忘れさせてやるよ」

遙とはもう関わらないつもりだったのに。
自然と言葉が溢れてきた。

以前もこうして遙を慰めたような記憶が蘇る。
涙を流す遙を慰めたくて俺は腕の中で涙枯れるまで泣かせてやった。

この記憶は一体何なんだ…?

遙は顔を強張らせて、そして、俺を見つめた。
先程浮かべていた表情と少し違う。
驚いたように。記憶を探るように。
俺の瞳を見つめて、何かを思い出そうとするように。
その表情は切なげで。懐かしそうで。
俺の記憶の中の遙と重なる。

遙も俺の事を覚えているのか…?
やっぱり、俺達は、いつかどこかで深く愛し合っていたのか…?

遙の視線に絡め取られたように、俺も遙しか見えなくなる。
こうして見つめ合うと、愛しさが、懐かしさが込み上げてくる。
俺は、一層遙を抱き寄せ、瞳を伏せた。
遙も俺を受け入れるように目を閉じる。

遙の唇を奪いたい。
でも、俺は遙の気持ちを何も確かめていない。
それに、俺は、遙とは結ばれない運命。
これ以上深入りしてはならない。
だから、俺は、遙の額にそっとkissを落とした。

ずっと焦がれていた遙をこうして抱き締められた。
俺はそれでもう十分だ。
これからは今までと変わらず、姿を現さないでずっと遙を見守っていよう。

「屋敷まで送る。掴まってろ」

俺は遙を抱き上げ、遙の屋敷まで送った。
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