月の涙 -3-

「お初にお目にかかります、遙様。片倉小十郎と申します。政宗様は、どうぞそのままで。僭越ながら、この小十郎がお茶を立てますので、ごゆるりとお寛ぎ下さいませ」
「あの、私は…」
「政宗様から何度もお話を聞かせて頂きましたから、何も仰らなくとも結構にございます。八王子の爺やに託された文には、この小十郎、大変感服致しました。その教養の深さ、敵を欺きながらも政宗様にお伝えしたかったお言葉を伝える策、この小十郎、大変恐れ入りました。時に遙様にお尋ねしたい事がございますが、よろしいでしょうか?」
「はい」
「遙、うん、でいい。お前は俺の妻だ」
「え?うん…」

小十郎は微笑ましそうに笑った。

「あの日、甲斐の街道にいたこの小十郎に猿飛忍隊を派遣し、また、武田の屋敷の周辺に同じく猿飛忍隊を派遣し情報を撹乱させ、伊達の存在を伏せた策は、遙様の策でございますか?」
「うん」
「お見事でございました。俺の出陣予定は丁度四半刻後でございました。政宗様撤退の時間の見積もりがそのようになっておりました。また、信玄公に存在を隠し通すつもりの布陣を敷いておりました。鮮やかな読みに感服した次第でございます。政宗様の奥方様に誠に相応しいお方だと思います」
「そう?後ろに控えてるのが10万くらいかと読み違えたけど…」
「素直に褒められとけ。お前はよくやった。俺の予想以上にな。お陰でここまでの撤退がすごく楽だった」
「左様にございます。後ろの軍勢まで読んでらっしゃいましたか、流石でございます。遙様の読みではどのような布陣に?」
「甲斐との国境付近、伊達領内に伊達成実率いる約3千騎以上の軍勢、主に鉄砲隊を待機。その後ろに、鬼庭綱元が恐らく江戸と奥州の間で約10万超の軍勢を構成しながら、甲斐に向けて、順次進軍中。ついでに付け加えると、武田上杉の同盟に備えて、先手を打って長曾我部と同盟を締結。海から上陸し、西からも囲む作戦。そう読んだんだけど、合ってる?」

小十郎は、目を瞠った後、微笑んだ。

「そこまで読んでいらっしゃったとは、恐れ入りました。軍勢の数の読み違えはございますが、布陣はおおむね合っております。また、長曾我部とは縁が深いため、いつでも政宗様のために動く用意をしてらっしゃいます。今回も、甲斐でお忍びという名目で、何かがあったら、西の守りをお願いする由はお伝え致しました。伊達の軍師を自負しておりましたが、敵いませんね」
「軍師と名高い小十郎だから念には念を入れるはずって読んだだけ。今の情勢はよく知らないけど、紀州から尾張まで、政宗に縁の深そうな武将が治めていそうだったから。海辺が多いから長曾我部だと思ったの。尾張からなら、駿河の方から甲斐にすぐに向かえる」
「情勢をご存知ないのに、よくそこまで…。感服致しました。おおよそ合っております。伊達の水軍と長曾我部の水軍は同盟を結び、東の海の殆どを支配しております。ですから、海からの上陸はほぼ、どこからでも可能です。流石でございます」
「参ったな…。遙にそこまで読まれてたとはな」
「だって、政宗が先鋒で小十郎が200騎連れてるって聞いたから、これは総力戦だって、急いで10秒以内で考えたの」
「は!?10秒で!?」
「政宗様、10秒とは?」

俺は、指を1秒の長さで3回鳴らした。

「この速さで10回分だ」
「何と…!!」

小十郎は絶句して固まった。
俺も正直、驚きだ。
あの軍議も早く終わったが、それにしても速すぎる。

「な?小十郎。最高に頭がキレるって言っただろ?正直、予想以上だ。お前、何の修行してそんなになった?」
「瀕死の患者の治療って、2秒で5つ位の事を考えるの。考えながら指示を飛ばして手も動かすの。1秒でも無駄に出来ないから。だから、こんな策士になっちゃった…。ううっ…佐助に男前だって言われた…。政宗もそう思う?男っぽくて嫌…?」
「いや、惚れ直した。お前は相変わらず可愛くて健気だ。男っぽくなんかねぇよ。俺の世継ぎを生むのはやっぱりお前だけだって更に惚れ直した。天下統一後の世継ぎが一番肝心だからな。頭脳も容姿も期待出来る。楽しみだ!伊達もこれで安泰だな!」
「左様にございますね。では、茶の仕度を致します」

小十郎は、略式ながらもきちんとした作法で茶を立てると、こちらに振舞った。

「俺が取るからお前はじっとしてろ」

遙の首が見えないように隠しながら、茶碗を取って遙に手渡した。
遙は両手で茶碗を持って、じっと茶碗を眺めた後、きちんと茶碗を回して飲んで、飲んだ口を指で拭き取って、また茶碗を回して元に戻した。

「結構なお手前でございます」
「ありがとう存じます。器は?」

遙は少し思案しておもむろに答えた。

「国二国…の清水焼?」

俺は堪え切れずに笑った。

「遙、作法は気にしなくていいって言っただろ?全く…。俺の膝の上に上がったままなのに、おかしいやら何やら…ククッ…。しかも、焼き物言い当てるし傑作だ!ただし、それは国二国じゃきかねぇなぁ。俺の一番のお気に入りだから誰にも譲らねぇ。それこそ奥州全て以上だ」
「奥州全て以上…!?」
「ああ。銀色がかった手にしっくり馴染む黒い土の茶碗に、黄金の三日月の絵付けがされてる。足利義満の物だった茶碗だ。これ以上俺に似合う茶碗はねぇな」
「そうなの!?すごい…!!」

遙は本当に驚いたように俺を見上げた。
その表情が可愛くて堪らなくて俺は小さく笑った。

「いいから、今は作法の事は忘れろ。ったく、小十郎も器の事まで聞くな」
「申し訳ございません」
「だって、何か小十郎がきちんとしてるから、きちんとしなきゃいけないかなぁって思って。何か無意識に手が動いてた…床に置けないけど…」

小十郎も堪え切れずに笑った。

「政宗様のおっしゃる通りです。何も堅苦しい事は考えずに、お召し上がり下さい。しかし、茶の湯まで嗜んでおられるとは思わず、感服致しました」
「茶の湯だけじゃねぇ。華道も琴も嗜んでるってさっき聞いた。こいつ、隠してやがった」
「隠してないよ?聞かれなかったから言わなかっただけだもん」
「能ある鷹は爪を隠す、でございますか。大変ご立派です。ますます政宗様に相応しいお方でございます。心のお慰みになるのであれば、この宿の琴を後ほどお持ち致しましょう」
「ああ、そうしてくれ、小十郎」
「ええっ!?私、17の時にお稽古辞めて、それから年2回しか弾かないから、弾けるの少ないよ?」
「琴の事は黒脛巾組から聞いたぜ?お前、猿飛と行った料亭で琴を弾いて、その腕の礼に割り引いてもらったってな。下手とは言わせねぇ」
「そんな事まで知ってるの!?」
「ああ、もちろんだ。お前の足取りを追わせてたからな。お前、女子会してたって聞いたぜ?傑作だ!あの猿飛佐助相手に女子会って、よっぽど男と思ってなかったかと思うと笑いが止まらなかった、ククッ!」
「だって、佐助が女の子みたいな会話ばっかりするんだもん。そっか、よくよく考えたら、性別は一応男か…」

最後の台詞に、俺も小十郎も堪え切れずに爆笑した。

「遙様は、本当に政宗様一筋なんですね。とても嬉しく思います。クッ…!!」
「ククッ!!ますます傑作だ!!」
「もう!そんなに笑わないでよ!だって、敵地で一人で淋しかったんだもん」
「悪かった、悪かった。もう大丈夫だ。お前は伊達のみんなに愛される。みんなお前の味方だから、これからは淋しくなんかねぇよ。俺がついてるから大丈夫だ。茶は足りたか?好きなだけ飲め。作法は気にすんな。お前が飲みたいもの、食べたいもの、言えば持って来させる」
「じゃあ、このお茶、全部飲んでいい?」
「ああ、構わねぇ。お前のために用意させたんだから、好きなだけ飲め」
「ありがとう」

遙は、やっと安心したのか、茶をゆっくり飲み干した。

「はぁ…お抹茶久しぶりだったから嬉しい。美味しかった」
「お前が喜んでくれて、俺も嬉しい。他に何か欲しいものはあるか?」
「えーと、じゃあ、もう一杯、薄茶が飲みたいな」
「分かった。小十郎、頼む。こいつが緊張しないように、適当にやれ」
「かしこまりました」

俺は遙の手から茶碗を受け取ると、小十郎の前に置いた。
小十郎は、今度は手早く茶を立てると俺の前に置いた。
それを取って、遙に持たせると、ゆっくりと幸せそうに飲み干して、俺に茶碗を手渡した。

「ありがとう。何かホッとした。もうお茶は大丈夫」
「そうか。何か食べるか?」
「ううん。眠たくなって来た」
「分かった。小十郎、人払いをしてくれ。風呂に入ってから寝かせる。布団も出すよう言付けろ。俺はまだ寝ないから、一組でいい」
「かしこまりました。では、失礼致します」

小十郎は、菓子は置いたまま、下がった。
風呂で、また取り乱すだろうけれど、真田に犯されてからまだ湯あみをしていないなんて、余計に遙は辛いだろうし、俺も辛い。

「お風呂、入るの?」

遙がとても不安そうに俺を見上げた。
涙で目が潤んでいる。

「ああ、せっかく温泉だしな。お前、シャンプーとか持ってるか?」
「うん、あるよ」
「懐かしいな…。お前からはいつも花の香りがしていた。俺達が初めて出会った時も、お前、シャンプーしてくれたな。ハネムーンの時も、一緒に温泉入ったな。懐かしい思い出だ」

髪を撫でながらそう言うと、遙も懐かしそうな目をした。

「そうだったね…」
「あの時と同じ、夫婦水入らずだ。何も心配すんな。大丈夫だ…」
「でもっ!!」
「大丈夫だ。俺が嫌か?」
「ううん」
「背中を流してやるよ、久しぶりに。天下人にそんな事させられるのは、お前だけだぞ?」
「でも、怖い…」
「俺がついてる。大丈夫だ。もう、誰もお前を傷付けない。伊達にお前を傷付ける人間なんていない。ただ、俺の腕の中で甘えてろ、いいな?」
「ううっ…怖い…怖い…」
「俺が一生かけて、お前の傷を治す。手術だって痛いのは最初だけだろ?だけど、手術をしないと悪くなる一方だってのは、お前が一番よく分かってるだろ?」
「うん…」
「怖いのも辛いのも分かる。だけど、最初は我慢だ、いいな?」
「うん…」
「大丈夫だ…もう、誰にもお前の事を傷付けさせねぇから大丈夫だ…」

俺は、そっと何度も何度も触れるだけのキスを繰り返した。
恐怖で固まっていた遙の身体が少しずつ解れて行った。
部屋の外に小十郎の気配を感じた。
小十郎は、部屋に入らず、外から声をかけた。

「政宗様、人払いを致しました。いつでもどうぞ」
「分かった。しばらく護衛はお前がしろ」
「かしこまりました」
「遙、風呂の仕度だ。バッグ持って来るから、ここで待ってろ」

遙を膝の上から下ろし、エルメスのバッグを持って来た。
大切に使っているのか、6年間使ったとは思えないくらいに綺麗だ。
遙は身体を起こし、バッグを開けて、いわゆるお風呂セットを取り出した。
俺はそれを風呂敷に包むと、また遙を布に包んで抱き上げ、風呂場へ向かった。
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