今宵は十六夜。
ゆっくりと中天に昇っていく月を眺める。
蒼白い月は、柔らかく静かな金色の光を放っていた。
遙は今夜もこうして月を眺めて俺を待っているのだろうか。
もう、後には引けねぇ。
遙がAndyを忘れるまで…。
その間だけは遙のそばにいよう。
俺があいつを葬り去った事を知ったら遙は悲しむだろうな。
きっと嫌われてしまうに違いない。
やっぱり俺は血塗られた魔物。
遙とは結ばれない。
それでも最後に一度だけ夢を見てもいいだろう?
遙に触れたいんだ。
もう一度だけ…。
俺は蝙蝠に姿を変えるとバルコニーから飛び立った。
遙の部屋の前に着くと、遙は一心に夜空を見上げていた。
そして、俺の姿を見つけると、期待と不安が綯い交ぜになった表情を浮かべた。
遙のすぐそばに飛んで行って、本来の人型の姿に戻る。
遙は今にも泣きそうな顔で俺を見つめた。
「もう会えないかと思った…」
「Sorry, 泣くな」
遙の頬をそっと撫でると、遙は俺の手を取り頬に押し当て目を閉じた。
俺の手の感触を慈しむような表情に戸惑う。
血の通わないこの手に温もりなんてない。
「遙…?」
「もう少しだけこうさせて…」
まるで会えなかった日々の寂しさを埋めるように、俺の存在を確かめるように、遙は俺の手を華奢な手で包み込む。
互いの指先から想いが伝わるような気がした。
遙も俺と同じ想いを抱いているような気さえした。
遙の手も頬も冷えきっていた。
一体いつから遙は俺をこうして待ち続けていたんだろう。
俺のこの冷たい身体では抱き締めて遙を温めることすら出来ない。
俺は遙の肩を抱いて部屋に促した。
「こんなに冷えきっちまって。早く部屋に入れ」
「うん」
俺が遙の部屋に入る意思を見せたので、遙は嬉しそうに微笑んだ。
初めてこの姿に向けられた笑顔に、胸が苦しいくらいにときめく。
俺はこのときめきを悟られないように、小さく笑って遙と共に部屋に入った。
テーブルに着こうとする遙を制して、半ば無理矢理遙をベッドに連れて行く。
「政宗!?」
ベッドの上に押し倒すと、途端に不安そうな表情になる遙の頭をくしゃりと撫でる。
「バーカ、何もしねぇよ。ったく、昨日もろくに寝てねぇんだろ?眠るまでここにいてやるから早く寝ろ」
「知ってたんだ…」
「ああ」
遙は途端に拗ねたような表情になり、ブランケットを口許まで引き上げた。
「酷い…私が待ってるのを知ってたくせに会いに来てくれなかったなんて…。昨日の蝙蝠も政宗だったの?」
じっと拗ねた目で見つめられて、困惑する。
遙がこんなにも俺を焦がれてたなんて知らなかった。
『貴族』に魅入られた訳じゃない。
純粋に俺を求めている。
人間にこんな感情を向けられたのは初めてだった。
「昨日のは俺じゃねぇよ。俺と同じ『貴族』だけどな。お前が俺を待ってるって知らせてくれた。だから今日、俺はお前に会いに来た、you see?」
「貴族…?」
首を傾げる遙の頭をそっと撫でる。
「ああ。吸血鬼には、魔力を持つ者と持たない者がいる。蝙蝠に姿を変えたり、嵐を呼んだりな。魔力を持つ吸血鬼を『貴族』と呼んでる」
「そうなんだ。知らなかった…」
「知ってるのは吸血鬼ハンターくらいだぜ?知らなくて当然だ」
「吸血鬼ハンター!?政宗、狙われてるの?」
「まあ、な」
みるみるうちに、遙の瞳に涙が溜まっていく。
「遙、お前…」
何故だと問う前に、遙は身体を起こして俺にしがみついた。
「死なないでっ!政宗が死ぬのは嫌っ!」
「遙、落ち着け」
俺は遙を抱き留め、あやすように背中を撫でた。
背中に回された腕が、俺を強く抱き締めている。
俺は何故か既視感を覚えた。
いつかどこかで遙はこうして俺に縋るようにして抱き付き、そして涙を流していた。
離れたくないと泣いていた。
この記憶は何なんだ…?
また胸が苦しいくらいに騒ぐ。
俺も遙を離したくなかった。
ずっとそばにいたかった。
ずっと抱き締めていたかった。
こうして抱き合うと、覚えのない記憶と遙への恋心が重なって、愛しいという気持ちが溢れ出してどうにかなりそうだった。
遙の頬に手を添えて顔をそっと上げさせる。
視線が絡み合うと、時が止まったような気がした。
遙の瞳には、俺を恋慕うような色が揺れていた。
まるで遠い昔から愛し合っていたように。
ずっと離れ離れになっていた二人が再び巡り合ったかのように。
音も景色も全て遠ざかり、遙しか見えなくなる。
遙の甘く熱い視線に吸い寄せられるように、俺は顔を近付けた。
遙もすっと目を伏せる。
唇が重なるまであと数センチ。
遙の温かい吐息を唇に感じて、改めて俺の唇の冷たさを思い知った。
人ならぬその冷たさを。
俺は遙とは結ばれない。
遙は人間で、俺は呪われた魔物。
どんなに焦がれても、一線を越えてはならない。
俺は遙の唇の端に、そっと触れるだけのkissを落とした。
遙は驚いたように目を瞠って、口付けの痕を手で押さえた。
俺は遙の頭をくしゃりと撫でた。
「悪ぃ…その…冷たかっただろ?悪かった…もうしねぇから」
遙はふるふると首を横に振った。
「ううん、謝らないで。嫌じゃなかったから…。ねぇ、政宗。私達、どこかで会った事ある?」
胸がドキリとした。
遙も、以前、俺と会った記憶があるのか…?
「いや、この間の晩が初めてだぜ。俺は何度かお前を見かけたが、言葉を交わすのは、あれが初めてだ」
「そう…だよね…」
遙は困惑した表情で俺を見上げている。
俺はそっと遙を横たえた。
「いいから、もう寝ろ」
遙は物言いたげに口を開きかけたが、ゆっくりと髪を梳いてやると、心地良さそうに目を閉じた。
「なあ、遙」
「なあに?」
「お前、よく三日月を見上げてるよな。何故だ?」
遙は薄っすらと目を開けた。
「よく知ってるね。何でだろう。自分でもよく分からないの。三日月を見てると、何だか懐かしいような、切ないような気持ちになるの。胸が苦しくなるくらい『会いたい』って思うの。でも、誰か分からないの。変だよね…」
俺は何も答えられなかった。
俺の護符の紋章は三日月。
ただの偶然には思えなかった。
遙が会いたかったのは、多分俺だ。
遙、ゴメンな。
俺、お前と同じ人間に生まれて来れなかった。
折角巡り合えたのに、この世界じゃお前と結ばれねぇ。
遙は俺の手をそっと握った。
「眠るまでそばにいてくれる?」
「ああ」
「また会いに来てくれる?」
「…ああ。約束したからな。前の男を忘れさせてやるって」
遙は哀しそうに睫毛を震わせ、俺の手をギュッと握り締めた。
「早く会いに来てね」
「ああ。でも毎日は無理だ」
「うん。待ってるから。ずっと待ってるから」
遙のいじらしい物言いに胸が締め付けられた。
愛しくて。愛しくて。
いつまでもそばにいたかった。
抱き締めたかった。
でも、これ以上深入りしたら、戻って来れなくなる。
俺はもう戻れない。
でも、遙はまだ間に合う。
遙はいつかは人間の男と幸せになるべきだ。
俺の事なんて忘れて。
遙…、許してくれ。
お前の望みは叶えてやりたい。
でも、無理なんだ。
あと少しだけはそばにいてやる。
その後は永遠にサヨナラだ。
でも、俺は変わらずこれからも愛し続けるから。
今までと変わらず、これからもずっと…。
政宗に言わなかった事があるの。
私が何故三日月を見上げていたか。
ずっと誰に会いたいか分からなかった。
でも、初めて政宗に会った時。
見つめ合った時。
やっと会えたと思ったの。
ずっと前から政宗を探してたって気付いたの。
きっと私達は別れてしまったんだね。
三日月を見る度、切なくて、恋しくて、哀しい気持ちになっていたから。
だから私は決めたの。
もう貴方を離さないって。
ずっと貴方を探していた。
私はもう二度と過ちを繰り返さないから…。
愛しい貴方を、私はもう離さない…。
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