11. 贖罪

俺はテラスから遙の部屋に入り、遙をそっとベッドの上に降ろした。

長居は無用だ。
そばにいたら離れがたくなる。

本当はいつまでも一緒にいたい。
微かに蘇る記憶が何なのか確かめたい。
何より遙があまりに愛しくて、どうにかなりそうだった。

でも、俺は血に飢えた吸血鬼。
いつ発作的にどうしようもない渇きに襲われ、最愛の遙をこの手にかけるか分からない。
名残惜しいけれど、俺と遙が言葉を交わすのはこれが最後だ。

遙、Forgive me.
さっきの約束、守ってやれねぇ。
でも、あれは俺の本心、いや、願いだったんだ。
お前を傷付けるもの全てからお前を守ってやりたい。

俺は…お前を傷付けるかも知れないから、これでさよならだ。
でも、俺はいつでもお前を想っている。
お前の幸せだけを願っているから…。

さよならをとても言葉になんか出来なくて。
別れの言葉を口にしたら柄にもなく涙が溢れそうな気がしたから。
俺は無言で遙に背を向けた。
しかし、マントがくいと引かれる気配がして俺は振り向いた。

「どうした?」
「さっきの約束、本当?前の彼の事、忘れさせてくれるの?」

遙はどこか必死な、ひたむきな表情で縋るように俺を見上げていた。
俺は咄嗟に言葉が出なかった。
遙の望みは叶えてやりたい。
でも俺は吸血鬼だ。
人間とは相容れない。
いつ遙を襲ってしまうか分からない。

でも、遙があまりに不安げな表情を浮かべているから。
俺は曖昧に頷いた。

「また会いに来てくれる?」

何故、遙はこんなにも必死なんだろう。
遙が俺に会うのはこれが初めてなのに。
長い間ずっと遙だけを見つめて来た俺とは違う。

でも…。
遙との初めての出会いを思い出す。
ガキなんて俺の趣味じゃないのに何故か遙が気になって仕方がなかった。

遙も同じように感じているのか…?
俺達の出会いは運命だったと。
いつかどこかで俺達は深く愛し合っていたのか?

遙が同じ想いだったら信じられないほど嬉しいという想いと。
決して結ばれない運命の元に生まれてしまった事への絶望と。
二つの想いで心が引き裂かれる。

これ以上遙に近付いてはならない。
そう思うのに、溢れ出した想いは止められなかった。

もっと遙と言葉を交わしたい。
そばにいたい。
遙に触れたい。

俺は結局自分の欲望に敗北した。
遙を傷付けるriskを背負うのに。
それでもそばにいたかった。

せめて遙が前の男を忘れるまで…。

「毎日は来てやれねぇ。それでもいいか?」

吸血鬼の欲情は血への渇きと紙一重。
こんなにも愛しいから。
遙が欲しくなって、我を忘れて襲いかかるかも知れない。
毎日渇きに抗い続ける自信なんてなかった。
きっと今までより頻繁に狩りに出かけないと、理性を保つ事なんて出来そうになかった。

冷たい言い方だったと思う。
突き放している訳じゃねぇ。
お前を想っているからなんだ。
そんな想いを込めて遙の頭をそっと撫でた。

「それでもいい。政宗が来てくれるなら」

縋るように遙は俺を見上げた。

何でそこまでして俺に拘るんだ…?
俺は忌まわしい吸血鬼なんだぜ?
もう、数えきれないほどの人間をこの手にかけているんだぜ?

それでも、初めて遙が俺を求めてくれた事は酷く嬉しかった。
今の遙は俺だけを見つめていると感じられる。
束の間でもいいからこの幸せに浸っていたい。

俺は遙を守る。
俺自身を含んだ全てのものから。
そのためだったら、俺の手がいくら汚れても構わない。

それくらいお前が大切なんだ…。

「分かった。じき、夜が明ける。遙、またな」

俺は遙をベッドに横たえ、誓うようにそっと額にkissを落とした。
そして、窓の外に身を躍らせると蝙蝠へと姿を変えて飛び立った。

夜明けまであと数時間。
それまでに俺にはやらなければならない事がある。

遙を傷付ける奴は誰であろうと許さねぇ。

覚悟しやがれ。



配下の蝙蝠達に指令を飛ばす。
遙を泣かせたあの男を探し出せと。
伝令は瞬く間に伝わり、程なくして、高級娼館にあの男がいる事を突き止め、俺は直ちにそこへ向かった。


まず、何故遙を傷付けたのか問い質して。
それから最も残酷な死を味わせてやる。


窓には鍵がかかっていた。
俺は霧に姿を変えると部屋の中に忍び込んだ。
部屋では男女が睦み合っていた。
こんな男が遙を抱こうとしていたと思うと反吐が出る。

俺は霧から人型へと姿を変えた。
突如現われた姿に二人が慌てふためく。
逃げようとする男の肩を掴み、剣を抜きざま男の肩に剣を突きたて、壁に固定する。
悲鳴が上がるのが煩わしくて、凄まじい鬼気を発すると、男は蒼白になり、ガタガタと声もなく震え出した。
ベッドの中で女も色を失い震えている。
俺は艶然と微笑みかけて、女の頬をそっと手で包んだ。

「Sorry, kitty. 怖がらせるつもりはなかったんだぜ?用があるのはあの男だ。あいつを足止めしてくれたあんたには褒美をやるよ」

じっと見つめて首筋を撫ぜ下ろすと、女は蕩けた表情で息を乱す。

「あんな男に抱かれて感じなかっただろ?あんたにはこの世で最高のecstasyを感じさせてやるよ」

抱き寄せると女は惚けた表情のまま、俺に身体を預けた。
露になった胸を弄びながら、女の首筋に深く牙を突き立てた。
女が甘くあられもない声で喘ぐ。
俺の首にしがみつく女を抱き締め、心臓の鼓動が止まりそうなほどゆっくりになるまでその血を余す事なく味わうと女を解放した。

余韻に浸り喘ぐ女を尻目にAndyに向き直る

「何故遙を捨てた?」

押し殺した声で俺は尋ねた。
沸き起こる怒りにどうにかなりそうで、激情のままに括り殺してしまいそうだった。
この男にはそんな温い死を許すつもりなんてなかった。

Andyは目を瞠り、哀願するような眼差しでガタガタと震えた。

「駆け落ちの事が遙の父上にバレたんだ。そして、もうこの国のどこに行っても仕事が出来ないようにするって圧力をかけられたんだ。仕方ないじゃないか!遙を諦めたら手切金をくれた上で仕事を斡旋してくれるって。俺にだって生活があるんだ!遙のために全てを犠牲にする訳にはいかないんだよ!なぁ、分かってくれよ!」

その時、俺の中で何かがブチリと切れた。
俺は剣の束に手をかけ、一層深く、男の肩に剣をめり込ませた。

こいつの遙への想いはそんな程度だったのか。
全てをかけても守りたいなんて、欠片ほども思っていなかったのか。
こんな男のために、遙は淋しい森の奥で、一人心細い思いをしながら待ち続けたのか。

「そんな気持ち、分かりたくもねぇな。遙がどんな気持ちであんたを待っていたと思うんだ。そんな生半可な気持ちで遙を奪おうなんて笑わせるぜ。愛した女なら、命くらいかけて守ってやれよ!」

Andyは目を見開くと、口許に嘲るような笑みを浮かべた。

「お前、遙に恋をしたのか?」
「っ…!」

図星を突かれて言葉に詰まると、Andyはせせら笑った。

「吸血鬼のくせに。吸血鬼が人間の女を愛するなんて馬鹿げてる。遙がお前なんて受け入れる訳ない。それとも魔法でもかけて遙を意のままにするのか?それがお前の言う遙の幸せなのか?汚らわしい吸血鬼のくせに!」
「Shut up!」

俺は力任せにAndyを殴り付けた。

「神に呪われたお前が遙を幸せに出来るはずがない!お前と俺は同じなんだよっ!」
「黙れっつってんだろ!」

尚もAndyを蹴り上げると、身体がぐいと後ろに引かれた。

「政宗様、お止めなさい。人目に着きます」
「っ…小十郎…」

小十郎は気遣わしげな視線で俺を見つめ、そして、Andyに視線を移した。
汚らわしい物を見るような冷たく侮蔑に満ちた視線だった。

「政宗様のお手を煩せる程の価値もありませぬ。闇の子ども達を召喚致しました。政宗様はごゆるりとご覧下さい」

闇の子ども達…。
『貴族』直属の魔物だ。
闇の子ども達の手にかかって命を落とした人間の魂は未来永劫救われない。
この男には相応しい末路だ。

俺はやっと身体から力を抜いた。

「I see. 盛大なpartyを期待しているぜ」
「この小十郎にお任せを。政宗様を侮辱した罪、死をもってしても温い。覚悟は出来てるんだろうな」

小十郎はAndyに向き直ると背筋の凍るような酷薄な笑みを浮かべた。
Andyは息を呑み、ガタガタと震え出した。
小十郎はAndyを拘束し、馬車の荷台に運び込んだ。


城に戻ると処刑が始まった。
配下の魔物が逃げ惑うAndyを弄ぶようにいたぶり、生きながらにして食らっていく。
その光景を俺はぼんやりと眺めていた。
俺の望んでいた結果なのに、俺の心は晴れなかった。
Andyの台詞が蘇る。

『神に呪われたお前が遙を幸せに出来るはずがない!お前と俺は同じなんだよっ!』

あいつに言われなくてもそんな事、分かっている。
ただ想っていられるだけで幸せだったんだ。
誰よりも深く愛しているのに。
この想いすら呪われているのか…?


遙…。
一体どこの世界に生まれ落ちたら俺達は結ばれるんだろうな…。
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