納屋の扉を開けて、予想以上の悲惨さに思わず言葉が出なかった。
遙の着物の乱れは恐らく焔が直したのだろうが、着物で隠し切れないほど、無残な紅い華がびっしりと胸元から首筋にかけてついている。
遙は気を失っていて、涙で濡れた頬に土がついていた。
俺は、遙の状況を確認するために、着物の合わせを開いて、また驚愕に目を瞠った。
綺麗な形の鎖骨の上にも豊かな綺麗な形の胸にも、細くくびれたお腹にも、わざと遙の目に入る所に紅い華が咲き乱れている。
少し袴を緩めて見ると、緩やかな曲線を描いた腰の上のあたりまで跡がついている。
そのまま着物を肩から腕まで露わになるよう脱がせると、華奢な肩にも二の腕にも紅い華が咲き乱れている。
女らしい美しい曲線を描いた身体の形と素肌の色がこの上なく綺麗なだけに、この華が禍々しく残酷な傷痕に見えた。
完治するまでに1週間は少なくともかかりそうなほど、深く刻まれた華だ。
念のため、袴を捲り上げて太腿まで確認する。
綺麗なほっそりとした脚はどちらとも無事だ。
真田幸村が見たのは恐らく上半身だけだ。
こんな状態で遙が政宗に会えるはずがない。
それなのに、あんなに悲痛な声で遙を呼ぶ政宗の声を聞かせて、あの薬を使ったなら、遙は何度政宗を呼んでも声は届かず、この華をつけられた後は悲しみと悔しさで泣き濡れていたんだろう。
それだけじゃないかも知れない。
あれだけ触覚が過敏になっていたら、感じる声なんて聞かせたくないのに、無理矢理に声を上げさせられていたに違いない。
犯されているのにそんな声を上げさせられるなんて、屈辱以外の何物でもない。
貞操が守れたからと言って、それで済む問題じゃないほど遙は深く傷付いているはずだ。
この華を見る度に、遙は襲われた事をきっと思い出す。
俺は、遙の着物を整えて真田幸村を見遣った。
真田幸村が、完全に意識を失っているのをもう一度確認する。
俺が遙の身体を検分した所は見られていないはずだ。
あんなに綺麗な身体をまた真田幸村に見せるなんて許せない。
俺は、焔を見遣った。
「焔、救助の状況を報告して」
「承知。まず、遙様が部下の気配に気付き、佐助様を声の限りに呼ぶ声を聞き付けた事で事態が発覚しました。その後すぐに俺に伝令が届き、右目の幼子が伊達軍を引きつけている間に佐助様にご報告した次第です。その間、約3分。指示を受けた後にすぐに吹き矢を使い、真田幸村を失神させました。紅い華を散らすのと薬を使った快楽で辱めるのが主な目的だったようで、貞操を奪うには時間が足りなかったようです。真田幸村が見たのも上半身だけです。納屋に入ったのは俺だけです。遙様は茫然自失状態だったので、解毒の前に催眠をかけて眠らせ、傷の確認後に着物を整えて、目覚めさせた後に別の催眠を施してから解毒致しました。伊達政宗撤退の頃合いを見計らうため伝令を確保し、伊達政宗撤退の引き金になるよう遙様のお声を聞かせて伊達政宗を撤退させました。以上でございます」
焔は沈着冷静そのものの表情で俺に報告した。
それでも、目だけは焔には珍しく怒りを孕んでいて、焔も遙を主として大切に想っているのが伝わって来た。
俺も怒りを抑えながら、状況の把握をするために頭を切り替えた。
焔の催眠の内容を聞く事と、真田幸村の尋問、それから遙と政宗の代わりに真田幸村に制裁を下す事。
俺自身、真田幸村に制裁を下したい気持ちでいっぱいだ。
でも、それは尋問の後だ。
何を考えていたのか完全に吐かせてから、死なない程度に最大限の苦しみを与えないと気が済まない。
「焔、二つ目の催眠の内容は?」
そう尋ねると、焔は少し困ったような表情になった。
「佐助様は知らない方が良いかと存じますが…」
それで何となく分かった。
俺が諜報で籠絡する時に使うのは身体。
焔は相手の心理を読んで心を虜にして籠絡する。
本当の愛を知らない俺には出来ない方法だ。
男女の機微を知り尽くした焔でないと出来ない。
きっと焔は、伊達政宗の取る行動を読んで遙を操ったに違いない。
思わず深い溜息が漏れた。
二人の想いが通じた瞬間のあの感動、それにあの伊達政宗の撤退の鮮やかさにすんごく胸キュンだったのに、全部焔の手のひらの上で踊らされていたのかと思うと、何かすごく傷心…。
二人の純愛の奇跡だと思っていたんだけどなぁ。
はぁ、ショック…。
もう一度、深い溜息を吐くと焔は苦笑いを浮かべた。
「佐助様、そんなに落ち込まないで下さい。佐助様が想像してらっしゃるほど、俺が遙様を操った訳ではございません。正直、この俺にとっても賭けでございました。伊達政宗の想いが上回って遙様を一目見ようと粘るか、お声だけで引かれるか、賭けでした。しかし、せめてお声だけでも聞かないと絶対に納得しないとの読みで打った手でございます。催眠の内容は、一時的に襲われた記憶を封じて、更に綺麗な浜辺で再会した愛しい人に向かって、波の音に負けないように一番伝えたい言葉を精一杯叫ぶ、という内容です。伊達政宗が恐らくせめて声だけでも聞きたいと発言するだろうとの読みでしたので、伝令を使って頃合いを見計らって発動させました。この納屋から遙様が飛び出ないための策でございますが、遙様が叫んだ内容も、政宗殿のお言葉も遙様の記憶には残っております。俺が操作したのは、流石政宗、男前を期待してるからね、との言葉で再度眠りに落ちるように仕組んだだけでございます。あの伊達男ならば必ずキザな言葉を叫ぶはずで、そこで操作した言葉を発動させました。また伊達男ゆえに愛する女に絶対に醜態を見せないように、そこできっと潔く撤退するだろうとの読みでした。正直、賭けではございましたが、伊達の偵察を担当していたお陰で、何とか伊達政宗の心理を読む事が出来ました」
「はぁ…流石だね。本当に焔は敵に回すと怖いね。恐ろしいほどの読みだよ。あの言葉は遙の本心で、遙も政宗殿のあの言葉を聞いてて記憶にも残ってるのがせめてもの救いだよ」
「遙様ご自身の、心からのお言葉でないと伊達政宗は必ず不審に思いますからね」
「はぁ…そこまで考えてたなんて、何か俺、傷心…。あの時の政宗殿の笑顔、忘れられないよ。本当に嬉しそうだったんだ。やっと声が聞けたって嬉し涙を流して、そのまま鮮やかに撤退して行って、俺、すんごく感動したのに…。最後の捨て台詞も仕草もあんなにカッコ良かったのに…」
また溜息を吐くと、焔は優しく微笑んだ。
「人の心を読んで相手の心を操作するのは、哀しい事です。人生が味気なくなります。特に純粋な方の恋愛感情を利用するのは酷く心が痛みます。ですから、佐助様はこれ以上は何も背負わず、そのお優しい清らかなお心のままでいて下さい。相手の心理を手玉に取るような汚い仕事はこの焔が背負います。そのために俺は存在しているのですから。佐助様は十分その手を穢されております。俺が背負うのは佐助様のお心です。この焔の心を穢す事で佐助様のお心をお守りするのがこの焔の役目でございますから。ですから催眠については忘れて下さい。遙様と政宗殿の真実のお言葉だけを覚えていて下さい」
「ありがとう、焔。やっぱり俺一人じゃ全部は背負い切れないよ。君が俺の右腕で俺は救われてる。今は、次の一手を打たなきゃね。真田幸村の尋問だ」
「そうですね」
焔はまた笑顔を消して、冷たい目で真田幸村を見下ろした。
「死んではおりません。完全に失神しているので、現在五感は働いておりません。徐脈で脈拍も弱く、解毒を早めにしなければ手遅れになります。しかし、このままでもあと2時間は命はもちますから大丈夫です。尋問の内容は?」
「事件の動機だね。あと、武田の屋敷で何があったか、かな」
「そうですね…。真田幸村は拷問では口を割りません。心理戦で、嘘発見法を使うしかありません」
「その通りだね。焔の専門分野だ。俺が真田幸村を疑ったのは、涼風の件から。それは焔も知ってるね。真田幸村は遙に懸想をしていたから、嫉妬に駆られたんじゃないかと思うんだけど、ちょっと解せない所だらけだな。どんな心境の変化があったのか知りたいね」
「分かりました。俺の予想では、真田幸村は遙様の想い人が伊達政宗だと知っていて、わざとこの場所を選び、薬を使ったのだと思います。遙様が確実に傷付く方法です。それも併せて確認致しましょう」
「そっか…。真田幸村だけは知っていたのか。うん、心当たりはある。でも、確認するに越した事はないね。解毒の度合いも質問内容も焔に任せた。俺は補助に回って真田幸村の嘘を焔と一緒に見抜く事にするよ」
「承知。佐助様、俺の読みでは、武田の屋敷で真田幸村は誰か女人を抱いたのだと思いますが。心当たりは姫様しかおられません。それも尋問致します」
「何だって!?…そうか…。こんな破廉恥な事は絶対に出来そうにない人がこんな事を出来るって、童貞喪失くらいしかないね。心当たりも姫様しかいない」
「おっしゃる通りです。では、動機は姫様との逢瀬という想定で尋問をして行きます」
「了解。じゃあ始めて」
「承知」
焔は、真田幸村を仰向けに寝かせ、解毒の薬を手縫いに仕込み、注意深く吸わせた。
身体がぴくりと動いた所で一旦手を離す。
耳元でパチンと指を鳴らすとまた身体がぴくりと反応した。
聴覚は働いている状態だ。
また少し薬を嗅がせると、ゆっくりと目が開いた。
またそこで手を離す。
何度か真田幸村は瞬きをして身体を起こそうとする素振りを見せたが、ほんの少し身体が揺れるだけで、身体は自力では動かせない。
必死に抵抗する目の色をしているから表情を読み取るには十分で、声も出せない。
尋問には完璧な状態だ。
「焔、完璧だ」
「そうですね。では、始めます」
物言いたげに、俺達を睨みつける真田幸村の両目を焔は片手で覆って、耳元で道具を使って一定の速さで涼やかな音を鳴らす。
聞いているだけで、眠気を誘うようなそんな音と速さだ。
俺は、真田幸村の手首に指を当て、脈を取り始めた。
「幸村様。貴方の意識は、深い深い井戸の中にゆっくりと落ちてゆきます。何も見えない暗闇の中、見えるのは頭上にある小さな白い出口だけ。胸まで水に浸かり、身体も心も段々と冷たくなって行き、凍えて行きます。……さぁ、貴方は今、凍え切って助けが欲しくてたまらない。貴方が助かる道はただ一つ。投げかけられる質問に全ていいえで答えるのです。これは地獄の審判です。心がどんなに抗ってもいいえで答え続けなければ、水嵩は増し、死ぬ事も許されずに溺れ続けます。貴方にはいいえで答えるより助かる道はありません。全ての質問にいいえで答えるのです…。そして、嘘をついた時、貴方は罪の意識に苛まれもがき苦しみます…。これは地獄の審判ゆえ嘘は決して許されません。嘘をついた時、貴方はもがき苦しみます…。目を決して閉じてはなりません。頭上の出口を見つめて救済を祈るのです…。目を閉じてはなりません…」
ゆっくりと、低い錆を含んだ声で焔が催眠をかけて行く。
どこかホッと安堵するような、言われるままに身も心も任せて意識を手放したくなるような、そんな声音だ。
耳元で涼やかな音をゆっくりと道具で立てながら、そんな声音で話されたら、焔の言葉通りの催眠に落ちて行かざるを得ない。
これが、焔の最大の武器だ。
抗うように、速く強くなっていた真田幸村の脈が、穏やかになって行く。
体温も少し下がり、呼吸もゆっくりになっていって、催眠にかかった事が確認出来た。
やがて、焔の言葉通り寒さに震えるように真田幸村は唇を震わせ始めた。
焔は俺に目で合図をして、真田幸村の目を覆っていた手を離した。
完全に催眠にかかった目付きをしている。
俺も頷いた。
さぁ、尋問の開始だ。
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