政宗は狩りにでも出かけているのだろうか。
私が目覚める時に、政宗がいない事なんて今までほとんどなかった。
ごくまれに狩りに手間取って政宗がいない時は、政宗が戻るまで小十郎が相手をしてくれるので、退屈する事はなかったけれど。
政宗の姿が見えないと、何だか寂しかった。
地下室の螺旋階段を上って行くと、回廊では小十郎が待っていた。
「小十郎、おはよう。政宗は?」
小十郎は私を待っていてくれていた筈なのに、口をついて出る問いは政宗の事ばかり。
普通なら呆れられてしまう所だろうけれど、小十郎は目を細めて嬉しそうに口許を綻ばせた。
「政宗様は用事があると仰っていらっしゃいました。ご心配なさらずとも、もう間もなくお戻りになりますよ」
「お出かけ?」
巷では吸血鬼ハンターが政宗の首を狙っている。
いつかの恐怖を思い出して不安になると、それが顔に出ていたのか、小十郎は優しく微笑んだ。
「ご心配召されるな。遙様の考えていらっしゃるような事はございません。必ず、そう時間もかからないうちにお戻りになりますから。まずはお食事に致しましょう。どうぞこちらへ」
私は小十郎に促されて、ダイニングルームへ向かった。
テーブルにつくと、温められた陶器のマグを小十郎が差し出す。
吸血鬼となった私は血を飲むことでしか生きていけないけれど、なるべく私が血を見ないように、最大限の配慮がいつもなされていた。
私を取り巻くのは、ただただ優しい世界だ。
血を飲む間、小十郎は私を独りにしてくれた。
私は政宗の前でしか血を飲まない。
いつもなら、今頃政宗が私の気を紛らわせるように、楽しい話をしてくれているのに、久々に一人になって寂しい。
一体政宗はどこに行ったんだろう…?
温かい血を飲み干してマグをことりとテーブルに置く。
「政宗に早く会いたいな」
私が眠るまで、政宗が私の手を握ったり、髪を撫でたり、キスをしたりしていてくれたのはまだ今朝の明け方の事だというのに。
もう恋しくて堪らない。
はぁっと深い溜め息を吐くと、部屋の扉が開いた。
「政宗?」
きっと私は飼い主が帰ってきた子犬のような表情をしていたのだと思う。
扉を開けた小十郎は、驚いたような顔をした後に、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「お膳を下げようと思いまして…。申し訳ございません」
あまりにも小十郎が申し訳なさそうな顔をするので、こちらの方がかえって申し訳なくなる。
「小十郎、ごめんなさい…。私、変かな?毎日政宗に会ってるのに、少しでも離れてると寂しくて堪らなくて…。政宗の事ばかり考えて…。ごめんなさい…」
謝りながら情けなくて俯いてしまうと、小十郎の忍び笑いの気配がして、顔を上げた。
小十郎は至極嬉しそうに笑っていた。
「政宗様も遙様と同じお気持ちだと思いますよ。いつも、夜明けに、遙様が眠ってしまわれた後も、政宗様はぎりぎりまで遙様の手を握っていらっしゃますから。それはそれは幸せそうな顔をしておいでです。この小十郎、政宗様のあんなに幸せそうなお顔は今まで見たことがございません」
「本当?」
「ええ、遙様に見せて差し上げたいくらいに。残念ながら、我々吸血鬼は写真にも鏡にも映らないので見せて差し上げる事は叶いませんが」
そう言うと、小十郎はハッとしたように言葉を切った。
「小十郎、どうしたの?」
小十郎がばつの悪そうな顔をしているので尋ねると、小十郎は、ふるふると首を横に振った。
「何でもございません」
二人の間に不自然な沈黙が訪れる。
写真か鏡が何かいけない事だったのだろうかと思い巡らせていると、器楽室からヴァイオリンの音が聞こえて、私は思わず立ち上がった。
「政宗!?」
情熱的なパガニーニの音色に胸が熱くなる。
私はそのまま部屋を飛び出して駆け出した。
「遙様、お待ち下さい!」
何故か小十郎が私を呼び止めたけれど、私は気にする事もなく走り続けた。
息を切らして階段を駆け上がり、廊下を走り抜けて行くと、ヴァイオリンの音が段々大きくなっていく。
器楽室の部屋のドアを開けると、黒いマントの背を向けた、恋しくて堪らなかった背中が見えた。
私はそのまま駆け寄り、後ろから体当たりをするようにぎゅうっと抱き付いた。
「政宗、会いたかった!」
「おおっ!?遙ちゃん、こんばんは。情熱的だねぇ」
驚いたような、それでいて揶揄したような、政宗に少し似た声で笑われて、私は思わずどんと突き放してしまった。
「し、成実!?」
「酷いな〜、遙ちゃん。ほらほら、遠慮せずに、おいで」
成実は腕を広げてにやにやと笑った。
「嫌っ!何でそんなに政宗とそっくりなの!?」
「従兄弟だからね」
よく見ればそんなに似てもいないのに、パッと見ると凄く似ている。
でも、見間違えてしまうくらいに自分が政宗を焦がれていたことに私は気付かず、成実に八つ当たりしてしまった。
「何でヴァイオリンの弾き方まで似てるの!?わざと似せてるの!?酷い!!政宗かと思った!」
「冗談!梵より俺の方が上手い」
そんな事はない気がする。
政宗はすごく上手い。
艶っぽくて、それでいて超絶技巧だ。
成実はもう少し荒削りで、でも、情熱的。
政宗は幾分繊細だけど、それでも胸の奥が熱くなるような情熱的な音色を奏でる。
そんな所は似ているのかも知れない。
今、堪らなく政宗に会いたい。
政宗の奏でる繊細だけど情熱的な音色に身を任せたい。
政宗はどこに行ったの?
私にはもう政宗しかいないのに…。
拗ねてしまって俯くと、成実がぽんぽんと私の頭を撫でた。
「政宗じゃなくてゴメンな。遙ちゃんは本当に梵の事が好きなんだね。うーん、罪な男だよ。あー、どうすっかなぁ」
成実は、困ったように頭をかいた。
その表情は、先ほど小十郎が浮かべていたものに似ていた。
今日は政宗の話題を出すと、みんな困ったような顔をする。
何か良くない事でもあるんだろうか。
「そんなに不安そうな顔、しないでよ。遙ちゃんが心配するような事は何もないから。あー、でも心配だよね…」
成実は難しい顔をして考え込んでいるようだった。
「うん、じゃあ、一緒に庭園で梵の帰りを待とうか。梵が本当に危険な事をしてるなら、小十郎が必ず梵の背中を守るよ。だから、小十郎が城にいるって事は、梵は安全だ。それは保証する。だから、一緒に行こうよ」
確かに政宗に危険な事があるなら、誰よりも小十郎が黙っていないと思う。
小十郎が城にいるということは、政宗は単に用事があって出かけてるだけかも知れない。
「分かった。じゃあ、庭園に行って一緒に政宗を待つよ」
成実は、私の手を取り、廊下へと誘った。
廊下に出ると、天井にぶら下がっていた蝙蝠達がバサバサと飛び立つ。
そして私達を見送るように、キィキィと鳴きながら、後をついてきた。
もしかしたら、そのうちの一匹が政宗で、私を驚かせようと、後をついてきたのかも知れないと思ったけれど、外に出ても、ただ上空を旋回しているだけで、それ以上は近づいて来なかった。
政宗じゃなかったんだ…。
酷く残念な気持ちになって、私は花を手折って花飾りを作る成実の手元をぼんやりと眺めていた。
俺は内心悪態を吐いていた。
チッ、梵の奴、使い魔をあんなに寄越しやがって…!
だったら遙ちゃんを不安にさせんなよ!
って言っても、梵の気持ちも解るんだよなぁ。
はぁ、やれやれ。
遙ちゃん、黙っててゴメンね…。
多分、今夜、君は梵に会えない…。
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