背中には深々とナイフが刺さったままだ。
抜いてしまえばたちまち血が肺の中を満たし、遙は命を落とすだろう。
もう苦しませたくない。
いっそ俺の手で楽にしてやりたい。
そう思うのに、いつまでもこの温もりを感じていたかった。
やっと手にした温もりを手放したくなかった。
「まさ…むね…」
力なく咳き込みながら遙が弱々しく言葉を紡ごうとする。
「ここは…?」
「俺の城だ」
「綺麗…連れて来てくれて嬉し…けほッ…」
「喋るんじゃねぇ」
制止するように抱き寄せると、遙はふるふると首を横に振った。
「政宗に言わなきゃいけない事があるの…。政宗…愛してる。初めて会った時からずっと…」
苦しい息の下で初めて囁かれた愛の言葉は酷く切なかった。
もしかしたらこれが最初で最後の愛の言葉かも知れないと思うと、哀しくて、悔しくて堪らなかった。
そっと唇にkissを落とすと、遙は幸せそうに笑い、そしてやがて顔を歪ませた。
みるみるうちに、涙が溢れていく。
「死にたくないっ…うっ…やっと会えたのにっ…次はいつ出会えるの?政宗と離れたくないっ!」
滅ぼされない限り、俺達『貴族』は永遠に生き続ける。
次に出会えるのは限り無く遠い未来だ。
もしかしたら、俺達はもう二度と出会わないかも知れない。
遙は俺のマントをギュッと握り締めたが、段々と力が抜けていく。
「最期まで…離さない…で…ね…」
意思の灯っていた瞳から急速に光が失われていく。
遙の命の灯火が消えていく。
想像していた以上の喪失感が身体を支配して行った。
太陽の光にこの身が焼かれたとしても、今の痛みに比べればきっと何でもないだろう。
逝かないでくれ!
ずっとそばにいてくれ!
お前を失うくらいなら、俺は…。
何だってしてやる…!!
例え、地獄に落ちようと、永遠に呪われようと、『貴族』として生まれた俺に恐れるものなんてなかった。
遙、許してくれ。
お前を巻き込みたくはなかった。
お前から幸せを奪うつもりはなかった。
でも、他に方法がないんだ。
お前を『貴族』にするしか、一緒にいられる方法がないんだ。
お前は永遠に呪われる事になる。
もう、明るい日差しの中で遊ぶ事も出来なくなる。
でも、今度こそ、俺はお前を守ってみせるから。
お前を離したくないんだ。
俺は遙の首筋に唇を寄せ、牙を突き立てた。
温かく香しい血が溢れ出す。
遙は俺の腕の中で、ぐったりとしている。
もう間に合わないかも知れねぇ。
俺の心の中に焦りが生まれた。
遙の血を一口二口啜るとすぐに唇を離し、俺はナイフで自分の手首を切り裂いた。
溢れる血を遙の口許に寄せる。
「遙っ!俺の血を飲め!そうすればお前は助かる!」
遙の意識は薄れ、ただ俺の血が遙の唇を穢していくだけだった。
「遙!遙っっ!!頼むっ!まだ逝くんじゃねぇっ!俺を置いて逝くなっ!!」
遙の唇に血の流れる手首を押し付けて声を限りに叫ぶと、微かに遙の唇が動いた。
口の中に流れ込んだ血をこくんと嚥下する。
閉じられていた瞼が薄っすらと開かれると、遙の瞳は紅い光を帯びていた。
遙は怠そうに俺の手首を掴むと、唇を寄せて血を啜り始めた。
やがて、遙の指先に力が戻って来ると、俺は遙の背中に刺さっていたナイフを抜いた。
鮮やかな血がパッと辺りに散る。
一瞬遙は顔を歪ませ吸血を止めたが、再び血を啜り始める。
背中の傷は瞬く間に塞がって行った。
俺は遙の口許から手首を離した。
すぐに手首の傷も塞がって行く。
遙の顎を汚している血をそっと舐めとる。
そして、唇を重ねると、遙は焦がれたように、俺の首に両腕を回し、しがみついた。
初めて唇を重ねた時よりも深く、貪るような口付けを交わす。
とても甘美な血の味がした。
血への渇きを感じる事もなく、飽きるほど口付けを交わすとようやく俺は唇を離し、遙をかき抱き、首筋に顔を埋めた。
「遙、愛してる。お前を離したくなかった。…俺は…お前から全てのものを奪った。屋敷も、家族も、祝福された人生も…。許してくれ…」
遙は俺の背中をギュッと抱き締めた。
「政宗がいれば、他に何も要らない。政宗といる事が、私の幸せだから。政宗に酷い事をさせたのは私だから、謝らないで。私のせいなの。政宗のせいじゃない」
遙は俺の腕の中で震えていた。
いくら俺を愛していると言っても、やはり家族を失ってしまった事は言葉に出来ないくらい辛いはずだ。
責められても仕方がない。
でも、遙は一言も俺を責めなかった。
俺にはただ遙を抱き締めてやる事しか出来なかった。
遙は痛みを堪えるように、俺の胸に顔を埋めて震えていたが、やがて顔を上げた。
「もうすぐ夜明けだね。政宗のお城の中が見たいな」
無理して笑っている事なんて一目瞭然だったが、俺はわざと気付かない振りをして微笑んだ。
「ああ、いいぜ。明日は一緒にここで庭を眺めようぜ」
遙はふわりと笑って頷いた。
「これからはずっと一緒だね」
「ああ。今度こそ、俺達は永遠に一緒だ。近いうちに祝言を挙げよう」
「うん」
俺は誓うように遙の唇にそっとkissをすると、遙の手を取って歩こうとした。
しかし、遙が立ち止まったままなので振り返ると、遙は空を見上げていた。
蒼い夜空に眩い下弦の月が中天へ向かって昇って行く所だった。
「遙、どうした…?」
問いかけると、遙の瞳が潤みだし、涙が一筋頬を伝わって行った。
小十郎も時折こうして夜空を見上げている。
月を太陽に見立てて。
やはり遙も人の身が恋しくなったのだろうか。
やはり、遙を無理矢理『貴族』にしたのは間違いだったんじゃないだろうか。
そう思った瞬間、遙が呟いた。
「夜がこんなに美しいなんて知らなかった。夜空がこんなに綺麗な深い蒼色をしてたなんて。月の光がこんなに透き通るように美しかったなんて。星々がこんなに色鮮やかに煌めいていたなんて。政宗が見ていた夜の世界がこんなに美しいなんて知らなかった。私、政宗と同じ世界が見られて嬉しいの…」
言葉にならなかった。
遙が俺を受け入れてくれた。
信じられないほど嬉しくて、幸せで。
ただ遙をかき抱く事しか出来なかった。
夜の美しさを教えてくれたのは、お前だ。
美しい月の光に照らされたお前の姿はいつだって俺の安らぎだった。
憧れだった。
俺の全てだった。
『貴族』として生きて行くのは綺麗事ばかりじゃねぇ。
辛い思いをする事の方が多い。
それでも、俺はお前を守り抜くから。
お前を傷付けようとするもの全てから。
これからは、永遠に…。
Fin…
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