06.Encounter

「明智、テメェ、宿舎に帰るんじゃなかったのか?」

書籍部へ急ぐ俺の後ろを何故か明智がついて来て、俺は振り返らないまま舌打ちをした。

「書籍部へ用事を思い出しましてね。ほら、1割引で買えますし。医学書は高いですからねぇ」

絶対嘘だろうと内心思いながら、こいつが言い出したら聞かない事は学生時代からよく知っているので俺は放っておく事にした。
それに、こうしておちょくってばかりのように見えて、こいつは時折妙に頼りになる所がある。
だからこそ奇妙な友人関係が今まで続いているのだ。

明智の軽口に付き合っているうちに、生協書籍部が見えて来る。
広い入口の階段に座り込んでいるのは仄香とあの男だった。
二人は仲良く並んで和やかに話をしていた。
俺や政宗様に向けるのと変わらない、柔らかな笑顔で。

ズキンと胸が痛む。
これほど嫉妬したのは初めての事かも知れない。
俺は一瞬歩みを止め、深く息を吸い込んで仄香の下へと歩みを進めた。

もうここまで来たら後には引けねぇ。
仄香の想いを確かめるまでだ。

ポーカーフェースには自信があるつもりだが、この身を焦がすような想いを果たして抑えられるだろうか。
チラリと隣りを歩く明智を見遣ると、明智と目が合い、奴はいつものからかうような笑みではなく、ふわりと淡い笑みを口許に浮かべて僅かに頷いた。
俺が取り乱しそうになったらフォローを入れるつもりなんだろう。
それは余計な世話でも何でもなく、ただ有り難いと思った。

「仄香、待たせたな」

仄香は話に夢中で俺達の気配に全く気付かなかったようで、ハッとしたように顔を上げた。

「小十郎!それに光秀さん?」
「こんにちは、仄香さん。お久し振りですね」

明智がにこやかに仄香に挨拶すると、仄香は僅かに頬を膨らませた。

「光秀さん、今日、連絡したのに返事くれないんだもん」

明智はまさか自分に話が振られるとは思っていなかったようで、目を瞠った。

「だって、今日はバレンタインだよ?光秀さんにはお世話になってるし、チョコ渡したかったの」
「おい、明智。こいつの世話してるってどういう事だ?」

低い声で凄むと、明智は顔を少し引きつらせて一歩後退した。

「ん?お昼奢ってくれたり、風邪引いたってメールしたら薬届けてくれたり。今年、病院行かなくて済んだのは光秀さんのお陰だもん。半兵衛君にいいお医者様を紹介してくれたのも光秀さんだし」

俺は明智をギロリと睨み付けた。
仄香には必要以上に近付くなと釘を刺したはずだが、全然聞いちゃいなかったようだ。

後で絞める…!!

明智は薄っすらと蒼褪めながらも、何とか笑みを浮かべて、仄香の隣りの男に話しかけた。

「竹中君。具合はいかがですか?」
「最近は大学に来てもいいってお医者様も言ってくれるようになりました。仄香のお陰で明智先生と知り合えて良かったです」
「そうですか、それは何よりです。それにしても、竹中君と仄香さんは仲がいいですねぇ」

いきなり核心を突いた発言に俺の方が驚いた。
明智は相変わらずのうさん臭い笑みを浮かべている。
仄香は驚いたように目を瞠った。

「そうかなぁ?たまたま私が担当の科目の日に半兵衛君が病院だからシケプリとノート渡してるだけだけど?ヤダなぁ、光秀さん、私がモテないの知っててからかうなんて酷い!」

隣りに座った竹中が心なしか残念そうな表情になったように見えたのは、俺の見間違いだろうか。

「だそうですよ、片倉君」
「うるせぇ。俺に話を振るな」

この様子では、仄香は全く竹中には気がないようだ。
その事に安堵しつつも、先程の竹中の表情が気になる。

竹中の方は仄香に気があるんじゃねぇのか…?
親身になってくれる女にそのまま惹かれていくなんてよくある話だ。

じっと竹中の表情を窺うと目が合った。

「片倉…小十郎…?君が…?」
「ああ、そうだが」

何故こいつが俺の名前を知ってるのか分からねぇが、竹中は腑に落ちたように頷きクスリと笑った。

「なるほどね。4年前の卒論で最優秀賞を取ったあの片倉小十郎か。仄香があんなに必死になっていた訳がやっと分かったよ」

竹中がクスクスと笑いながら仄香を見遣ると、仄香は薄っすらと頬を染めて目を逸した。

「仄香、どうした?」

仄香の顔を覗き込むと、拗ねたような表情になる。
竹中はクスクスと笑いながら話を続けた。

「彼女、学部奨励賞が欲しくて片倉小十郎と同じゼミに入りたくてね。でも、あそこは統計学が必須だから。彼女、統計学が苦手なんだ。いつも彼女には世話になってるし、僕が統計学を見てあげてるんだ」
「仄香、何故俺に聞かねぇ。分からねぇ事があったら聞けっていつも言ってるだろ?」
「…だって、基礎から分からなくて恥ずかしかったんだもん」

横を向いたままの仄香は少し膨れっ面になっている。
俺はいつもの癖で、仄香の頭をぽんぽんと撫でた。
拗ねたような表情が少し柔らかくなる。

「半兵衛君のお休みの日のフォローは私がしてるから聞きやすかったんだもん。今日だって、統計教えてくれるのに、コーヒー奢ってくれるって言うから、いい機会だし御礼にチョコを渡したの」

俺が見たのはそのシーンだったのだと納得する。
仄香の口振りでは、全く色恋沙汰ではなさそうだ。

「あっ、そうだ!光秀さんにも、はい。チョコレート」

仄香はバッグから綺麗な包みを取り出し、明智に差し出した。
それは、俺がオープンカフェで見た包みによく似ていた。

「いつもありがとう。義理チョコね」
「それはどうも。それにしても、『義理』ってちょっと傷付きますね。片倉君にも義理チョコですか?」

仄香はふるふると首を横に振った。

「ううん。小十郎と政宗にはいつも手作りのザッハトルテ」
「それはそれは羨ましい」
「だって、小十郎と政宗は特別だから」

竹中の眉が僅かに顰められたのを俺は見逃さなかった。
先程まであんなに嫉妬に駆られていたのに形勢は逆転。
仄香の変わらぬ想いを確かめられて心が満たされて行く。

「仄香、あまり僕が邪魔をしてはいけないね。卒論のゼミ、一緒の所に決まるといいね」
「半兵衛君が相手じゃ、私、負けちゃいそう。ねぇ、譲ってくれない?」
「それは出来ない相談だね。一緒にゼミに所属するためだったら僕は今まで通り協力を惜しまないよ」
「そっかぁ。じゃあ、一緒に頑張ろうね」
「ああ。じゃあ、また今度」
「うん、バイバイ!」

竹中は立ち去り際、俺をチラリと見遣り、口許に挑戦的な笑みを浮かべた。
俺は当て付けるように、仄香の頭を撫で、そっと引き寄せた。
途端に僅かに悔しげな表情を浮かべて竹中は足速にその場を立ち去った。
その様子を明智は楽しそうに眺めている。

「良かったですね」
「光秀さん、何が?」

じろりと明智を睨み付けると、奴は大仰に肩を竦める。

「大人の事情ですよ」
「酷〜い!また子供扱いする!」
「仕方ないですよ。私にとって、貴女は今でも可愛い妹みたいなものですから」
「光秀さんって狡いよね。そんな風に言われたら怒れないよ。光秀さんも素敵なお兄ちゃんだよ。今日のコートも素敵」
「それはどうも。貴女もいかがです?本当の兄妹に見えるかも知れませんよ?」
「無理無理。お母さん卒倒しちゃうし、小十郎に怒られちゃう」
「当たり前だ。明智、諦めろ」

普段から仄香には上品な服装をするよう、小さい頃から口を酸っぱくして言っている甲斐もあって、社会人になってもコーディネートで困る事はないだろう。
どこから見ても、品良く、センスのいい服装をしている。

ようやく懸念していた案件も片付いたので、俺はそろそろここを出ようと仄香を促そうとした。

その時、さらさらの金髪を揺らしながら、恐ろしくプロポーションの良い美人が仄香の名前を呼びながら必死の形相で走って来た。

「あ、かすがだ。どうしたの〜?」

仄香は満面の笑みを浮かべてかすがと呼んだ女に手を振った。


今日は一体何だってこうトラブルばかり起こるんだ?
俺は聞こえないよう溜め息を吐いた。

政宗様、申し訳ございません。
最終下校時刻までお待たせするかも知れません。
今しばらくのご辛抱を…。
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