しかし、遙様のお名前を出されると、従わない訳には行かなかった。
政宗様のお話によると、猿飛佐助の忍隊は既に遙様の配下にいるとの事。
遙様は、本当に江戸に疱瘡が飛び火する事を恐れて俺を足止めしたに違いなかった。
政宗様の身に何かあったらと気がかりではあったが、俺の出陣予定時刻は四半刻後。
それまでお待ち頂きたいと言われれば、悪くない条件だった。
遙様のお考えは推測にしか過ぎないが、もしかしたら、手の離せないほどの重症な患者がいて、政宗様を説得して撤退させるおつもりなのかも知れない。
真田幸村が猿飛佐助と仲違い中の今、これ以上はない好機ではあったが、流石、猿飛佐助が精鋭を集めて村を閉鎖していたため、そこまでの情報は流石の黒脛巾組でも掴めなかったに違いない。
きっと政宗様は、酷く落ち込んで戻って来られるだろう。
それでも、遙様を一目でも見て、抱き締められたのならば、それなりに満足して戻って来られるはずだ。
そして、期限の四半刻後に、政宗様を先頭に先鋒部隊が戻って来られるのが見えると、猿飛佐助の忍隊は、すぐに撤退して行った。
政宗様が近付くにつれて、政宗様のお顔が見えて来る。
政宗様は精一杯、涙を堪えた表情で馬を爆走させていた。
後続の部下達も涙を流している。
一体全体、何があったんだ…!?
政宗様は、俺の前で馬を停めた。
遙様とどんなやり取りがあったのか気になって政宗様に尋ねた。
「政宗様、遙様は…?」
「後でゆっくり話す。とにかく、国境付近の宿場まで撤退だ。攫うのに失敗した場合に押さえた宿まで撤退する。撤退と共に、成実の軍勢を進軍させ、前後の守りを固める」
政宗様は、今にも泣きそうな表情で、涙を堪えた押し殺した声で、俺に命じた。
これ以上は、宿に帰ってからゆっくり聞いた方が間違いなく政宗様の御為だ。
きっととてもお辛い目にお遭いになったに違いない。
そして、政宗様はきっと荒れに荒れに荒れ狂うか、また涙酒に付き合わされるかのどちらかだ。
いずれにせよ、相当な覚悟が必要だ。
俺は無言で頷き、政宗様のご命令通りの伝令を成実に飛ばし、また甲斐を探らせていた黒脛巾組を呼び戻すよう命じると、部下を先鋒に走る布陣に変えて、その真ん中で政宗様の守りを固めながら、宿へと全速力で向かった。
宿に着くと、政宗様は真っ直ぐに部屋に向かい、お部屋に閉じこもった。
俺も鎧を脱ぐと、着物と袴に着替え、そっと政宗様のお部屋の外から政宗様のご様子を窺った。
声を殺して泣いているご様子で、きっと今晩はやけ酒に付き合わされると見当を付けた。
その前に、情報を出来るだけ集めなければならない。
俺は、政宗様のお部屋の警備を連れてきた黒脛巾組に命じ、政宗様と共に村へ遙様を攫いに行った部下達を宿の広間に集めた。
「てめぇら、村で何があったか言ってみろ」
そう尋ねると、斥候達は思い出したように、涙を浮かべて男泣きに泣き始めた。
だから、一体全体何があったんだ!?
政宗様と遙様を口々に褒め称えてたのは聞いた。
でも、あれで分かれって方が無理に決まってるだろうが!!
政宗様をお慰めするためにも早く答えやがれっ!!
俺は、辛抱強く、イラつきながらも部下達が落ち着くまで待った。
「ぐすっ…。遙様は、筆頭と同じ疱瘡で右目を無くした子どもの治療をしてらしたんですっ!!」
「何だと!?」
「それだけじゃないッス!!遙様は、その子どもを傷付けないために、目が飛び出ちまう前に、母親を叱ったッス!!目が飛び出ちまっても嫌わねぇか、可愛がれるか、化け物だなんて言ったりしねぇかって!!俺達、遙様の女気に感動ッス!!遙様は、最っ高にcoolな姐さんッス!!」
「何だって!?」
俺は、遙様の政宗様への想いに心を打たれて言葉を失い、胸がいっぱいになって、思わず涙が零れた。
「遙様っ!!何っと健気なっ!!政宗様を大切に想えばこそのそのお言葉、この小十郎、感激の極みでございますっ!!」
「小十郎様っ!!筆頭も感激して泣いてたッス!!それだけじゃねぇッス!!遙様は、筆頭に会ったら決心が鈍るからって最後まで姿を現しませんでしたっ!!ただ、筆頭に家の中から精一杯、愛してるって叫んで、筆頭もものすごく嬉しそうな笑顔になって、遙様へ愛してるって叫んで撤退したッス!!遙様も筆頭も、最っ高にcoolでしたっ!!俺達、感動して涙が止まらなかったッス!!」
「何と…!!」
俺は、遙様の意思の強さに本当に驚いた。
7年間も想い続けて、決心が鈍らないように、姿を現さないなど、どこまで芯の強いおなごなのだろう…!!
そして、政宗様も遙様の想いを尊重して、言葉を交わすだけで帰って来られた。
遙様の強い意思を尊重したものの、声しか聞けずにショックを受けて、今頃になって落ち込んでおられるに違いない。
それも、相当に落ち込んでいらっしゃるはずだ。
「遙様は、最っ高の姐さんッス!!あの猿飛佐助を惚れ込ませ、筆頭は右目の娘の治療が終わるまで、猿飛佐助に遙様をお守りするよう、漢の約束をしましたっ!!筆頭がまたお迎えに上がるまで、猿飛佐助が遙様を守るって約束してました!!武田信玄を裏切ってでも、筆頭に姐さんをお返しするって約束ッス!!あの漢同士の約束も最っ高にcoolでした!!姐さんも筆頭も最っ高にcoolです、小十郎様っ!!」
部下達は、また男泣きに泣いた。
猿飛佐助を武田信玄から離反させるなんて、相当の女傑だ。
政宗様が惚れ込むのも分かる気がする。
だからこそ、余計に落ち込んでおられるに違いない。
政宗様の撤退は痩せ我慢だ。
撤退して来た時の政宗様の涙を堪えるお顔からも想像にかたくない。
「分かった。よく話してくれた。てめぇら、今日は好きなだけ飲め。ご苦労だった」
「ありがとうございます、小十郎様っ!!」
「俺は、政宗様のご様子を見て来るから、仲居を適当に呼んで、てめぇらで好きにしろ。じゃあな」
俺は、広間を後にすると自分の部屋に戻り、黒脛巾組を呼び出した。
「政宗様出陣後、武田の動きについて、何か変わった事はなかったか?」
「はい、ございました。猿飛佐助の忍隊が、武田の屋敷に通じる道全てに配置され、伊達の存在を伏せるような情報撹乱を行なっておりました」
「伊達の存在を伏せる…?そいつは妙だな。猿飛佐助なら、真っ先に信玄に報告しそうなもんだが」
「ええ、我々も不思議に思っておりました。しかし、お陰で政宗様と小十郎様が無事に撤退出来ました」
政宗様と俺を守るための情報撹乱としか思えない。
つまり、それは遙様の策略という事になる。
遙様は、完全に猿飛佐助の忍隊を掌握しているという事だ。
政宗様との漢の約束もある。
ここにしばらく逗留していても、信玄公へは伊達の存在を報告される事はなさそうだ。
それにしても、遙様の策略にはこの俺も舌を巻いた。
流石、政宗様が惚れ込むだけの女人だ。
「分かった。おそらく猿飛佐助の忍隊は、今、完全に遙様の配下にいるはずだ。情報の撹乱もきっと遙様の策略に間違いねぇ。遙様が政宗様との接触をご希望されたら、猿飛佐助の忍隊を使う可能性が高い。向こうがこちらの布陣の偵察に来たら、好きにさせろ。また、接触があった場合も、向こうと話し合って要件を聞き出し、向こうの欲しがる情報を漏らしても構わねぇ。遙様ならば、完全に政宗様のお味方で、伊達にとって最善の手を打たれるはずだ。全黒脛巾組に、そう伝令を飛ばせ。以上だ」
「承知。では、失礼仕ります」
忍は音もなく去って行った。
さぁ、後は、政宗様をどうお慰めするかが問題だ。
俺は、深い溜息を吐いた。
俺に遙様の事を打ち明けて以来、政宗様は俺を相手に酒を飲んでは、惚気話や悲しみに泣き濡れて、底なしに飲むようになった。
短くて一刻半。長くて三刻。
今日は一体何刻飲み続けるのかと思うと、気が遠くなる。
初日は人払いを徹底していたが、それも四半刻ももたず、その日のうちに噂が噂を呼び、翌日からは俺が政宗様のお側から離れられないのをいい事に、部下達が襖の向こうで鈴なりになって公然と盗み聞きをしてはもらい泣きをするようになっていた。
俺も、もう部下達を止めるのを諦めた。
少しでも上の空になると政宗様が不機嫌になられるので、もう部下達を止めようがない。
部下達の間では初日のうちにとても有名な話になっていて、皆、政宗様と遙様をより慕うようになったから、まぁいい。
皆は、政宗様と俺のサシの飲み会をこう呼ぶ。
筆頭、愛のロードショーと…。
一刻半の時は、筆頭愛のロードショー、一刻半スペシャル。
三刻の時は、筆頭愛の巨編三刻スペシャル。
まだ4回しか開催してねぇのに大盛況だ。
毎日開催だから野郎共も夢中になるのも仕方ねぇ。
一体、今日は何刻スペシャルなんだろうか…。
とにかく時間を見積もるために政宗様のご様子を見に行かなければならない。
廊下に出て、政宗様の部屋の前に控えて黒脛巾組を下がらせた。
目ざとく部下達数人が俺のそばにやって来て控えた。
「小十郎様、酒の手配はお任せ下さい!」
「おう、頼んだ。政宗様のご様子を見たら合図をする。酒を切らさないように気を付けろ」
「もちろんッス!」
「長そうならてめぇらも廊下で飲んでろ。多分、今日は今までになく長ぇはずだ」
部下達は固唾を飲んだ。
「長いってどれくらいッスかね?」
「俺にも分からねぇ。今から政宗様のご様子を見に行く。心してかかれ!」
「押忍!」
俺は、深呼吸をしてから政宗様のお部屋の外から声をかけた。
「政宗様、小十郎でございます」
「ぐすっ…小十郎か、入れっ…ううっ…」
政宗様がまだ号泣中だ…!!
今日は涙酒、決定だ…!!
俺は、部下達に目配せをした。
部下達も固唾を飲んで頷いた。
「失礼致します」
俺は政宗様のお部屋に入って、憔悴し切った政宗様を見て愕然とした。
これは、絶対に長い!!
今まで最長の三刻スペシャルをはるかに凌駕する!!
飲む前から既に目が完全に据わっている…!!
何刻スペシャルか、全然読めねぇ!!
俺は、無言で政宗様の前に控えた。
「小十郎、とりあえず酒だ。酒でも飲まねぇと話せねぇ。…ぐすっ…」
思った通り来やがったー!!
どれだけ、酒が必要かざっと見積もる。
「かしこまりました。おいっ!!」
俺は、襖の向こうの気配に呼びかけた。
少しだけ襖が開く。
俺は、前を向いたまま、腰の横で指で3つを指示した。
そして、押し殺した声で命じる。
「しゃらくせぇ大きさのを持って来たら、ぶっ殺す!!猪口なんてしみったれた器なんかじゃねぇ。当然湯呑だ。分かってるな?」
「お、押忍!」
「てめぇら、覚悟しやがれ。今日は少なくとも12刻スペシャルだっ!!」
「じゅ、12刻!?分かりましたっ!!ありったけの一升瓶持って来させるッス!!」
バタバタと部下達が走り去って行った。
遠くで、部下達が叫ぶ声が聞こえる。
「おい、みんなー!今日の筆頭愛のロードショーは12刻スペシャルだっ!!」
「おおおお!!筆頭愛の大河ドラマ12刻スペシャルだっ!!伝令伝令!!筆頭愛の大河ドラマ12刻スペシャルだぞー!!」
「うおおおおお!!すげぇええ!!伝令伝令!!」
宿中に部下達の伝令が大声で伝わって行くのに、政宗様は気付いた様子もなく、一人さめざめと泣いておられる。
我が主なのに申し訳ないが、それほどまでに、政宗様の惚気話と涙酒は、伊達軍の中ではアイドル的存在だ。
別の表現をすれば、伊達軍最大のエンターテイメントだ。
今回は、愛の大河ドラマか。
我が部下ながら上手い事言いやがる。
政宗様には本当に申し訳ないが、俺、一人じゃとても耐え切れねぇ…!!
すぐに一升瓶3本と湯呑とつまみが届けられ、俺は、政宗様の前に配膳した。
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