15. この愛すらも罪ならば

「遙!遙っ!!ここを開けなさい!」

激しく叩かれるドアの音に俺は我に返った。
血への渇きが急激に薄れていく。
身を翻して窓へ駆け寄ろうとすると、遙が俺に追い縋った。

「嫌!行かないで!」

別れを予感しているのか、遙の瞳にみるみるうちに涙が盛り上がっていく。

「私も連れて行って!」
「ダメだ」

本当はずっとそばにいたい。
出来る事なら連れ去りたい。
でもそれは遙に人ならぬ道を歩ませる事になる。
遙を城にかこってずっとそばに置く事も出来るが、人の身であれば、それは狼の群の中に子羊を投げ入れるようなものだ。
昼間、完全に意識を失っている俺に遙を守る事は出来ない。

こうして想いを交わす事が出来た。
ずっと遠くから見守る事しか出来ないと思っていた遙と触れ合う事が出来た。
俺にはそれでもう十分だ。

それに…。
やっぱり俺は吸血鬼だ。
遙を慈しみたいのに、深く触れ合うと欲情して血に飢えてしまう。
どんなに遙が大切でも、この呪われた血脈には抗えない。

俺は遙から離れるべきだ。

「遙、sorry. もうそばにいてやれねぇ」
「そんなっ!!」
「ずっと見守っているから。だから泣くな」
「そんなの嫌っ!そばにいてくれなきゃ嫌っ!」

俺のマントを握り締め、涙を零しながら首を横に振る遙を抱き締める。
これが最後の抱擁だと思うと、胸が締め付けられた。
俺だって、この温もりを手放したくない。
この温もりは俺だけのものだ。
切なくて、哀しくて、俺は遙をキツく抱き締めた。
腕の中で遙がしゃくり上げる。
その顔を上げさせて、俺は奪うように口付けた。

最後のkissは、涙の味がした。

離れがたくて、何度も口付けを交わしていると、ドアが蹴破られた。
部屋に男達がなだれ込む。
俺は遙をそっと押しやり、窓の方へ飛びすさった。

「遙っ!お前は何という事をっ!汚らわしい吸血鬼と情を通じたのか!?」

遙の父親と思しき人物に遙は引き倒され、首筋を露にされる。

「咬まれた痕がない…。まさか、お前はもう吸血鬼に…」
「親父さん、気を落とすのはまだ早いぜ」

ハンターの身なりをした男が低く笑いながら、遙に小瓶の中の水を振りかけた。

「きゃっ!」

顔に降りかかった水を遙が拭う。
間違なく、中身は聖水だろう。
怪訝そうな遙を見て、男は愉快そうに声を立てて笑った。

「あーっはっはっはっ!こりゃあいい!吸血貴族名門の伊達政宗が、人間の女に懸想して、手ぇすら出してねぇとはな!そんなにこの女が大切か?」

男は下卑た笑みを貼り付けて俺を見た。

「あんたに教えてやる筋合いはねぇな」

男を見据えたまま、俺は窓から飛び立とうとした。

「おっと、逃げるんじゃねぇ。この女がどうなってもいいのか?」

男は遙の父親の腕の中から遙を奪い取ると、遙の首筋にナイフを当てた。

「テメェっ!遙は関係ねぇだろっ!?」
「そうだ!娘を離せっ!」
「そうは行かねぇな。『貴族』も稀に、気紛れに人間の女を孕ませる事がある。可愛い遙ちゃんが、汚らわしい吸血鬼に抱かれてねぇなんて、誰が証明出来る!?証明される前に魔女裁判にかけられて死ぬのがオチだ。伊達政宗に魅入られた時点でこの女の命は終わりなんだよ!」

遙の父親はがっくりとうなだれた。

「だが、助けてやらねぇ事もねぇ。この女の命を俺に預けろ。伊達政宗が俺に従ったら、教会の連中には黙っていてやる。あんたはそこで指を咥えて待ってろ」

ニヤリと笑うとハンターは俺に向き直った。

「さあ、どうする、伊達政宗?この女を見捨てて城に逃げ帰るか?お前が逃げたところでこの女を待つ運命は魔女裁判だ」

男の瞳は狂気の色に染まっていた。
こいつは本気で遙を傷付けようとしている。
人間は吸血鬼を汚らわしくて残虐だと言うが、俺から言わせてみれば、人間の方が残虐だ。
裁判の名の下に、惨たらしい拷問を課し、いわれの無い罪状で生きたまま火炙りに処する。
遙をそんな目に遭わせたくなかった。
俺は間合いを十分に取り、部屋の中に戻った。

遙の首筋に当てられたナイフを見る。
男が遙を致命傷を与える前に、何とかやつに打撃を与えられないか。
あいつがただの人間だったらそれも可能か。
ゆっくりと手を上げると鋭く男が制止する。

「勝手に動くんじゃねぇっ!生憎だが、俺はダンピールでな。あんたと同じ、汚らわしい血がこの身体に流れてるんだよ。まあ、そのお陰でこうしてハンター稼業が出来てるがな。この距離じゃ、お前にはどうする事も出来ねぇ。お前が少しでもおかしな真似をしたら、この女を殺す!」

俺は手を下ろして戦う意思がない事を示した。
ダンピールは人間と吸血鬼のハーフ。
吸血鬼の身体能力と弱点をその身に受けている。
この距離からでは、どんなに『貴族』の戦闘能力が高くても、相手がダンピールでは分が悪い。

「政宗、逃げて!ごめんなさい。私が引き止めたりしたからっ」

遙がポロポロと涙を流す。
その涙を拭ってやりたいのに、俺にはどうする事も出来なかった。

「遙、お前のせいじゃねぇ。俺が悪いんだ。吸血鬼の身でお前を愛してしまった事が罪なんだ」
「政宗…」
「どうすれば遙を解放する?」

俺は男を睨み付けた。
ニヤリと勝ち誇ったように男は笑った。

「まず、竜の爪を寄越せ」

竜の爪は伊達家に伝わる宝剣。
強い雷属性を帯びていて、一振りで山をも砕くものだ。
こんな男の手に渡るべきものではない。

それでも遙の命と比べれば、取るに足らない価値しかない。
他の『貴族』から言わせてみれば、何て愚かな選択だろう。
でも、俺にとって、遙の存在は何物にも代えがたかった。

「いいだろう」

俺が腰のベルトに手をかけると、男は警戒して、ナイフの切っ先を遙の首筋に突き立てた。
糸のように細い血の筋が遙の首筋を伝っていく。
俺は竜の爪を外すと無造作に放り投げた。

「これで満足か?遙を解放しろ」
「ハッ!その程度で解放できるくらい、この女の命はお前にとって軽くねぇよなぁ?」

男は遙を拘束している腕にナイフを持ち替え、ポケットの中から小瓶を取り出し俺の方へ放り投げた。

胸の奥がムカつき軽い眩暈に襲われる。
深海のような蒼い色をした小瓶を俺は見つめた。
きっと中身は聖水だ。
幼い頃、俺の右目を焼いた聖水。
俺の右目は醜く爛れ、そのせいで母上の愛情を永遠に失ってしまった。
聖水で焼かれた傷跡は例え吸血鬼でも治らない。
男は俺の心を見透かしたように笑った。

「ハンターの間じゃ有名な話だぜ?伊達政宗は幼い頃、ハンターに聖水で右目を焼かれ、母親の愛情を永遠に失ったってな。その綺麗な顔を愛する女の前で自ら焼いて、再び愛する女の愛情を失うがいい!俺の兄貴のかたきだ!」
「そんな酷い事止めてっ!」

遙が男の腕の中でもがく。

「遙、動くなっ!今、助けてやるから」
「政宗っ!ダメっ!」

俺は震える手で小瓶を拾いあげた。
幼い頃の恐怖と絶望が蘇る。
それに抗いながら俺は瓶の蓋を開けた。
遙を救うためだったら、この顔を焼くくらい何でもない。
男は満足そうに喉の奥でくつくつと笑った。

「遙、頼むから目を瞑っていてくれ。俺の醜い顔を、お前にだけは見られたくねぇんだ」

ゆっくりと瓶を掲げ、顔に向かって傾けようとした刹那、遙が自分の前髪をぐっしょりと濡らしていた聖水を手に取り、男の頬に押し付けた。

「ギャアアっ!!」

男はダンピール。
吸血鬼にとって聖水が強酸であるのと同様に、ダンピールの肌をも焼く。

男の腕の拘束が緩み、遙はハンターの腕の中から逃げ出し、俺に駆け寄ろうとした。

「遙っ!」

俺も遙に向かって腕を伸ばす。
遙の肩越しに、男が片手で顔を覆いながら、ナイフを遙の背中に向かって投げるのが見えた。

「遙っ、伏せろっ!」
「えっ!?」

一瞬遙の動きが止まり、俺は舌打ちをしながら腕を伸ばしたが間に合わなかった。
背中にナイフが深々と突き刺さる鈍い音がすると、遙の唇から鮮血が零れ、そしてゆっくりと俺の腕の中へと崩折れていった。
その瞬間、俺は絶叫した。
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