09.Jealous

デパートの駐車場に着くと、仄香が買うものを書いたメモを差し出した。

「赤ワインは料理用だから一番安いやつね。オリーブオイルはエクストラバージン、なるべく大きい瓶で。それからモッツァレラチーズは生のやつ」

ざっとリストに目を通してどんな料理になるか見当をつける。

「南欧の家庭料理か?ハーブは買わなくていいな?全部俺が育ててる」

俺が問うと、仄香は目を丸くした。

「小十郎、材料だけで分かっちゃったの!?驚かせようと思ったのに、残念。それにハーブまで揃ってるなんて、やっぱり小十郎には敵わないな…」

仄香は悔しそうに唇を尖らせた。
俺はクスッと笑いながら仄香の頭を撫でた。

「機嫌直せよ。これに舌平目のムニエルに、アスパラを添えて、キャビアで飾ったら美味そうだな」

仄香は驚いたように目を瞠り、そして微笑んだ。

「本当に小十郎には敵わないよ…。うん、すごくバランスいいと思う。わぁ、作る時間あるかなあ」
「大丈夫だ。俺が手伝ってやる。このデパートには美味いイタリアパンが売ってるからそれも買ってきてやるよ」
「何から何までありがとう!折角のバレンタインなのにゴメンね」
「構わねぇよ。お前ぇに飯作ってやるのも久し振りだしな。たまには俺にも振る舞わせてくれ」
「うん!一緒に料理するの、楽しみにしてる!じゃあ、かすが、行こっか?買い物終わったら小十郎に電話するね!」
「ああ。ゆっくりして来い」

仄香はかすがと手を繋ぎ、足速にデパ地下方面へ歩いて行った。
俺もコートを車の中に置き、買い物メモを内ポケットに入れて駐車場を後にした。


夕方近くの食料品売り場は混雑していた。
特に菓子売り場のあたりは混雑をきわめている。
本当は仄香と二人、肩を並べて食材を吟味していたと思うと少し残念だ。
どうせ女二人の買い物は時間がかかるだろうと、まずパン売り場でイタリアパンを買ってから酒売り場へ向かう。
生ものは痛むから後回しだ。

仄香の買い物リストを眺める。
どうやら赤ワインは鶏肉を煮込むために使うようだから、くせのないものを選ぶ。
そういえば部屋に置いてあるスコッチが残り少なくなっていた事を思い出して、俺はスコッチが陳列されている棚の前に行った。
インポートの洋酒専門店に比べて、種類の少ない品揃えの中で迷う。
俺はスモーキーな香りが強いアイラモルトが好きだ。葉巻によく合う。
ラガヴーリンにするかラフロイグにするか。
いっそ、今度渋谷に出向いて葉巻と一緒に買うかと思いかけた時、胸ポケットに入れておいた携帯が震えた。
見ると、仄香からメールが届いている。

『ハート型の干菓子あったよ!一応チョコも甘めのものを買って来るね』

思ったよりかすがの買い物が順調に進んでいるようなので、俺はラガヴーリン16yearsと、仄香のためのプレゼントにモーツァルトを買って売り場を後にした。
本当はもう少し年代物のものが欲しかったが仕方がない。
今度仄香でも誘って酒の味を教えてやるかと思い浮かんで知らずと口許に笑みが上った。

俺は調味料売り場でオリーブオイルとキャビアを買うと、精肉売り場へ向かった。

「小十郎!」

精肉売り場に着くと、仄香がかすがと並び俺に手を振っている。

「早かったじゃねぇか」
「うん、政宗を待たせるといけないし、割と早く決まったの」
「小十郎、お前のおかげで満足のいく買い物が出来た。礼を言う。つまらない物だがこれを受け取ってくれ」

かすがからデパートの紙袋を渡される。
まさかチョコじゃねぇよな?
訝しげに包みを見つめているとかすががくすりと笑う気配がした。

「心配するな。チョコではない。鹿肉の燻製だ。酒のつまみにいいだろ?特にスコッチなら尚更だ。仄香から聞いた」

確かに鹿肉の燻製はスコッチに合う。
だが、それを仄香に教えた事はねぇし、これから少しずつ仄香に酒を教えようと思っていた所だ。

まさか、かすがに先を越されたのか?

思わず言葉を失ってかすがを見つめると、仄香がクスクスと笑った。

「流石、かすが。伊達に隠れ家的バーのウェイトレスやってないよね。私じゃ小十郎の好み分からないもの、スコッチが好きって事くらいしか」

ああ、そういう事情かと納得する。
客層の良いバーの時給は割りといい。
しかも、手の込んだつまみを出している事からいかがわしい店でない事が窺える。

「かすが、かえって気を遣わせて悪かったな。こんな気の利いたもんもらっちまって割に合わねぇくらいだ。ありがとな」
「いや、礼を言うのはこちらの方だ。じゃあ、私は大学に戻る。謙信様がお帰りになる前に急がねばな。じゃあな!」

かすがは少し頬を紅潮させて眩しいほどの笑みを見せると、足早に去って行った。
仄香もかすがに手を振っていたが、俺を振り返ると、少し拗ねたような表情を浮かべていた。

「どうした、仄香?」
「かすがが羨ましい…」
「羨ましい?恋をしているからか?」

仄香も恋をしたい年頃か…。
そう思って尋ねると、仄香は首を横に振った。

「ううん、違うの。私の方が昔から小十郎の事を知ってるのに、かすがの方が小十郎の好みのおつまみ知ってるんだもん。何か悔しい。いつも小十郎を追いかけてるつもりなのに、全然追いつけないし」

言葉を切ると、仄香は唇を尖らせた。

それはつまりかすがに妬いているという事か?
どう考えてもこれは恋愛感情ではなさそうだが、それでも仄香が俺を慕ってくれるのは嬉しかった。

俺は苦笑いを浮かべると、仄香の頭をぽんぽんと撫でた。

「今日帰ったら、お前ぇにスコッチの味を教えてやるよ」
「本当?」

拗ねた顔から一転、仄香は表情を輝かせた。

「ああ、約束だ。お前ぇにはいずれいい酒の味を教えるつもりだったしな」
「うん!嬉しい!」
「政宗様がお待ちになってる。さっさと買い物を済ませるぞ」
「うん、分かった」

次々に買い物を済ませていく隣りで仄香は財布の中身が気になるのか始終心配そうだった。
仄香の両親は上手い事教育したものだと感心する。
仄香の父親は、一代で築き上げたオーナー社長で母親はその会社の経理。
幼い頃から「遺産は残してやれないから、教育だけが与える事の出来る遺産だ」と毎日のように言われ、それを真に受けている。
世間一般的には十分お嬢様とも言えるのに、金銭感覚が庶民的なのは仕方のない事だ。
しかし、甘やかすより余程いい。
経済界に必要なのは、大きな相場の流れだけでなく、人口の大半を占める庶民の金銭感覚だ。
いちいち抗議の声を上げる仄香を宥めながらようやく買い物を終えると、食料品売り場を後にした。
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