遥か下方にある屋根に身体が叩きつけられる恐怖が胸を過ぎった。
しかし、まるで羽根のように身体がふわりと浮き、そして、私は、向かいの塔の窓の敷居の上に、音も立てずに降りたった。
地上に静かに舞い降りる雪のようだとふと思った。
まだ胸がドキドキする。
初めて吸血鬼としての力を使った事に、とても興奮していた。
力の使い方も分からないのに、いざ使ってみると、それは呼吸をするように簡単だった。
手を翳して蝙蝠を呼ぶと、すぐそばに蝙蝠達が集まってきて、キィキィと甘えたような鳴き声をあげた。
こんなに簡単に力が使えるなんて思ってもみなかった。
私は小さく笑って、蝙蝠達に軽く手を振ると、窓から塔の中に入って行った。
この塔の造りは少し変わっている。
見晴台のような窓の上にまだ塔が伸びていて、その上に部屋があるのだ。
一際高い塔だから、庭から眺めた記憶が印象的に残っているのだろう。
私は部屋を目指して螺旋階段を登って行った。
螺旋階段を登り切ると、そこには古びた扉があった。
恐る恐るノブを回してみると、静電気のようにバチリと音がして少し遅れて手に痛みが走った。
先ほどまでは何の変哲もない扉だったのに、今はノブの周りを龍が踊るように青い稲妻が取り巻いている。
もう一度、ノブに手をかけようとすると、私を警戒するように稲妻が少し大きくなった。
どうやらここが秘密の隠れ家らしい。
これはきっと政宗が仕掛けたものだろう。
…もしかしたら、政宗は私に会いたくないのかも知れない。
政宗の事だから、私がここにいる事なんて気付いているに違いない。
政宗は、私を拒絶してるのだろうか…。
そう考えると悲しくて仕方ない。
それでも、私がここまで来られたのは小十郎の笑顔があったからこそだった。
小十郎の笑顔がなかったら、私は政宗の愛を失ってしまったのかと涙に暮れていただろう。
本当はまだ不安だ。
それでも、私は小十郎を、政宗を信じていた。
私は、不安に震える声で扉越しに声をかけた。
「政宗、そこにいる?」
しかし、返事はなかった。
無視されているのだろうか。
いや、政宗がそんな事をする筈がない。
そう思うのに、不安で不安で堪らなくなってしまう。
少しでも政宗の気配を感じたくて、私は扉に耳を当てて目を閉じた。
胸元のペンダントを握って、政宗の気配を探る。
私の神経は段々と研ぎ澄まされて行って、遠くの風の音や、森の小川のせせらぎ、虫の声、虫の歩く気配さえも感じられるようになっていく。
それなのに、この部屋からは政宗の気配は感じられなかった。
部屋の中のカーテンが翻る気配は感じられるのに、全く人の気配は感じられないのだった。
「もしかして、政宗はここにいない…?」
辿り着いた答えは、酷く私を落胆させるものだった。
それならば、すぐにこの場を立ち去って政宗を探しに行けばいいのに、何故かこの部屋は私を惹きつけて止まなかった。
断片的に見えたイメージ。
そして、扉に仕掛けられた結界。
少なくともつい先ほどまで政宗はここにいたのだと思う。
私は、握りしめていた護符をしげしげと眺めた。
今まで一度も使った事はないけれど、これは城のセキュリティを抜けるための鍵なのだと政宗が以前言っていた。
一体どの扉の鍵で、どう使うかも分からない。
実際の所、扉には鍵穴なんてないし、護符は鍵の形をしていないのだ。
しげしげと、護符を見つめているうちにそれは青白い光を放ち始めた。
共鳴するように、ノブの稲妻がバチバチと音を立てる。
護符の青白い光はノブの方へ伸びて行き、それに応えるように稲妻も私の胸元の方へ伸びてきた。
ノブの周りには魔法陣が浮かび上がっている。
怖くて反射的に一歩下がってしまったけれど、護符とノブは互いに青白く光っていた。
私はペンダントを首から外し、恐る恐る、ノブに近付けた。
また静電気のような痛みを想像して身を竦めたけれど、稲妻は護符に吸い取られて行き、そして、それが終わると、ひとりでに扉はかちゃりと少し開いた。
扉に手をかけて開くと、いとも簡単に扉は開け放たれた。
さあっと風が吹いて、入口付近に立てられていた何かが雪崩のように崩れ、私は下敷きになってしまった。
「きゃっ!!」
思わず声を上げてしまったけれど、さして重くもないので、怪我はない。
それらの下から這い出すと、私の上に倒れてきたのはキャンバスだったという事に気付いた。
また、伊達家の誰かが描いた、一族の絵だろう。
そう思って一つ手に取って見た私は驚愕に目を見開いた。
これは…!!
これは私の絵だ!!
それも最近の絵だったらこんなに驚かない。
これは、私が幼い頃の絵だ!
それも、想像で描かれたものではない事がひと目で分かった。
何故なら、私の生家で見た、私の幼い頃の写真の面影がそのまま映されていたからだ。
実家の写真とは違う。
実家には、こんな風に夜空を見上げている私の写真なんてなかった。
足元に転がっていた別のキャンバスを拾い上げた。
それは、少し大きくなった私が、幸せそうな笑みを浮かべてベッドで眠っている絵だった。
一つずつ、絵を見て行くと、それらは全て、幼少期からの私の絵だった。
ふと目を上げると、壁に飾られている物も、立てかけられている物も、様々なシーン、様々な年齢の私の肖像画だという事が分かった。
この部屋にあるのは、どれも私を描いた絵ばかりだった。
手のひらに収まるような小さなものから、等身大の大きさのものまで様々だ。
そして、全ての絵に共通しているのは、描き手の愛情が零れんばかりに溢れている事だった。
政宗は以前、この地に住む人間の事なら大抵知っていると言っていた。
だから政宗が私の事をよく知っていても不思議に思わなかった。
でも、これって…。
これって…。
私が政宗に恋するずっとずっと前から政宗は私を見つめていたって事…?
こんなにも、愛しげな眼差しで、いつでも私を見守っていてくれたって事…?
そう思うと胸がドキドキと高鳴る。
政宗が愛しくて、そしてそれほどまでに愛されている事が嬉しくて堪らない。
胸の奥が甘酸っぱい気持ちでいっぱいになって行く。
部屋の中央には、白い布が掛けられたイーゼルがあった。
そばには絵の具が散らばっている。
どうやら、まだ描きかけのようだった。
まるで子どものような好奇心に駆られる。
そっと、手を延ばして布を取ろうとすると、深い溜息が背後から聞こえた。
しおりを挟む
top