何故、私が城に戻れたのか尋ねると、小十郎が助けてくれたのだという。
まどろみの中、政宗が私を助けてくれたような気がしたけれど、あれは夢だったのだろうか。
政宗を探しに行きたかったけれど、その晩は、小十郎が一晩中私の相手をして、政宗を探しに行く事が出来なかった。
政宗の事を尋ねても、はぐらかされてしまう。
私は政宗に会う事が出来ないまま、数日が過ぎて行った。
「随分と元気がありませんね」
小十郎の声がして、私は顔を上げた。
でも、すぐに俯いてしまう。
小十郎は、小さく溜息を吐いた。
「仕方ありませんね。遙様のお気持ち、お察しします。気晴らしに今日は絵でも眺めましょう」
本当は、絵を見る気持ちになんてなれなかったけれど、小十郎の気遣いを無駄にしたくなくて、私は差し出された手を取った。
今まで歩いた事のない回廊に案内される。
回廊には、一定の間隔で大きな絵が飾られていた。
風景画もあれば、肖像画もある。
その中に、ラファエロを思わせるような構図の母子像があった。
構図はルネサンス期の特徴を持ちながら、絵はとても細密で写実的で、まるで写真のような絵だった。
絵の中の母親は、とても慈愛に満ちた表情をしていて、愛おしげに我が子を見つめている。
そして、その母親は、何だか政宗に顔立ちが似た、少し気が強そうだけどとても美しい人だった。
「綺麗な人…。何だか、政宗に似てる」
「ええ。このお方は、政宗様の御母上様でございます」
「そうなの?」
「ええ。我々吸血鬼は、写真に写る事が出来ないので、こうして肖像画を残す事でしか、面影を後世に伝えられないのです」
「政宗のお母様はお亡くなりになったの?」
私がこの城に来てからしばらく経つけど、婚礼の時ですら、政宗のお母様にはお会いしなかった。
「いえ、義姫様はご健在です。こちらの城にはいらっしゃいませんが、もう少し北の地でひっそりと過ごしていらっしゃいますよ」
「そうなんだ…」
絵の美しさに感嘆のため息を吐いて、また絵を眺める。
隣で小十郎が小さく忍び笑いを漏らしたので、私は不思議に思って小十郎を見上げた。
「もう一点、この絵には秘密がありますよ。お気づきになりましたか?」
「え?」
言われて見て、もう一度絵を眺める。
じっと目を凝らして見ても、分からない。
絵も教養程度には学んだつもりだけれど、どの時代の絵とも似ていない。
「技法の事?」
そう尋ねると、小十郎は、首を横に振った。
「いえ、技法ではございません。この辺りをよくご覧になれば、お分かりかと」
小十郎は、絵の右下の隅を指差した。
「Ma..sa..mune?え!?じゃあ、この絵は…!」
「そうです。政宗様がお描きになったものです。伊達家は元々文武両道。芸術、音楽、詩歌、ともに幼少の頃から鍛えられるのですよ。俺は笛くらいしか取り柄がございませんが。あちらに、成実の絵も、政宗様のお父上、輝宗様がお描きになった政宗様の御幼少の頃の絵もあります」
「本当?」
「ええ。まだ、政宗様の右目が失われる前、この小十郎が政宗様の守役としてお仕えする前の絵でございます」
「見たいなあ」
そう呟くと、小十郎はフッと笑って、私の手を取り、回廊を歩いて行った。
回廊の奥の、階段近くにその絵は飾られていた。
まだ幼い、少しつり目のつぶらな瞳はあどけなく可愛らしい。
陶器のように、滑らかで白い頬。
屈託なく微笑んだ笑顔。
私はこんなに綺麗な子どもを見た事がなかった。
教会の天井に描かれている天使ですら、政宗の美貌と可愛らしさの前では霞んでしまいそうだった。
「綺麗…」
「ええ、義姫様もそれはそれは可愛がっておいででした。けれども、あの事件の後…政宗様は、右目を失い、同時に御母上の愛情も失ってしまわれたのです」
政宗は、眼帯をしていても、ものすごく整った顔立ちをしていて、十分綺麗だと思う。
そのまま見とれて日がな一日過ごしてしまいそうなくらいに。
右目を失ってしまっただけなのに、それは大きな事かも知れないけれど、こんなに可愛い子を、しかも自分の子を嫌ってしまうなんて私には信じられなかった。
「でも、政宗様の事なら大丈夫です。遙様の大きな愛に包まれて、幸せだと思いますよ」
「そう…なの?でも、ここの所、政宗を見かけないし…」
「それについては心配には及びません」
小十郎は力強く頷いたけれど、心配するなという方が無理だ。
だって、小十郎も成実も、政宗の事になると口を閉ざして何も教えてはくれないから。
ふいと顔を背けると、隣にかかっている絵が目に入った。
あの森の奥で見た砦が美しい紅葉に彩られて描かれ、そして、書き散らすように歌が書かれている。
歌は、秋の歌ばかりが書かれている。
「これは?」
「政宗様と成実が競い合って書いた書ですよ」
その書の中で、ひときわ美しく書かれていたものに私は目を引かれた。
「人こそ知れね 秋こそ来にけれ…?」
「ああ、これは政宗様のお手ですね」
人こそ知れね秋こそ来にけれ…。
文字どおりに取れば、知らぬ間に秋が来たという歌だ。
隣に書かれたものは多分成実の筆跡で、秋が来たとは目ではっきり見えないけれど、秋風の音に驚いたという、単純に秋の到来を歌ったものだ。
でも、政宗の歌には別の意味がある。
恋人にそれとは分からないうちに飽きが来てしまった。
そういう意味にも取れるのだ。
今の季節が秋だからという事もあるけれど、こうして政宗とぱったり連絡が取れず、かと言って小十郎が護衛についている訳でもないとなると、もしかして政宗が浮気をしてるんじゃないかという疑念に駆られる。
二日目はそうじゃなかった。
でも、それが、三日、四日と続くうちに、もしかして政宗に嫌われてしまったんじゃないかという心配が時折胸を掠めていた。
それは、無視出来るくらい小さなものだったけれど、小さなしこりを胸の中に残した。
こうして政宗自身が過去に書いた歌を見ると、妙に心配になってしまう。
政宗に限ってそんな事はないと思うけど、もしかしたら…。
そう思うとやりきれない。
小十郎も成実も黙っているのが、政宗の女性関係のせいだとしたら、つじつまが合うような気もした。
「遙様、どうかなさいましたか?悲しそうな顔をしてらっしゃいます」
「政宗に会いたい…」
「遙様…」
小十郎は困ったように私の顔を見つめていたが、やがて溜息を吐いた。
「小十郎は政宗様を裏切れません。でも、今回ばかりは遙様に味方して差し上げたい」
「小十郎?」
問いかけると、小十郎は優しく笑った。
「政宗様は、この城のいずこかにおられます。どこにいるかは教えて差し上げられませんが、探してみるとよろしいでしょう。これだけ時間を差し上げたのですから、政宗様も何も言いますまい。それより、小十郎は、お二人の心が離れてしまう事の方が心配です。ご自分の目で確かめて下さい。貴女は政宗様の血を啜ったから政宗様の気配には俺達よりも敏感なはずです。必ず見つけられますよ。では」
小十郎は、一礼をして、私に背を向けようとした。
その袖を引く。
「何か、怖い事をしているの?」
政宗が私を遠ざけようとする理由なんてそれくらいしか思い浮かばなかった。
小十郎は驚いたように目を瞠り、そしてくすりと笑った。
「とんでもない。貴女が早く政宗様を見つけるのが楽しみです」
政宗の所在をこれほど隠しているのに、小十郎は何だか楽しそうだ。
でも、いくら理由を聞いても教えてくれなかった。
そして、私は、小十郎が教えてくれなかった事に、逆に感謝する事になるのをその時は知らずにいたのだった。
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