私を何度か見かけただけと言う割に、私の事をよく知っていて驚かされた。
同時に、そんな昔から私の事を見ていてくれて、とても嬉しかった。
単に吸血鬼というものは、人間よりもはるかに寿命が長く、記憶力がいいだけなのかも知れない。
吸血鬼は人間の血を啜って生きる魔物だという知識しかない私には分からない。
ただ、政宗が私の事を覚えていてくれたのは、私が政宗を懐かしく恋しく思ったように、政宗も同じ想いを抱いていたからだったとしたらどんなに嬉しいだろうと思った。
あの日、初めて出会った日、そして、政宗が初めて私を訪れてくれた時も視線が絡み合った。
あの時、政宗も同じ気持ちを抱いているように思えた。
でも、政宗は何も言わない。
ここを訪れるのも10日に一度くらい。
私が思い上がっているだけなのだろうか。
政宗の気持ちを確かめたい。
でも、真実を知ったら今までのように政宗に会えなくなるような気がする。
結局そうして私は政宗の気持ちを確かめる事が出来ず、ただ彼がこうして私を訪れてそばにいてくれる事が幸せで、政宗の指の感触の心地良さにいつしか深い眠りに落ちていくのだった。
政宗を待ちながら、月を見上げる時はいつも不安だった。
もう、政宗は来てくれないんじゃないかと、不安で不安で、鉛を飲み込んだように心が重たく沈んで行く。
いつしか、三日月の晩だけでなく夜空を見上げる度に、私は切なくて恋しくて、『会いたい』という気持ちに駆られるようになっていった。
「遙、昔はピアノが下手だったけど、随分上手くなったよな」
「えっ!?ヤダ、聴いてたの?いつから?」
「モーツァルトのきらきら星変奏曲を弾いてた頃からだ。第一変奏曲は弾けるのに、あの頃は次から諦めモードだったな」
「もう十年近く前じゃない。何で覚えてるの?恥かしい…。あの頃はまだピアノを始めてそんなに経ってなかったもの。それまではずっとバイオリンを弾いてたんだけど、やっぱり音楽の才能ないみたい。どっちも苦手」
恥かしくてブランケットを口許まで引き上げると、政宗は喉の奥でクッと笑って私の手を取った。
「お前のバッハとベートーベンはいいぜ。こんなに小さな手で弾いてたんだな。だからレパートリーに限りがあったのか」
「もう…あまり苛めないでよ。どうせ手が小さくて、綺麗に和音が弾けないもの」
私は拗ねてしまって顔を背けた。
屋敷の奥だから家人しか聴いていないと思っていたのに政宗に聴かれてたなんて。
恥かしくて顔から火が出そうだった。
政宗がそっと私の頬を撫でる。
「拗ねるなよ」
「政宗の意地悪」
尚も顔を背けていると、政宗がまたあやすように私の髪をゆっくりと梳き始めた。
「でも、お前にしか出せない音色があるぜ。この400年、色々なピアノを聴いてきたが、あんなに心を打たれたのは初めてだ」
私は興味を引かれて、恐る恐る政宗の表情を伺った。
政宗は優しい笑みを口許に浮かべていた。
「どの曲…?」
「ショパンの夜想曲、作品9の2」
「あ…」
甘くて優しい、繊細な旋律の曲。
初めて先生が弾いてくれた時、すぐに虜になった。
夜想曲は恋人に捧げる曲なのだとその時教えてもらった。
ピアノが苦手な私だったが、どうしてもこの曲だけは弾きたかった。
弾いていると自然と感情が溢れ出して来た。
夜想曲を弾くたび、胸の奥が苦しくなるような、切なくて甘い気持ちでいっぱいになっていく。
壊れそうなほど優しくて繊細な恋。
時に激しく身を焦がすような。
どこか懐かしいような気持ちさえした。
三日月を見上げている時に感じる想いとどこか似ていた。
記憶にはないのに、いつか誰かとこんなに優しくて幸せな恋をしていたような気がした。
温かな腕で抱き締められて、見つめ合って甘いキスを交わして。
切ないくらい幸せな恋だった。
先生には古典の解釈とは違うと叱られたけれど、私は弾き方を変えなかった。
私の想いをこの旋律に乗せて、誰かに伝えたかった。
「誰を想って弾いてたんだ?」
ふと政宗が呟くように問いかけた。
「分からないの…」
政宗はじっと私の瞳を覗き込んだ。
「あの男か?」
ふるふると首を横に振ると政宗はすっと目を逸した。
「お前にあんな旋律を奏でさせた男に妬けるぜ」
苦り切った様子の政宗に胸がドクンと脈打つ。
今、何て言ったの…?
『妬ける』って…。
それって、もしかして、もしかして…。
やっぱり政宗も私を想ってくれているの…?
「妬いてくれてるの…?」
政宗の腕をくいと引くと、政宗はハッとしたように、手で口許を覆った。
「忘れろ」
困ったように視線を彷徨わせる政宗の腕を更に強く引く。
「誤魔化さないで。私、政宗が妬いてくれたら嬉しい…」
「遙…?」
私は身体を起こして政宗の手を両手で包むと、政宗をじっと見つめた。
「政宗が好きだから…」
驚いたように政宗が目を瞠る。
少し眉間に皺を寄せて困ったような表情をしている。
それでも私の気持ちは止められなかった。
政宗が妬いてくれた。
あの時感じた政宗の想いは私の錯覚なんかじゃなかった。
私は政宗の背中に両腕を回して抱き付いた。
記憶とは違う、冷たい身体。
それでも政宗の温かくて優しい気持ちが伝わって来た。
政宗の胸に顔を埋める。
政宗は私の顔を上げさせた。
「遙、止めろ。俺は吸血鬼だ」
「知ってる」
政宗は私を咎めたけれど、その声音はとても優しかった。
戸惑うような色が隻眼に浮かんでいる。
私は一層強く政宗を抱き締めた。
政宗がビクリと身体を震わせる。
「Hey, 遙…」
「政宗を想って弾いてたんだよ」
政宗は身体を強張らせ、信じられないというような表情で私を見た。
「三日月を見つめていた時、夜想曲を弾いていた時、すごく『会いたい』と思っていたの。その時は誰か分からなかったけど、政宗に初めて会った時に分かったの。私は政宗を探していたんだって。ねぇ、私達、遠い昔に会った事あるよね?」
私は縋るような想いで政宗を見上げた。
政宗はまだ困惑したような表情を浮かべていたが、やがて溜め息を吐くと、私を抱き締め、首筋に顔を埋めた。
「遙、ゴメンな。俺、お前と同じ人間に生まれて来れなかった。こんなに大切なのに。ずっとそばにいたかったのにっ」
政宗の声は震えていた。
抱き締める腕に力が籠る。
まるで政宗が涙を堪えているように思えた。
「初めてお前を見付けてからずっと、お前だけを見つめてた。記憶にないくらい遠い昔からずっとお前が好きだった。愛していた。でも…無理だ。お前は人間で、俺は吸血鬼だから」
「そんな哀しい事言わないで。政宗が吸血鬼でも構わない。やっと会えたのにっ!」
政宗をそっと引き剥がすと、政宗の頬に涙の痕が一筋残っていた。
唇を寄せて、涙の痕にそっとキスをする。
政宗は身体を強張らせたけれど、私を止めようとしなかった。
政宗の瞳から、静かに新たな涙が一筋流れる。
唇を寄せてそれを吸い取る。
もう溢れる想いは止められなかった。
視線が絡み合うと、私は自ら政宗の唇を求めた。
政宗の頭を引き寄せると、政宗も焦がれたように私を抱き締めた。
唇が重ねられる。
柔らかく優しい蕩けるようなキスだった。
身体が甘く痺れて火照ってくる。
何度も角度を変えながら、甘いキスを交わす。
記憶の中のイメージと重なる。
切ないくらい幸せな気持ちでいっぱいになっていく。
柔らかな唇から政宗の想いが伝わって来た。
口付けが段々と深くなっていき、縋るように政宗に抱き付くと、唐突に突き飛ばされた。
私は驚いて、茫然と政宗を見つめた。
「政宗…?」
政宗は胸をかきむしるように苦しみながら、私に背を向けた。
慌てて政宗に手を伸ばそうとすると、鋭い声で制止される。
「触るなっ!見るんじゃねぇっ!っはっ…」
「でも…」
うろたえる私に背を向けたまま、政宗は絞り出すような声で懇願した。
「こんな俺の姿、お前には見られたくなかった。お前に欲情して血を啜りたくなるなんてな。だから頼む、見ないでくれっ…」
荒い吐息を吐く政宗を目の前にしても、私にはどうする事も出来なかった。
でも…。
ただ一つだけ、政宗を救う方法がある。
「政宗…我慢しなくてもいいんだよ。私、政宗だったら…」
「そんな事言うんじゃねぇっ!俺がどれほどお前を大切に思ってるか、お前は分かってねぇっ!」
振り返った政宗は額に玉のような汗を浮かべていた。
唇からのぞくのは、先程まではなかった鋭い牙。
政宗の全身から鋭い鬼気が発せられる。
それでも私は怯まなかった。
政宗と離れてしまうくらいなら、どんな事でもするつもりだった。
「政宗のためだったら、私、吸血鬼になっても構わない!」
「ダメだっ!吸血鬼は哀しい存在だ。お前には幸せになって欲しいんだっ!」
政宗がそう叫んだ瞬間、部屋のドアが激しく叩かれた。
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