遙は、涙をぽろぽろと流しながら、酷く取り乱した。
「大丈夫だ。お前は穢れてなんかいない。綺麗なままだ。あの頃より、また綺麗になった」
「違うっ!!嫌っ!!怖いっ!!気持ち悪いっ!!」
遙は首を横に振りながら小刻みに震えていた。
「遙、よく聞け。今だけは、これはただの怪我だと思え。痣は二週間もあれば消える。心の傷は、一生かけてでも、俺が癒す。その男の感触なんて忘れるくらい、何度でも優しく抱いてやる。だから、大丈夫だ。俺がお前を守る。もう、怖い事なんて何もない。大丈夫だ」
遙は震えながら、首を横に振っていた。
額にキスをして、子どもをあやすように背中をさすった。
額に、頬に、キスをしながら、大丈夫だと何度も何度も繰り返すと、ようやく震えが止まって行った。
まだ、ぐすぐすと泣きながら、俺の着物の襟を握り締め、時折怯えるようにぎゅっと目を瞑る。
「政宗、怖い…」
「大丈夫だ。お前は今、伊達に守られている。後ろに30万の軍勢を控えてな。もちろん、前にも撤退には十分な軍勢がいる。成実が指揮を取ってるから大丈夫だ。ここは、甲斐の中でも武蔵に近い所だ。誰もお前に手出しは出来ねぇ。世界で一番安全な所にいるから、大丈夫だ」
「30万の軍勢…?」
「ああ、そうだ。戦を仕掛けるつもりはねぇが、俺は天下人だ。それくらいの準備は整えて迎えに来た。何があっても、お前を守れるように。お前が俺に教えてくれた、常備軍ってやつだ」
「10万くらいだと思ってた…」
「江戸から北は全部伊達だ。上杉を除いてな。30万は常備軍の一部だぜ?伊達の常備軍は100万人レベルだ」
遙は本当に驚いたように目を瞠った。
驚きのあまり、恐怖心も吹き飛んだようだ。
俺は微笑んで遙の頬を撫でながら続けた。
「ああ、そういえば、鎌倉も落とした。お前と俺の、一番大切な思い出の場所だからな。そのうち、一緒に行こうな。長谷寺の紫陽花を見に行こう」
「覚えててくれたんだ…」
「ああ、金閣も覚えてるぜ?あれはインパクトあったからな」
「ふふっ…」
ようやく遙の顔に、少しだけ笑顔が戻った。
その頬にキスをすると、やっと緊張がほぼ完全に解れた。
「お茶が飲みたいな…。政宗が薄茶を立てる所が見たいな…」
「お前、茶の湯の嗜みがあるのか?」
「うん。あのマンションにはなかったけど、実家にはあったの。お茶とお花とお琴は17まで習ってた」
「初耳だぜ。隠してたな?」
「だって、普通の事かなって思ってたから、言わなかっただけ」
「それだけの嗜みがあれば、大名に嫁げるぜ?俺の妻に相応しいな。やっぱりお前は最高の女だ。この部屋に茶釜はねぇから、略式で、鉄瓶の湯で茶を立てるしかねぇな。お前も今は作法なんて考えなくていい。江戸に帰れば利休がいるから、それからゆっくり茶の湯を楽しめばいい」
「利休様、厳しそう…。お茶室のお作法、苦手だったんだ。特に、お殿様向けのお作法は覚えてないな」
「俺に様はつけねぇのに、利休様か。利休でいい。お前は俺の妻だからな。何も難しい事はねぇ。ただ、無駄なく一番綺麗に見える動きだけ意識すればいいだけだ。そのうち慣れる。今日は略式だから、俺の膝の上にいろ」
俺は、遙の首を白い布で隠した。
「おい、小十郎!」
「はっ!」
「薄茶の準備をしろ。略式だ。なつめと茶杓と茶筅があればいい。鉄瓶で湯を持って来い。菓子は適当に見繕え」
「かしこまりました」
小十郎は、気を利かせて部屋の外で返事をし、中居を呼んで申し付けた。
「小十郎の声、初めて生で聞いたな。ちゃんといるんだ」
「当たり前だ。お前の知ってるやつ、みんないるぜ?もったいねぇから、前田夫妻くらいしか会わせたくねぇけどな。どっちが熱々か競争してやってもいいぜ?」
「ふふっ…。まつには会ってみたいなぁ」
「ああ、羨ましいくらいに夫婦仲がいいからな。お前がいない間は羨ましくてたまらなかった。今なら負けねぇよ」
そう言って、そっと唇にキスをすると、遙は拒まなかった。
ようやく少しは落ち着いたようだ。
そのままゆっくりと髪を撫でながら、触れるだけのキスを飽きる事なく繰り返した。
風呂にも入れないほど取り乱していたのか、髪にはまだ土が着いていた。
茶を飲んだ後にでも温泉だな。
また取り乱すだろうと思うと辛くてたまらない。
いくら痣だと言い聞かせても、見れば記憶が蘇るだろう。
とにかく、ずっとそばについているしかない。
「政宗様、茶をお持ち致しました」
俺は遙の首まで布で隠した。
「Okay、入れ」
「失礼致します」
小十郎は襖を開けて入り、一礼をして、襖を閉めた。
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