いつかどこかで、俺達は互いの温もりをいつも分かち合っていた。
俺は血の通わない冷たい身体の吸血鬼なのに、何故かそんな記憶が蘇る。
やがて、開けた道から森へ続く小さな街道へ入ったのか、馬車がガタガタと揺れ始めた。
遙は緊張と不安の入り交じった表情で、窓の外の景色を見つめている。
俺を抱く手が小刻みに震えていて、俺は励ますように、遙の手首を舐めた。
遙は俺を見下ろすと、小さく笑ってまた俺の頭を優しく撫でる。
「慰めてくれてるの?優しい子だね。大丈夫。心配しないで」
ずっとこのまま一緒にいたい。
初めて知った温もりは、想像以上に心地良くて。
これが最後の夜だなんて信じられなかった。
このまま攫ってしまえば…。
そんな誘惑に駆られる。
このまますぐに小十郎に命じれば、遙を城に連れ帰る事は簡単だ。
でも、遙は俺が吸血鬼だと知らないから、ただの黒猫だと思っているからこんなに優しいだけだ。
本当の俺の姿を知ったらきっと嫌われてしまう。
遙に拒絶されるなんて俺には耐えられそうになかった。
後もう少しだけこうしていたい。
遙の身体に甘えるように身を寄せると、馬が嘶き、馬車が止まった。
外から小十郎が馬車の扉を開ける。
「遙様、着きました。俺がご案内出来るのはここまでです。馬車の中でお待ちになりますか?」
小十郎はちらりと俺に目配せをした。
遙を連れ去るLast Chanceだとその視線が告げている。
正直、心がぐらついた。
今、こうして感じている温もりを手放したくなかった。
それでも、俺は精一杯の強がりで、遙の膝の上から飛び降り、馬車の外に出た。
『小十郎、お前は城に帰れ。俺は遙を見送ってから城に帰る』
「ミャア」と鳴くと、小十郎の瞳に哀しげな色が浮かんだ。
「いえ、ここで結構です。約束の時間まであと15分もありませんから。ありがとうございました」
「そうですか。では、俺はここで失礼致します」
小十郎が馭者台に上がろうとすると、遙が呼び止める。
「あの…あの黒猫は貴方の猫ではないのですか?」
「猫…?さあ…。どこからか紛れ込んだんでしょうね。申し訳ございません」
「いえ…。私を慰めてくれたので、御礼が言いたくて…」
「そうですか。貴方の想いはきっと伝わっていますよ。そして、その猫も貴方の幸せを願っているはずです。遙様、どうかお幸せに」
「ありがとう」
小十郎は一礼すると、馬車に乗り、城の方角へと帰って行った。
俺も木陰から遙を見守ろうと、森の奥へ入って行こうとすると、遙が俺を呼び止める。
「猫ちゃん、お願い。もう少しだけ一緒にいて」
遙は不安げに俺を見つめている。
真夜中に森の中で独り人を待つのは心細いんだろう。
俺は遙の足元にじゃれ付いた。
くすくすと遙は笑い、草地に座り込んで、俺を膝の上に抱いた。
そしてゆっくりと俺の背中を撫でる。
時が止まればいい。
そうしたらあいつは永遠に遙の前に現われない。
そう強く願った。
そして…。
俺の願いが届いたのか、あの男はいつまで経っても姿を現さなかった。
刻一刻と時間が過ぎる度、遙は泣きそうな表情で懐中時計を見る。
遙を慰めたくて、気を引こうとしたが、遙の表情は段々と沈んで行った。
遠くから狼の遠吠えが聞こえる。
もう既に逢魔が時。
吸血鬼達の活動する時間帯だ。
俺は周囲に目を光らせた。
この一帯にいる『貴族』は基本的に俺と伊達三傑のみ。
他の吸血鬼はみなノスフェラトゥだ。
俺の敵にすらならない。
遙を守るのは簡単だが、俺が姿を現して遙を怯えさせてしまう事だけが不安だった。
森の泉に着いてからもう3時間は経っただろうか。
ノスフェラトゥはおろか、人間すら訪れない。
遙は時折涙を流し、そして強く俺を抱き締めた。
あの野郎、何してやがる!
見付けたらタダじゃおかねぇ!
遙は、滲む涙を指で拭っていたが、やがてふらふらと立ち上がり、町外れの宿場街の方角へと歩き始めた。
こんな事なら小十郎を待たせておけば良かったか。
俺は後悔しながら遙の後を追った。
町外れの宿場街に面した通りに出ると、遙は急に立ち止まった。
遙を見上げると、溢れんばかりに涙を目にいっぱいに溜めて一点を見つめている。
視線を辿ると、女の肩を抱いて歩くAndyの姿があった。
急激に怒りが込み上げて来る。
あいつ、絶対に許さねぇっ!!
Andyをどう始末しようか思い巡らせていると、遙がふらふらと街道に飛び出した。
丁度馬車が勢いよく走って来ている。
『遙っ!!Shit!!間に合わねぇっ!!』
遙は馬車に気付き、道の真ん中で茫然と馬車を見つめた。
馬車はすぐそこまで迫っている。
もう人間じゃ絶対に避けられない距離だ。
俺は本来の人型に戻ると、風のように遙に駆け寄り、抱き上げるとその場を駆け去った。
俺を見上げようとする遙を遮って、遙の身体を俺の身体に押し付ける。
この姿を見られてしまっては、俺が吸血鬼だという事がバレてしまう。
いや、もう、人では持ち得ないこの身体能力を目にしてきっと遙は俺が吸血鬼だという事に気付いているに違いない。
「じっとしてろ」
ただそう囁いて、俺は人気のない森の奥へと走った。
この姿をお前には見せたくなかった。
お前には嫌われたくなかった。
嫌われるくらいなら、遠くで見守っていられるだけで良かったんだ。
ただ、ひっそりとお前を想っていられるだけで良かったんだ…。
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