理系女子と文系男子 -1-

遙のうなされている声で目が覚めた。
額に汗をかき、意味をなさないうわ言を言ってうなされている。
起こそうとした時の事だった。

「いやっ!政宗っ!!助けてっ!!いやぁあああ!!」

急に絹を裂くような声で叫んで、もがいて暴れ出した。
覆い被さって、片手で遙の両手首を拘束したが、遙とは思えないほどの力で振りほどこうとする。
涙をぽろぽろと流しながら、錯乱したように泣き叫ぶ。
俺は、遙の頬をぺちぺちと軽く叩きながら、大きな声で名前を呼んだ。

「遙っ!!起きろ!!遙っ!!俺だ、政宗だっ!!遙っ!!政宗だっ!!」

遙はハッとしたように目を開けて、涙で潤んだ瞳で俺を見つめて、恐怖に染まっていた瞳がようやく俺を認識して、やっと暴れるのを止めた。
すぐに、拘束していた手首を離して、遙の隣りに横たわり、震える身体を抱き締めた。

「政宗っ!!政宗っ!!」

遙はかたかたと震えながら、俺の着物の襟を握り締め、ぽろぽろと涙を流した。
俺は、遙の背中を撫でて、落ち着かせようとした。

「遙、大丈夫だ。お前は、俺の腕の中にいる。この伊達政宗の腕の中だ。安心しろ。お前は伊達の総力を上げて守られている。だから、大丈夫だ。もう、誰もお前を傷付けない。大丈夫だ」

大丈夫だと、何度も何度も繰り返すと、ようやく遙の震えが止まっていった。

「怖かったっ!!怖かったよっ!!ううっ、政宗…」
「大丈夫だ、遙。もう、お前を片時も離さない。だから、安心しろ」
「うん…。眠るの、怖い…」
「寝ないと、治るもんも治らねぇぞ。うなされたら、また起こしてやるから」
「今、寝るのは嫌。怖い」
「分かった。じゃあ、一回起きよう」
「もう一度、ぎゅっとして」
「分かった」

俺は、遙をキツく抱き締めた。
しばらくそうしていると、ようやく遙はホッとしたような吐息を漏らした。

「良かった…。本当に政宗の腕の中だ…」
「そうだ。とりあえず身体を起こして、タバコでも一本吸おう。吸ってるうちに、少しは落ち着くだろ」
「うん…」

俺は遙の身体を支えながら、身体を起こした。
そして、机の前に移動する。
机の上に置きっ放しのタバコを取り出し、遙に一本渡すと、かたかたと震える手で、口に咥えた。
ライターで火を点けてやると一度深く吸い込み、唇を離して更にもう一度吸い込むと、ゆっくりと煙を吐き出した。
遙が精神的に不安定な時の吸い方だ。
俺もタバコに火を点けて、ゆっくりとふかした。
タバコを吸いながら、水差しから湯飲みに水を注ぐと、水差しが空っぽになった。

「おい、小十郎」
「はっ!」
「水が空になった。持って来させろ。それから、茶だ。玉露を申し付けろ」
「かしこまりました」

小十郎は、中居を呼んで、言付けた。

「政宗って、私の好み、よく分かってるね」
「ん?お前も玉露が好きか?」
「うん」
「なら良かった。俺も茶は玉露が好きだからな」
「あの頃、玉露淹れてあげれば良かった。あの頃は紅茶にハマってたから」
「いや、珍しかったから、あれはあれで良かったぜ?コーヒーもな。お前が淹れてくれた紅茶とコーヒーは美味かった。玉露なんて簡単に手に入るから、わざわざあの頃飲む必要なんてなかったから構わねぇ」
「ふふっ、流石政宗様。玉露って高級なのに、簡単に手に入るんだね」
「当たり前だ。玉露ばかり飲んでる訳じゃねぇけどな。飲むと落ち着く。お前、今、不安定だから、余計に玉露の方がいいと思ってな」
「ありがとう」

遙は、水を半分飲んで、短くなったタバコを揉み消すと、もう一本タバコに火を点けて吸い始めた。
遙がこうして連続でタバコを吸うのは珍しい。
余程、怖い思いをしたのかと思うと、また真田幸村への怒りが湧いて来る。
でも、遙の傷を癒すのが、今は何よりも優先だ。

「小十郎、今から信玄に文を書く。領内で湯治中ってな。ゆっくり湯治したら、会いに行くって内容だ。正式に遙を武田から伊達が貰い受ける。真田が俺の大切な遙を傷付けた事を切り札にしたら、姫を押し付けられる事もねぇ。証人は猿飛佐助だ。その時に遙の婚儀についても話す」
「そうですね。その策には賛成致します。伊達がここに留まるのには、最も怪しまれない口実になります」
「幸村は、どうなるの?殺されるの?」
「お前なぁ…。敵に情けをかけるにも程がある。信玄なら、一番いい方法で真田に沙汰を下すだろう。多分、命は取らねぇ。息子みたいに可愛がってるからな」
「そう…。なら良かった」
「本当なら、俺自身が成敗してぇのはやまやまだが、武田の家中に口出ししたら、ややこしくなる。これでも最大限に我慢してるんだぜ?平和を守り、お前を守るにはこの方法しかねぇからな。ちょっと待ってろ」

俺は携帯用の小さな硯で湯飲みの水を使って墨を擦ると、巻き紙にさらさらと簡単な文を書いて、鶺鴒の花押を書いた。

「政宗の花押、久しぶりに見るなぁ。相変わらず達筆」

遙が嬉しそうに花押を見つめている。

「ああ、忘れてた。お前、俺の花押が好きだったな。あのラブレターに花押も書いてやったら良かった」
「ううん。今、こうして見られたからそれでいいの」

遙は嬉しそうににこにこと笑った。

「そんなに嬉しいなら、もっとラブレター書いてやらねぇとな。それから手習いだ。行書くらい書けて読めるようになれ」
「うっ…嫌だけど、頑張る。才能ないよ?」
「お前なら大丈夫だ。俺と小十郎で、手取り足取り教えてやる。ったく、異国語はあんだけ知ってるのに信じられねぇ。まさか、スペイン語だけじゃなくて、ドイツ語、フランス語、朝鮮語で愛してるを書くなんて思いもしなかったぜ」
「読める政宗もすごいよ」
「あの頃、お前が色んな国の言葉で愛してるって言ってたからな。何となく覚えてただけだ」
「良かった!全部通じて。スペイン語は絶対分かると思ったんだけど、それだけじゃ伝えたい気持ちが足りなくて、色々書いてみたの。覚えてるかなぁって思って」
「流石にサランヘヨは悩んだけどな」
「ふふっ…」

遙の唇に何度かキスをしていた時の事だった。

「政宗様、水と玉露をお持ち致しました。それから、文をお預かりしに参りました」
「遙、どうする?見られても大丈夫か?」
「うん…。小十郎なら大丈夫」
「分かった。おい、小十郎、入れ」
「いや、しかし…」
「遙が構わねぇって言ってるから、入れ」
「はっ!」

小十郎は襖を開けて、遙を見るとサッと青褪めたが、そのまま表情を変える事なく、また襖を閉めると、机の上に水差しと茶を置き、空になった水差しを盆の上に置いた。
俺は巻紙を小刀で切って、封をして宛名を書くと小十郎に差し出した。

「この文を、信玄に渡すよう、誰か遣いにやれ」
「はっ!」
「それから、後で琴を持って来い。お前も笛を持ってな。これから、琴の稽古だ。遙が誰も知らない調べを知ってるらしい。お前と稽古だ」
「よろしいのですか?正直、余りにもおいたわしくて、もう少しお休みになった方がよろしいかと存じますが」
「いいの、小十郎。眠るとうなされるから、何かで気を紛らわせたいの」
「遙様がそうおっしゃるのであれば、僭越ながら、共に稽古させて頂く所存。では、遣いにやらせた後、ご用意致しますので、一旦下がります。失礼致します」

小十郎は文を受け取り、深々と礼をすると下がって行った。

「お前、大丈夫だったか?痣を見られても」
「政宗と小十郎で私を守ってくれてるから、大丈夫。小十郎がすでに勘付いているなら尚更。この酷さを実際に見たら、小十郎も武田に対して強硬な策を打てる。二週間隠し通すのも限界がある。それにしても、ポーカーフェイスだね。顔色は少し変わったけど、ほとんど表情変えないんだもん」

遙は少し辛そうな表情で、涙目だった。
遙を引き寄せて、さらさらの髪ををそっと撫でる。

「はぁ、この期に及んでそこまで読むか。呆れるほど頭が回るな。自分の身を犠牲にしてまで、そこまでしなくてもいい。まぁ、伊達に俺も小十郎も修羅場をくぐってねぇし、小十郎はもし俺が傷付けられたら、誰にも手が負えねぇくらいに怒りまくるが、呆れるほど冷静だ。だから、俺も信頼してる。嫌なら小十郎にはもう会わなくてもいい」
「小十郎は、政宗命なんだね。大丈夫。小十郎はほとんど何も触れずに、動揺もせずに、ただ優しく労わってくれてただけだから大丈夫」
「そうか…。そうだな、小十郎は俺のためなら命を捨ててでも守る。だから、俺の一番大切な遙の事も、必ず大切に守る。命を懸けてな。お前が傷付かないように、お前の受けた傷については絶対これ以上は触れねぇよ。小十郎なら、最善の策を練るから、安心して、お前はただ俺に甘えてろ。それにしても、お前、何か食べなくてもいいのか?」
「食欲がないの…。何か、食べたら吐き気がしそうで」
「そうか…。でも、重湯くらいは口にしとけ。これ以上やつれて行くのを見るのは辛い」
「うん…。重湯を少しなら大丈夫だと思う。それに医療用の栄養剤があるから、それを飲めば、食べなくても栄養は十分足りるし死なないから大丈夫」
「そうか、お前医者だもんな。後で俺も食事をするから、その時に食べるといい」
「私、何時間くらい寝てた?」
「1時間半くらいだな。そろそろ午後3時か」
「そっか…」

遙は溜息をつき、両肘を机の上に付いて、両手で顔を覆うと、声を殺してまた泣き始めた。

「思い出すなって方が無理か…。好きなだけ泣けばいい。気の済むまで、泣いて泣いて、心の澱を吐き出しちまった方がいい。ずっと抱えていたままじゃ、お前も辛いし、忘れられねぇだろ」

俺は遙の肩を抱き寄せ、あやすように腕をさすった。
しばらくの間、ずっと泣き続けると、ようやく涙が枯れたのか、遙は目を擦って、手拭いで涙を拭った。

「ほら、茶でも飲め。そうすれば、また落ち着くだろ」
「うん」

俺達は、すっかり冷めてしまった玉露を飲んだ。
元々温い茶だから、冷めても美味い事に変わりがない。

「やっぱり、玉露、美味しい。この玉露、すごく甘くてこくがある。すごく上等だね」
「ああ、ここは大名向けの宿だからな。その辺の料亭で出す茶よりもずっと上等な茶を出す。だから、抹茶もいい物を置いてある」
「そうなんだ…。やっぱり政宗ってすごいね」
「惚れ直したか?」
「うん。ここに着いてから、惚れ直しっ放し。私、とんでもないほどすごい人と結婚しちゃったんだって驚きっ放し」
「そのとんでもない男を射止めたんだから、もっと胸を張れ。あの策と布陣の読みを聞いてからしみじみと思ってたが、俺に釣り合うのはやっぱりお前だけだ。天下一綺麗で可愛い才女だ」

そう言って、遙の唇に軽くキスをした。
遙は嬉しそうに微笑んで、そして、ゆっくりと茶を飲み干した。
俺もまたタバコに火を点けて、ゆっくり一本吸ってから、茶を飲んだ。
prev next
しおりを挟む
top