12. こころ

遙と初めて言葉を交わして一月が過ぎた。
俺は遙と約束したものの、会って一体何を話せばいいのか考えあぐねて、狩りに出かける時も、わざわざ遙の屋敷を避けていた。

遙に会いたい。

ずっと遠くから遙を見つめる事にあまりにも慣れていた俺は、いざ遙と言葉を交わせるようになると、どうしたら良いか分からなかった。
今日も城のバルコニーに出て、夜空に浮かぶ月を眺める。

遙はもう俺の事なんて忘れてしまっただろうか。
あの男に捨てられた哀しみから、一時の気の迷いで俺を求めたんじゃないだろうか。
もしそうだとしたら、今更遙に会いに行っても遙にとって迷惑なだけだ。

もし俺が人間だったら何の迷いもなく遙に会いに行けるのに…。

俺は溜め息を吐いた。
ここの所、月を見上げる度に溜め息を吐いている気がする。

遙もこうして俺を焦がれているのか。
いや、きっと我に返って俺の事なんて忘れようとしているに違いない。

俺の思考はいつも袋小路に行き詰まり、そして夜が明けていく。
満月は大分西の方角へ傾いている。
今日も何もしないまま、一日が終わってしまう。
俺はまた深い溜め息を吐いた。
すると、背後から忍び笑いの気配がした。
振り向くと、小十郎が苦笑いを浮かべて俺を見つめていた。

「最近溜め息が多いですね」
「うるせぇ」

俺は眉を顰めると、また月を見上げた。
すぐ隣りに小十郎がやって来て、俺と同じように月を見上げる。

「遙様に会いに行かれないのですか?」

遙には会いたい。
約束もした。
でも、どんな顔をして会いに行ったらいいか分からねぇんだ。

俺が人間の前にこの姿を現すのは人間を狩る時だけ。
狩りをする訳でもなく、人間と会ってどうすればいいかなんて分からなかった。

「きっと遙は俺の事なんて忘れてる。一時の気の迷いだったんだ」
「何故そう思われるのですか?」

小十郎は俺に視線を移して、じっと俺の顔を見つめた。

「俺は…吸血鬼だ。人間に忌み嫌われている。あの男が言った通り、汚らわしい魔物だ。遙は男に捨てられて気が動転していただけだ」
「それはご自分で確かめられたのですか?」

俺は言葉に詰まった。
俺は狩りに出かけても、以前のように遙の様子を見に行っていない。
遙に会うのが怖かった。
今度こそこの想いに終止符が打たれると思った。
言葉を探して視線を落とすと、小十郎が静かな声で呟いた。

「政宗様が毎晩月を見上げているように、遙様も月を見上げていらっしゃいますよ。遙様は政宗様をお待ちです」

俺は弾かれたように顔を上げた。

「何でお前がそれを…」
「狩りの度に様子を見に行っておりますから」

小十郎は温かい笑みを浮かべた。
でも、俺は素直になれなくて。
遙が月を見ている事と、俺とは関係ねぇ。
そんな思いが胸の中で渦巻いた。

「遙が月を見上げているからって、俺を待ってるとは限らねぇだろっ」

ふいと顔を背けると、小十郎は溜め息を吐いた。

「やれやれ。何を拗ねておいでです」
「拗ねてなんかいねぇ」

俺は手摺に肘を着いて、頬杖をつくと顔を顰めた。
小十郎はまた月を見上げる。

「満月の晩は人間にとっても夜空が明るく見えるんですよ。今日の狩りの帰り、遙様の様子を見に行きました。遙様はテラスで月を見上げていらっしゃいました。そして、俺の姿を…つまり蝙蝠の姿を見つけると表情を輝かせて…でも、結局俺がそれ以上近付かなかったので、大変落胆した様子でお部屋に戻られました」
「What!?」

俺は驚いて小十郎を振り向いた。

「それが何を意味するかお分かりになりますね?」

蝙蝠の姿を見つけて表情を輝かせた…。
あの日、遙は蝙蝠に変身した俺の姿を目撃している。

遙は俺を待っている…?

喜びで胸が苦しくなるほどにときめく。
不安が淡雪のように溶けて行くのを感じながらも、それでもまだ俺にはどうすればいいのか分からなかった。

「でも…遙と会ってどうすればいいか分からねぇ…。遙は人間だ。俺とは違う」

そう呟くと小十郎の表情が僅かに険しくなる。

「政宗様は一つ大きな誤解をしてらっしゃいます」
「誤解…?」

訝しげに眉を吊り上げると小十郎は頷いた。

「この小十郎、人間であった時も、『貴族』になった後も、何一つ変わったつもりはございませぬ。人間が家畜を食らう代わりに人の血を啜るだけ。昼間ではなく夜に活動するだけ。それだけでございます。人の心も『貴族』の心も変わりませぬ」
「でも…俺は遙を襲っちまうかも知れねぇ。それが怖いんだ」

絞り出すような声で呟くと、小十郎は幾分表情を和らげて俺を見つめた。

「政宗様の想いは、血の渇きに屈してしまうほど弱いものなのですか?その程度の想いなのですか?」
「んな訳ねぇだろっ!遙は…遙はこの世界でたった一人、誰よりも守りたい女なんだ!…遙の幸せのためだったら、他の男に譲る事も厭わねぇ。俺自身はいくら傷付いても構わねぇ。お前だって分かってんだろっ!?」

小十郎の胸倉を掴んで揺すると、小十郎は柔らかい笑みを浮かべた。

「ええ、よく存じておりますよ。伊達にお傍で政宗様の事を拝見しておりませんから。その想いがあれば大丈夫です。もっとご自分を、そして遙様を信じて下さい」

俺は言葉を失い、小十郎を解放した。
俯く俺の肩を小十郎がポンと叩く。

「政宗様の想い、必ずや遙様に届きます。くれぐれも後悔だけはなさいませぬよう。明日は十六夜。綺麗な晩になるでしょうね。では、小十郎はこれにて失礼致します」

小十郎は一礼すると城の中に戻って行った。
俺はまた月を見上げた。

遙は約束を忘れてなんかいなかった。
俺を待っていた。
ふつふつと喜びが沸き起こって来る。
でもやっぱり不安だった。

遙を傷付けたくない。
何にも悩まされる事なく、ただ愛したい。

俺にそれが出来るんだろうか…。

俺はまた深い溜め息を吐いた。
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