みんなのアイドル -1-

俺は、あの村から撤退したものの、やはりどうしても遙を一目見たくて、後ろ髪が引かれる思いで馬を走らせた。
でも、タイムリミットぎりぎりだったから仕方がない。
遅れれば、小十郎が迎えに来て、小十郎を危険な目に遭わせてしまう。
遙の文の通りならば、今が一番疱瘡に感染しやすい時で、小十郎がもし疱瘡で倒れてしまったら、遙にしか治せない。
でも、あの右目の娘の治療にかかりきりの遙はあの村から離れられない。

それに、遙に最後に「男前を期待してるからね!」と言われてしまえば、醜態を晒す訳には行かなかった。
未練はたっぷりあるけれど、撤退せざるを得なかった。
今頃、遙はもしかしたら泣いてるかも知れない。
俺が早計だったばかりに、遙は俺に会いたくても、敢えて出て来ず、家に閉じこもって泣いていたかも知れない。

遙を泣かせるつもりはなかった。
でも、せめて顔を見て抱き締めたかった。
今頃、どんなにいい女になっているだろう。
遙に会いたくて会いたくてたまらない。

無理にやせ我慢の撤退をしたダメージが今頃になって押し寄せて来た。
声だけでも聞けて嬉しかったのは本心だけど、やっぱり遙をこの腕で抱き締めたかった。
そう思うと辛くて、涙が溢れそうになる。
やはり、まだ江戸には帰れない。
甲斐にあと数日は留まり、信玄に文を書いて正当な理由で領内に留まり、また改めて遙に会いに行きたい。
攫うのでなければ、遙だって姿を現すかも知れない。
とにかく、遙を一目見て、抱き締めたい。

恋しくて、恋しくて、たまらなくて、馬を走らせながら、涙を堪えるので必死だった。
街道にすぐに辿り着き、そのまま江戸方面にしばらく馬を走らせると、小十郎の姿が見えた。
猿飛佐助の忍達に足止めされている様子だったが、忍達は俺の姿を見ると、素早く去って行った。
そして、小十郎の前で馬を停めた。

「政宗様、遙様は…?」
「後でゆっくり話す。とにかく、国境付近の宿場まで撤退だ。攫うのに失敗した場合に押さえた宿まで撤退する。撤退と共に、成実の軍勢を進軍させ、前後の守りを固める」

涙を堪えた押し殺した声で命じると、小十郎は無言で頷き、撤退の布陣を指示して、前後の守りを固めさせると、俺と共に馬を走らせ始めた。
宿場まで、このスピードで走らせれば半刻と四半刻もあれば着く。
俺は、涙を堪えるので必死で、とにかく無言で馬を走らせた。
俺と共にあの村へ行った斥候達は、時折男泣きに泣いて、叫ぶように遙と俺を褒め称えていた。
それを聞いて、また堪えていた涙が零れそうになって何とか耐えるのに必死だった。
小十郎は、それを聞いて何か察したのか、俺に話しかける事なく、とにかく宿場まで部下達を叱咤しながら馬を走らせた。

やがて予定時刻に宿場に着き、俺と小十郎は馬を降り、部下達に馬の世話を任せて、用意されていた部屋にそれぞれ入った。
鎧を脱いで着流しに着替えて、机の上に両肘を着いて、顔を覆うと、堪えていた涙が溢れ出した。
やっぱり遙を一目だけでも見たかった。
出来れば抱き締めて、久々のキスをしたかった。
7年振りに遙の側まで行けたのに、声しか聞けなかったなんて、あまりにも無念過ぎる。

でも、多分、一番辛かったのは遙だ。
あの娘の治療のために村を離れられず、姿さえ見せられなかった。
きっと、今頃、俺以上に泣いて悲しんでいると思うと、遙を傷付けてしまった事も悔しくて、涙が余計に止まらなくなった。

「遙、お前に会いたかった…。会いたくて、会いたくて、たまらねぇよ…。遙、お前を抱き締めたかった…。くっ…」

部屋の外に小十郎が控える気配を感じたけれど、俺は、しばらくの間、ずっと、声を殺して泣き続けた。
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