Au Revoir -2-

美紀は、3年前、産婦人科医になった。
女性の患者が気兼ねなく受診できるようにしたいといつも美紀は話していた。
産婦人科医には女性が少ない。
お産は不定期だし、夜中に呼び出される事もしょっちゅうだ。
そして、長時間に渡ることもしばしばだ。
そんな理由で、体力的な問題から男性でも避けてしまう職種なのに、美紀はいつも笑いながら「しんどい」とおどけてみせるだけだ。
外科の手術も長時間に渡ることがしばしばなので、私は私で忙しく、大学の頃のようには美紀には会えなくなった。

「私ねー、今日は珍しく早かったんだ!遙は忙しいかなって思ったんだけど、コンビニの帰りに見たら電気点いてたから遊びに来ちゃった。肉じゃが作って来たよー!」
「ありがとう。何か、私、彼氏みたいだね」

いそいそと鍋を火にかける美紀を見ながら、肉じゃがは男性が彼女に作って欲しい料理ベスト3に入ることをふと思い出して笑ってしまうと、美紀も笑みを深めた。

「だって、遙、外科病棟のエースだもんね!その歳で国費留学とか、本当にすごいよ。来年から会えなくなっちゃうと思ったら、今のうちに遙に会わなきゃって思って。彼氏より優先!」
「もう、慶君も大切にしてあげないと」

そう言うと、美紀は表情を改め、テーブルに着いた。
美紀がこんなに神妙な顔をすることは割と珍しいので驚く。

「どうしたの?」
「あのね、遙…。私、遙がアメリカに行く前に、慶君と結婚するんだ…」
「結婚…?」

いつもどこか友達づきあいの延長のように彼氏と付き合っていて、ほとんど惚気もしない美紀から『結婚』の言葉が出たことがあまりにも意外で私は目を瞠った。

「えっ!?そうなの?美紀、良かったじゃない。おめでとう!」

驚きながらも祝福すると、美紀は照れたように笑った。

「ありがとう。でも…何か、ゴメンね。その…政宗の事…」

美紀は言いにくそうに目を逸らした。

「遙だって、きっと政宗と幸せになりたかったよね…。恋愛体質じゃない私ですら、結婚って何か嬉しいんだもん。遙だったら、きっと何物にも代えがたいくらい、政宗との結婚って嬉しいよね…」

誕生とか、結婚とか、死には、説明しがたい力があると思う。
おぼろげに想像してみるのと、実際に立ち会うのでは、心に与えるインパクトが全然違う。
ずっと、政宗と離れることを知っていた私は、本当の喜びを知らないのかも知れない。
それでも、もう一度あの腕に抱かれて、そして離れることがないのだと想像すると、苦しいくらいに切なくて、思わず瞳が潤んでしまった。

「ゴメン、遙!泣かせるつもりじゃなかったの。遙、本当にゴメンね…。そっかぁ、やっぱり遙はまだ政宗の事が好きだよね…」
「うん…」

あれから7年も経ってしまった。

政宗…。
もう、誰か姫を娶ったの?
世継ぎは出来た?
私の事は…もう忘れてしまった?

考えれば考えるほど、未だに私一人政宗を想っているような気がして、悲しくなっていく。
美紀は私の肩をぽんぽんと叩くとテレビをつけた。
そして、私の気を紛らわせるように話題を変えた。

「ふーん。何か、大学の頃に比べて最近多いよね、異常気象とか事故。来月学会に行くのに、飛行機乗るの怖いよ」

テレビでは各地の災害のニュースが流れていた。
美紀の言葉で私は現実に引き戻され、一緒にテレビを眺める。

「そうだね。うちの大学病院だからかも知れないけど、悪性新生物とか新しい感染症の症例も増えてるよね。関連付けるのもおかしいけど、何で年々重症度が上がっていくんだろうって。ちょっと生態系とか変わって来てるのかな、異常気象で」
「そうかも知れないねー。生態系が医学に及ぼす影響とか、講義ではやったけど、実際に目にするまで考えもしなかったな。まぁ、WHOの報告見て対策練るしかないけどね」

美紀は肩を竦めると、立ち上がり、夕食の準備を始めた。
私も一緒に並び、冷蔵庫にある簡単なものでおかずを作る。

しばらくそうしていると、また何気ない日常に戻っていって、二人でビールを空けながら楽しく食事をして、そうしてそれぞれの日常に戻って行った。

ずっとこうして日常の中に埋もれて生活していくものだとばかり思っていた。
予兆はそこにあったのに、私達は、何も気付かずに生活をしていた…。
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