12.Regret

政宗様は甘える子猫のように仄香の首筋に顔を埋め、ギュッと仄香を抱き締めた。

「仄香、会いたかった…」

もう一度呟かれた言葉は切なげで、仄香は驚いたように身体を強張らせた後、薄っすらと頬を染めた。
確かに政宗様はまだ幼さを残した顔立ちをしていらっしゃる。
しかし、すっかり声変わりもしていて、声だけ聞くともう立派な一人の男だ。
政宗様はご自分では気付いていらっしゃらないかも知れないが、少しハスキーな錆を含んだ声に惹かれる女も少なくないはずだ。

恐らく仄香も…。

いつもなら笑いながら軽く政宗様をいなしている仄香だが、今日はいつもと様子が違う。
政宗様を抱き留めながらも、戸惑ったような視線を政宗様に向けては照れたように視線を彷徨わせている。
そんな仄香を見て胸がつきんと痛んだ。

やはり何かが変わってしまった。
俺達の危うい三角関係はもう終わってしまうのかも知れない。
言葉を失って政宗様と仄香を見つめていると、成実が政宗様を仄香から引き剥した。

「成実、テメェ何しやがる!」

不機嫌丸出しの政宗様にたじろぎながらも、成実は厳しい顔で政宗様を睨み付けた。

「いちゃつくのは家でも出来るだろ?早く職員室行かないとマズいってば」
「Shit…」

渋々仄香から離れた政宗様に、ようやく俺は問いかけた。

「やはり雑誌の件で何か?」
「…ああ。登校後の外出は校則で禁止されてるだろ?保護者呼び出しだとよ」
「だから制服で繁華街に行ってはなりませんとあれほど申し上げたはずです!」
「まさか勝手に写真取られるなんて思わねぇだろ!それに、成実の校章が写ってなかったらこんな騒ぎにはならなかった!」
「俺かよ!?」

互いに睨み合う俺達を止めたのは仄香だった。

「もう止めてよ!過ぎた事は仕方ないでしょ?ちゃんと口裏合わせてあげるから。だから、政宗も、これからは小十郎の言う事をちゃんと聞いて、校則は破らない。いい?」

ぴしゃりと仄香に言われて、政宗様の隻眼が一瞬哀しげに揺れた。
無理もない。
政宗様が校則を破ったのは、他でもない仄香のためだったのだから。
しかし、俺はその事実を仄香に伝えられるほど出来た人間でもなかった。
俺はまだ仄香を諦められない。
やっと政宗様が俺と同じスタートラインに立った。
やっと胸に秘めていた想いを隠さないで済むようになる。
だからこそ言えなかった。
何故政宗様があんな真似をしたのか。

ふて腐れてそっぽを向いてしまった政宗様の頭を仄香がくしゃりと撫でる。

「大丈夫だから。ほら、新宿に有名な数学予備校あったよね?そこを見に行っていた事にしよう。それだったら怒られないでしょう?」
「で、俺の監督不行き届きで、学校に届出を忘れた事にするのか。やれやれ、仕方がない。まぁ、出張していた事にすれば何とかなるか」
「流石、小十郎と仄香だぜ。俺の背中を預けられる」
「政宗様、二度目は通用致しませんからね」
「分かってる」

本当に分かっているのかと問い質したくなるほど政宗様は上機嫌に微笑んだ。

職員室では打ち合わせ通り、政宗様が予備校の冬期講習の申し込みに行っていたと口裏を合わせた。
現役婆娑羅大学経済学部の仄香が家庭教師であり、冬期講習を当日になって薦めた事。
俺が出張に出ていたため、保護者の届出が出来なかった事。
また、政宗様の担任教師が俺の現役高校生時代の担任だった事も功を奏し、何とか停学は免れた。

「片倉君が保護者でありながら迂闊だったね。校門の出待ちはどうするつもりだい?」
「申し訳ございません。その件につきましては、伊達の方で何とか致します」
「それならそんなに心配はいらないかな。伊達君には期待しているからねぇ。これだけ万全の体制で受験に臨んでいるなら、伊達君も片倉君の後輩になるのは間違いないね。そういう事情なら仕方ないけど、これからは気を付けるんだよ?」
「ありがとうございます。では、私はこれで失礼致します」
「先生、悪かった。これからは休日に見に行く事にする」
「ああ。伊達君は今まで問題を起こした事がないから信じてるよ。じゃあ、気を付けて帰るんだよ」

職員室を出ると、政宗様はやれやれといったように大きく伸びをして、甘えるように仄香の腕に自分の腕を絡めて歩き出した。

「こ〜ら、政宗。学校でそういう事しない!」

普段は政宗様のしたいようにさせている仄香が困ったようにすっと離れようとするが、政宗様は器用に仄香を引き寄せて、また上機嫌に腕を組んだ。

「いいだろ?減るもんでもねぇし」
「そういう問題じゃないでしょ?」
「いや、梵、何かが減るよ」
「あぁ!?」

政宗様は不機嫌そうに成実を見遣ったが、成実の指差す方を見てすっと蒼褪めた。
部活帰りの学生が窓に鈴なりになって仄香を熱っぽい視線で見つめている。
無理もない。ここは中高一貫の男子校だ。
女が校内にいる事自体珍しいのに、仄香は俺の欲目を差し引いても綺麗だ。

「テメェら、見せもんじゃねぇぞ!」
「よっ!お二人さん、熱いねぇ!俺も混ぜてくれよ!」
「うるせぇ、前田!仄香、車まで走るぞ!」
「えっ!?」

政宗様は仄香の手を引いて走り出した。
仕方なく俺達も政宗様の後を追う。

「なぁ、小十郎。俺達、梵に振り回されてるってより、元凶は全部仄香姉ちゃんだよな?」
「気のせいだろ?減らず口叩いてると置いてくぜ?」
「ちょっ、小十郎、待って!置いてくなよ!」

俺はネクタイを緩めて政宗様の後を追った。

成実の言っている事は当たっている。
俺も政宗様も仄香が絡まなければ、至って冷静な方だ。
政宗様も、お若いゆえに無茶をなさるが、それでも限度をわきまえている。
もし、仄香を二人で争わなくてはならないとしたら、俺と政宗様の関係はどう変わってしまうのだろう。
いつ仄香に俺の想いを打ち明けるのか。

その答えを知る時が近付いている事に、俺はまだ気付いていなかった。

もう少し鈍感に生きていられたら良かったのかも知れない。
周りが見え過ぎていたのかも知れない。
慎重過ぎたのかも知れない。

俺は忘れていたんだ。
人の心を手に入れるには、時には懐に飛び込まなくちゃならねぇって事を。
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