ちらりと全裸の遙の身体を見る。
本当に、美しいのは顔だけじゃなくて、身体まで美しい。
柔らかな曲線を描いた身体は、豊かな胸も細い腰もお尻にかけての曲線も、本当に美しい。
男を魅力するというより、むしろ神々しいくらいで、本当に誰にも穢されてなんかいけないくらいに美しい。
だからこそ、無数に散らばめられた紅い華があまりにも無残で、また怒りが込み上げる。
初めて知った、遙の素肌の温もりはあまりに尊くて、こうして抱き上げて触れているだけで、何だか心が幸せな気持ちで満たされる。
本当に大切にしたいという気持ちでいっぱいになる。
だからこそ、怒りも抑えられたし、欲情もしなかった。
白く濁った、程よい熱さの温泉に浸かると、遙を起こさないように気をつけながら、そっと顔に湯を手でかけて、涙で汚れた顔を清めた。
そして、湯で濡れた親指で柔らかな唇をそっと何度かなぞって、真田幸村が穢したに違いない唇を清めた。
こうして指で柔らかな唇に触れるだけなのに、気持ちが溢れ出す。
本当に、遙が好きでたまらない。
多分、これが愛してるって気持ちなんだ。
遙を本当に大切にしたくて、愛しくてたまらない。
その一方で、どうしようもなく唇を重ねたくて仕方なくなる。
俺なんかの唇で穢したりなんてしちゃ絶対にダメなのに。
ああ、本当にキスなんて自分から望んでしたいなんて思った事、今まで一度もなかったのに。
でも、こうして触れると溢れ出した気持ちが抑えられない。
愛しくて、愛しくて、たまらなくて、ただ純粋に優しい柔らかなキスをしたくてたまらなくなる。
キスなんて、情欲をかきたてるための前戯にしか過ぎなかったのに、遙にはそんなキスはしたくない。
大切に大切に慈しむような、そんな気持ちを伝えるようなキスがしたい。
遙は政宗殿の妻だと分かり切っているのに、気持ちが抑えられない。
「遙、ゴメン…。君が政宗殿しか愛せないのは分かってるのに、君が愛しくてたまらなくて、胸がすごく苦しいよ…。君にキスしたくてたまらない。眠ってる君にこんな事をするのはとても卑怯な事だけど、俺のたった一つの我儘を許して。君を心の底から愛してるよ。だから、君の意識がないうちにキスさせて。これが、最初で最後だから…。ゴメンね、遙。俺なんかが君を愛して。でも、本当に好きでたまらないんだ。だから、最初で最後の俺の我儘を許して。遙、君を愛してるよ…」
そう囁いて、そっと唇を重ねた。
とても柔らかくて、こうして触れると愛しく思う気持ちが溢れ出して、胸が苦しいくらいに締め付けられる。
あまりにも気持ちがいっぱいになって、涙が溢れ出した。
多分、これが幸せな温もりなんだ…。
想いを交わした訳じゃないから、遙と政宗殿の幸せにはほど遠いと思うけど、それでも今まで愛を知らなかった俺にとっては、初めての幸せな温もりだ。
離れ難くて、何度も柔らかくキスを繰り返してそこでようやく止めた。
唇を離しても涙が止まらない。
胸がいっぱいで、幸せ過ぎて、涙が溢れ出す。
また身体の穢れが消えて行く感じがした。
これで最後なんてとても辛いけど、それでも想いを遂げられて、言葉では言い表せないくらいの気持ちで胸の中が満たされた。
「遙、ありがとう。そして、ゴメンね…。きっと君は政宗殿にしか許したくなかったはずなのに、ゴメン…。俺、今、幸せでたまらない。最後に君にこうして触れられて、やっと愛の意味が分かった気がする。本当に君を大切にしたい。ずっとずっと君を愛してるよ…。例え君が政宗殿の下に戻った後でも。もし許されるなら、政宗殿の下に戻った後でも君を守りたい。愛してるよ、たった一人、俺が愛した、大切な大切な、遙…」
もう一度だけキスをして、そして遙の唇を何度も湯で清めた。
土ぼこりで汚れた髪を全て洗うのは難しい。
出来るだけ湯に浸けて洗い流して、手で湯をかけたけれど、まだ全ては落ちない。
遙が目覚めて自分で洗わない限り無理だ。
遙の首筋を念入りに洗い流して、そして俺は遙を抱き上げ湯船から上がった。
片腕で遙を抱いて、手拭いで手早く遙の身体を拭く。
そして、俺自身は身体を振って軽く水滴を落として、部屋に戻った。
着流しを手早く着て、遙の身仕度を丁寧に整えて、濡れた長い髪を乾いた手拭いで包んだ。
ここからが勝負だ。
遙がどれだけ取り乱すか想像もつかない。
遙を愛してしまった今、俺だってどこまで冷静でいられるか分からない。
でも、最善を尽くすしかない。
「焔、若草と部屋に入って。今から催眠を解こう」
「承知。さぁ、若草、打ち合わせ通り頼んだよ」
「はい、焔様」
焔と若草が部屋に入り、若草は遙の姿を見て衝撃を受けたように固まり、そして涙を浮かべた。
「遙様っ!!酷い…!!幸村様が、遙様をこんなに傷付けたなんて、想像もしてませんでした…ううっ…」
若草は涙をぽろぽろと流して泣きじゃくった。
その頭を焔が優しく撫でる。
「お前のその気持ちが、きっと遙様の救いになるよ。ずっとお側についていて差し上げなさい」
「はいっ、焔様。ううっ…」
焔と若草は、遙の側に跪いた。
焔が遙の耳元で、催眠の道具を使ってゆっくりと音を立てた。
「さぁ、優しい夢の終焉です。遙様、お目覚めの時が参りました。ここは忍の里です。貴女は完全に守られております。だから、恐れる事はありません。記憶も全て蘇ります。でも、貴女は助かったのです。もう、誰も貴女を傷付けられません。だから、安心して目を覚ますのです…」
記憶を封じ続けたら、深入りしてしまって、完全な記憶喪失になってしまう。
自分が誰かも分からなくなってしまって、身体の痣を見たら余計に怖い思いをしてしまう。
だから、これ以上は記憶を封じ続けられない。
また時間を空けて、少しの間だけ記憶を封じるのが精一杯だ。
遙がどれだけ取り乱すか想像すると、哀しみと緊張で手が震えそうだ。
遙の長い睫毛が震えて、ゆっくりと目が開いた。
しばらくぼんやりと焦点が合わなかったのが、焦点が合った瞬間、遙は絹を裂くような悲鳴を上げて身体を起こし、そして自分の身体を抱き締めるようにして震えながらぽろぽろと涙を流した。
「遙様っ!!」
すかさず若草が遙をぎゅっと抱き締め、背中を撫でて落ち着かせた。
「遙様、若草でございます!遙様っ!!私です!若草でございます!!」
何度も若草が声の限りに遙にそう叫ぶと、ようやく遙の悲鳴が止まり、震えながらそっと若草を引き離して若草の顔を見つめた。
「若草ちゃん…?」
「そうです、私です」
「ここは?」
「忍の里でございます。遙様をお守り出来ず、申し訳ございませんでした。救出の際、遙様のお着物の乱れを直したのは私です。そして、佐助様の手で忍の里にお連れ致しました。ここは佐助様のお部屋で、誰も入る事を許されておりません。ですから、ご安心下さい。断りもなく申し訳ございませんでしたが、眠っておられる遙様の湯浴みとお着替えは、私がお世話させて頂きました。私も悔しいですっ!!あまりにおいたわしくてっ!!」
若草は、遙を抱き締め、その肩に顔を埋めて泣きじゃくった。
遙も若草を抱き締めて、嗚咽を漏らして泣いた。
ちらりと焔を見遣ると、焔は唇の小さな動きだけで俺に話しかけた。
「遙様も、若草にしか身体を見られていないと思われれば、心の痛みもまだマシになります。また、涙を流さなければ、心の痛みも癒されません。女同士でしかこの痛みは分かち合えませんから、若草が共に心の底から泣く事でしか、今の遙様を落ち着かせる事は出来ません。それでも、また襲われた記憶が鮮明に蘇り、また錯乱なさるでしょう。若草をこのまま控えさせます」
「なるほどね。そこまでの女心は俺には分からないや。焔、助かった」
「いえ、とんでもございません。俺はいったん下がり、偵察の指示を出して参ります。遙様が落ち着かれたら、明日の分の治療の方針と薬の手配だけお願いして下さいませ」
「分かった。何かあったらまたすぐに報告に来て。それから、君もなるべくそばに控えていて。あまりにも錯乱したら、催眠しか方法がない」
「承知。では、失礼致します」
焔は頭を垂れて、そして部屋を出て行った。
遙の嗚咽が収まって行く。
そして、涙声で若草に尋ねた。
「私、助かったの?」
「左様でございます」
「救出された時の事、よく覚えてないの。哀しくて哀しくて、何も考えられなくて、ただ自分の身体が穢されて行く感触しか感じられなくて、よく覚えていないの。ううっ、もしかして、最後まで犯された?」
「いいえ、お着物の乱れは上半身のみでございました。袴も少し緩められただけでございました。それでも同じ女として許し難いです!!こんな辱め、最後まで犯されなかったとしても、辛い事には変わりありません!!ううっ、遙様ぁっ!!」
若草がまた声を上げて泣くと、遙も若草を抱き締めて、嗚咽を漏らしながらぽろぽろと涙を流した。
俺は、二人が泣き止むまで、ずっとただそこに座っている事しか出来なかった。
2時間ほど経ってようやく遙は泣き止み、そして、やっと気付いたように俺を見つめた。
「佐助…?もしかして、佐助の名前を呼んだの、誰かが知らせてくれた?」
「ああ、そうだ。君が声の限りに俺を呼んだのを部下が聞き付けて、君の切り札が発動してすぐに伊達政宗に悟られないように慎重ながらも速やかに助けた。吹き矢を使って真田幸村を気絶させて、若草がすぐに君の着物の乱れを直して、それから焔が君を催眠で眠らせたんだ。伊達政宗の撤退は成功した。だから、戦は起こらないよ。安心して?」
「そう…。戦が回避出来て本当に良かった…。私のこんな姿、政宗が見たら甲斐は壊滅する…。何か、夢の中で政宗と話したの。お前の愛してる、全部解読したって言ってた」
「ああ、それは夢じゃない。俺に君の救出が成功した事を知らせるためと、政宗殿に君の声を聞かせるために、焔が催眠で一時的に君の記憶を封じて、あの納屋から君の一番伝えたい言葉を政宗殿に向かって叫ばせたんだ。それで俺も君の救出を知ったし、何より政宗殿が涙を流して喜んでいたよ。やっと声が聞けたって。それで撤退して行った。最後にKeep Only One Loveって叫んでたな。その前に君はまた眠りに落ちたんだ」
「Keep Only One Love、か…。まだ政宗、覚えててくれたんだ…。すごく政宗らしいよ…」
遙はまた涙を浮かべて静かに泣いた。
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