酒もすっかり抜けて、すっきりとした頭であの村での戦闘を思い出す。
よくよく考えたら、遙なら、あの右目の疱瘡の娘に付きっきりの筈なのに、幼い娘だけ飛び出して来たのが腑に落ちない。
遙なら、真っ先に飛び出して、俺を止めそうなものなのに、何故出て来なかったか。
あの場にいなかったのか、いや、違う。
確かに遙の声を村の奥から聞いた。
あれは、間違いなく遙の声だった。
猿飛佐助の忍が、遙を足止めしていたか?
いや、違うな。
遙は完全に猿飛の忍隊を掌握している。
という事は、遙を足止めしていたのは、忍隊ではない、何か別の理由だ。
村人達は遙に恩義を感じているはずだし、遙が俺を撤退させると言い張れば、早く俺に立ち去って欲しい村人達なら喜んで遙を差し出すはずだ。
何か、きな臭い。
遙は、やはり声も出せないほど、何かに足止めされていた。
囚われの身だったのかも知れない。
遙を足止めした何かを、忍隊が戦闘終了後に気付いて救出したものの、やはり、遙はその場から動けず、声しか出せなかった、と考えるべきか。
怪我でもさせられたのか?
その何者かに。
村人ではない。
猿飛佐助の忍隊は猿飛佐助の指示でしか動かない。
それを覆せるのはたった一人、真田幸村だけ…。
しかし、真田幸村と猿飛佐助は仲違い中のはずだ。
その証拠に真田幸村は、あの場で戦闘に参加していなかった。
あの場にいた忍隊は猿飛佐助の精鋭部隊の力量だった。
猿飛佐助の命令に絶対的に従うに違いない。
俺の知っている情報で、遙を傷付けそうな人物は…真田幸村だけだ。
真田幸村は、遙を逆恨みしていると考えられる。
しかし、俺が甲斐にいるのを知っているのは、猿飛佐助と村人、それから武田の姫のみ…。
今朝、黒脛巾組を呼び出して、これまでの事を報告させたが、武田の屋敷に放った忍も、姫を追わせた忍も、姫が何かを漏らしたという報告は聞いてない。
ただ、姫が帰る時に、真田幸村とすれ違いざま、何やら当たり散らしていたというのは聞いた。
やはり、真田幸村がそこで何か勘付いたと考えるべきか。
結論は、いくら考えても真田幸村に至る。
「おい、小十郎!」
声を上げると襖が開き、隣の部屋から小十郎が入って来て控えた。
「政宗様、何でございましょうか?」
「しばらく宿の延長だ。何か引っかかる。まだ、甲斐で、俺自身が確かめたい事がある」
「確かめたい事でございますか」
「ああ。あと1週間は、俺、直々にここで指揮を取りながら、武田を探る。いや、正確には、真田幸村を探る」
「真田幸村でございますか?」
「ああ、そうだ。何でも構わねぇ。真田幸村に関する情報を集めろ。それから、猿飛佐助と接触をする。あの村に、誰か遣いにやれ」
「かしこまりました。すぐに指示を出します。政宗様、小十郎の推測でございますが、遙様の身に何かがあったのでは、とお考えではないでしょうか?それと真田幸村が関係あるとお考えですか?」
「その通りだ、小十郎。真田幸村に関しては、猿飛佐助はここ数日は接触してねえはずだから、その間何があったか、黒脛巾組を使う。そして、現在は、猿飛佐助が遙を守っているはずだから、猿飛佐助と接触をする。俺も、あまり甲斐に留まると、武田信玄に会わない訳にはいかねぇから、1週間のうちに、カタをつけたい」
「かしこまりました。では、失礼致します」
小十郎は、指示を出しに部屋を出て行った。
そして、すぐに小十郎は戻って来た。
「政宗様、失礼致します」
「ああ、入れ」
「村に遣いにやる前に猿飛佐助自身が、こちらに参りました」
「猿飛佐助が!?…嫌な予感、推理が当たったって事か。分かった、通せ」
「はっ!」
しばらくすると、小十郎が猿飛佐助を伴って部屋に入って来た。
そして、深々と頭を下げた。
「いいから、顔を上げろ」
「いや、このままで、ご報告したい」
「報告か…。遙の身に何があった?」
猿飛佐助は、小さく溜息を吐いた。
「もう、お見通しだったとは、恐れ入ったよ。流石、天下人だ。何があったかは、俺の口からは言えない。ただ…俺達でも手の施しようがないほど、遙の心が傷付いている。その傷を癒せるのは、貴方しかいない」
「心に傷だと!?誰がやった!?」
「その前に、遙から預かった、伝言を聞いて欲しい。政宗殿はボイスレコーダーという物をご存知だろうか?」
「ボイスレコーダー?…ああ、昔、遙が使ってたな。大学の講義の復習にしょっちゅう使ってた」
「遙からの伝言は、これに入ってる」
そう言って、猿飛は懐からボイスレコーダーを取り出し、俺に差し出した。
俺は、イヤフォンを耳に付けて、遠い記憶を辿りながら、ボイスレコーダーをいじった。
政宗へ、と書いてあるトラックが一番上にあって、それを再生した。
再生された、遙の声は涙声だった。
「政宗、ごめん。ごめんなさい。政宗に会いたいのに会えない。辛くて堪らなくて、死にたい…。寝ても覚めても、襲われた事を思い出して、辛くてっ!!身体のキスマークを見るたびに死にたくなってっ!!いつか消えると思うけど、自分の身体が気持ち悪くてたまらないっ!!死にたくてたまらない!!でも、最期のお願いだけ、聞いて。下手人を探さないで。例え下手人が分かっても、そのために戦は起こさないで!!これが、最期のお願い。戦だけは、やめて!絶対に戦だけはっ!!ううっ…。死にたい…」
俺は、あまりの内容に、拳を握りしめた。
イヤフォンを勢いよく耳から離し、拳で机を叩いた。
「政宗様っ!?」
「猿飛、今すぐ遙をここに連れて来い」
「もう向かってる。催眠の得意な忍が遙を眠らせて、俺より少し遅れて出発した。そろそろ着くはずだ。先に言っておくけど、一応未遂。貞操は死守した。この二日間、錯乱しては泣いて、薬湯も怖がって飲まない。何も食べないし、水を飲んでもすぐに嘔吐する。少し眠ってはうなされて起きて、また錯乱する。手練れの忍の催眠も効かないくらいに、身体にも目立つ痕を残されてて、記憶を封じてもすぐに蘇る。正直、遙は政宗殿に会うのを拒否したよ。命まで絶とうとしたから、介錯すると欺いて峰打ちで気絶させた。彼女を癒せるのは貴方しかいない。申し訳ない」
俺は怒りを抑えながら、猿飛に聞いた。
「遙が襲われたのは、あの戦闘中だな?」
「ああ、そうだ」
「くそっ!!じゃあ、あの声は?」
「俺の部下が、救出直後に暗示をかけて一時的に襲われた記憶を封じて、遙が一番伝えたい言葉を叫ぶようにした。だから、あの言葉は真実。遙の記憶にも残ってる。でも、あの後、すぐに眠らせた」
「そうか…」
その時だった。
下の階からバタバタと足音が聞こえた。
「筆頭!!客です!!」
「分かった、すぐ行く!!小十郎、お前も来い」
「はっ!!」
玄関まで行くと、遙を頭まですっぽりと白い布で包んで抱き上げた忍がいた。
猿飛佐助と一緒に俺と戦った忍だ。
エルメスのバッグともう一つ大きな鞄も持っている。
俺は大股に近付いて、遙を抱き上げた。
顔を確かめようとすると、止められた。
「お部屋に着いてからの方がよろしいかと思います。暗示の解ける合言葉は、I love you、の日本語訳でございます」
「分かった。小十郎、鞄を持て。部屋に行くぞ。猿飛、お前はあの娘の治療のために、ここを行き来しろ。今日は下がれ」
「分かった。焔、行くぞ」
「かしこまりました」
二人は一礼して帰って行った。
「小十郎、二階を人払いだ。部屋の外で誰も来ないよう、見張れ」
「はっ!」
小十郎と二階に駆け上がり、一番奥の俺の部屋に入った。
小十郎は部屋の入口に鞄を置くと、襖を閉めて、外で控えた。
遙とこんな形で再会するなんて、思いもしなかった。
死にたいなんて言葉、遙の口から聞きたくなかった。
そっと布を解くと、青褪めてやつれた遙の顔が現れ、そして、その下の首には、無惨なほどに、キスマークがたくさん散らばっていた。
湧き上がる怒りでどうしようもなく何かに当たり散らしたい気持ちと同時に、深い深い哀しみで、涙が溢れる。
傷付けられたのは遙なのに、俺自身も深く深く傷付いた。
「遙っ!!」
俺は、眠ったままの遙を抱き締めて、ひたすらただただ、泣いた。
きっと、武田の姫の様子から、真田幸村が俺の存在に気付いて、そして、遙を奪おうとしたに違いない。
俺がもしここに来なかったら、遙はこんなに傷付けられなかったかも知れない。
「遙っ!!悪かった…!!俺が早まったばかりに、お前を傷付けてっ!!悪かったっ!!」
遙の頬に、涙が落ちて濡れて行く。
催眠はあまり長い時間かけるのは良くない。
早く解かなければ、深入りしてしまう。
俺は、遙の頬に口付け、囁いた。
「遙、愛してる…」
遙の長い睫毛が震えて、ゆっくりと目が開いた。
焦点の合わなかった目が、何度か瞬きをして、段々と俺の顔を認識していった。
「まさ…むね?」
「ああ、そうだ、遙」
「これは、夢…?幸せな夢…?死ぬ前って夢を見るの…?」
俺は迷った。
夢だと今だけは思わせておいた方が、遙のためになるのか、現実だと告げた方がいいのか。
「今は、何も考えるな。ただ、俺に甘えていればいい。遙、愛してる」
「私も愛してるよ、政宗。夢でもなかなか会えないから、淋しかった…」
「大丈夫だ。これからは、ずっと一緒だ。だから、何も心配すんな」
そう囁いて、唇が触れ合うだけのキスをした。
ああ、本当に久しぶりの遙の唇の感触だ。
懐かしくて、愛し過ぎて、目頭が熱くなる。
もう一度、キスをする。
今度は、もっと唇の柔らかさをお互い感じるようなキス。
遙の目が潤んで涙が零れていった。
「政宗のキスだ…。忘れかけていた、政宗のキス。懐かしい…。幸せ過ぎて、泣けて来るなんて、何年ぶりだろう…。政宗、愛してる」
「ああ、俺もだ。俺も、お前を愛してる。久しぶりのキスで、俺も泣けて来そうだ。今日はこのままお前を抱き締めて、ずっとキスしてたい気分だ」
そう言うと、遙ははらりと布を解いて、俺の首に腕を回した。
綺麗な鎖骨にも胸元にも紅い華がたくさん散らばっていて、やるせない気持ちになる。
また怒りが込み上げて来たけれど、いたずらに遙を傷付けたくなくて、ぐっと堪えた。
それを隠すように、遙を抱き締めて、何度も何度も柔らかく唇を重ねた。
段々蘇る、あの頃の記憶。
飽きる事なく、遙を腕に抱いて、何度もキスをしては、愛を囁いた、あの頃の、幸せな気持ちが蘇っていく。
何時の間にか、二人とも涙を流していた。
それでも、足りない。
7年間、会えなかった分だけ、何度もキスを繰り返す。
段々と深いキスになって行くと、遙の身が強張った。
すぐに唇を離して遙の顔を見つめると、怯えたような表情をしていた。
真田の野郎、ディープキスしやがったな!!
「遙、忘れたか?俺のキス。忘れてたら、思い出すまで何度でもしてやる。触れ合うだけのキスも、深いキスも、全部。俺が怖いか?」
「ううん。政宗、これは、夢?」
もう一度尋ねられて、本当にどう答えたらいいのか困った。
遙は、夢だと思っているから、真田幸村の事を思い出さないだけなのかも知れない。
でも、いつかは真実を知る。
俺はこのまま欺くべきか、告げるべきか…。
「怯えるな。俺を拒むな、絶対に。俺はお前を愛してる。お前はこうして俺の腕の中にいる。それだけが真実で、現実だ」
遙はみるみるうちに涙目になって、俺の首から腕を外し、怯えるように、小さく身体を丸めた。
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