理系女子と文系男子 -3-

「政宗様、あと2刻ほどで夕餉のお時間でございます。楽の稽古はその後に致しましょう」
「ああ、そうだな。その間に遙も仕事から気分が変わるだろう。遙、何か欲しいものはあるか?」
「じゃあ、お煎茶を」
「分かった。小十郎、大きめの急須で煎茶を持って来させろ」
「かしこまりました。では、失礼致します」

小十郎が下がって行って、俺は遙を抱き締めた。
俺の胸に頬を寄せるその顔は、まだ仕事の顔から戻らない。

「お前、いい加減仕事から離れろよ」
「ううん、次の一手を考えてるの。私、政宗と一緒じゃないと、あの村に怖くて行けない。小十郎も一緒の方が安心するから、小十郎に疱瘡の予防接種しなきゃって思って。それから、どうやって伊達の存在を伏せるか考えてたの」
「はぁ…次の一手か。もうそこまで考えてるとは感心するやら、呆れるやら…。信玄には文を書いたから、武田領内に留まるのは問題ねぇ。俺が疱瘡の視察に行くのも、俺が右目を疱瘡で失ったから気になって見に行ったって納得するだろう。もう情報の撹乱の必要はねぇよ。ただ、小十郎に疱瘡の予防薬を使うのは賛成だ。やり方さえ小十郎に教えて薬を渡せば、今度は精鋭に小十郎が予防薬を与えて連れて行くから安心しろ」
「分かった。何騎連れて行くの?」
「俺と小十郎を除いて20騎だ」
「分かった」

遙は、俺の腕の中から抜け出すと、バッグの中から、変わった形の針が入った袋をざらざらと出して、アルコールの袋も50個ほど、それからビニール袋と絆創膏の束を出して、薬の瓶をいくつか机の上に出した。

「小十郎を呼んでくれる?」
「分かった。おい、小十郎、部屋に入れ」
「承知」

小十郎は部屋に入って控えた。

「今から遙がお前に疱瘡の予防薬を与える。予防接種だ。あの村にまた遙を連れて行く時にお前も連れて行けるようにな。村に連れて行く護衛は精鋭ばかり20騎だ。予防薬の与え方を頭に叩き込んで、連れてく奴ら全員にお前が与えろ」
「かしこまりました。もうそこまでお考えでしたか。この小十郎もいつ切り出そうかと考えていた所でございました」
「小十郎、流石だね。流石、伊達の軍師」
「いえ、遙様には及びません。では早速予防薬の与え方をご教授下さい」
「うん、分かった」

遙は、針を一本と厚手のビニール袋とアルコールと薬と絆創膏を持つと、立ち上がって小十郎のそばに座った。

「利き腕はどっち?」
「左でございます」
「分かった。じゃあ右腕に薬を打つね。先に断わっておくけど、薬を打った所が疱瘡に似た腫れ方をする。それは薬の影響で薬が効いてる証拠。数日経っても変化がなかったら打ち直し。一生赤い腫れが消えないけど、それで10年は疱瘡には罹らない。いい?他の人にも必ずそう説明して」
「承知」
「じゃあ、次に打ち方の説明。まず、必ず手指をアルコールで消毒。この袋を開けて、アルコールを浸してある紙を取り出して手と指を全体、爪の間も指の股も親指も綺麗に消毒して、最後に手首を消毒。これは最初だけは丁寧に。見本を見せるね」

遙は小十郎にも分かるように、ゆっくりと説明しながら両手と手首を消毒した。

「よく分かりました」
「次は薬の打ち方。まず、また新しいアルコールの袋を開けて、薬を打つ所を消毒。小十郎、右側の着物の袖を肩まで捲って。…ありがとう。二の腕のここを、アルコールで消毒。こういう風にね。一度消毒したら触らせないで。小十郎も触らない事。仮に触ったら、アルコールは替えなくていいから、紙を裏返してもう一度消毒。次に、薬の入った容器をこういう風に封を切って開けて、蓋を取るの。その次に、針の入った袋を開けて、ここを持って。先は絶対触らない事。仮に触ったら、そこをアルコールで消毒して乾くのを待って。それから、薬に針をこういう風に浸すの。この程度できちんと針に薬が着くから、そこからは素早くね。腕に対して直角に二股の針が埋まるように刺す。痛いけど我慢してね」
「痛みなど、慣れております」
「ふふっ、そうだね。行くよ」

小十郎と話をしながら針を薬に浸けたままだった針を、遙は引き抜くと、小十郎の腕に刺した。
小十郎は微かに顔を顰めたが平然としている。

「ここからが肝心。痛いと思うけど、我慢してね。刺した針をそのまま一回転させて、丸い傷を付けたら、針を抜いて終わり。行くよ」

遙は、3ミリほど埋まった針を手早く一回転させた。
流石の小十郎も、眉を顰めた。

「最後に使い終わった針をこの袋に入れて、絆創膏の封を開けて、こうして貼って終了。しばらく抑えて止血。止血は自分でやらせて。残った薬はすぐにこうして蓋をしたら、日を空けないならまた使える。一人一針ずつね。必ず針は新しいものを使う事。使い回しは禁止。アルコールもその都度新しい物を使って。アルコールの紙も、他のゴミも針と同じ袋に入れて一括管理。薬はなくなるまで使い回ししても大丈夫。何か疑問点は?」
「消毒についてでございますが、手指の消毒は毎回あのように手間暇かけるのですか?」
「いい質問だね。20人、一度に打つなら、最初だけは念入りに。次の人からは、指と手のひらだけで大丈夫。小十郎は左利きだから、特に左手をきちんと消毒すればいい。打つ対象の人の腕が汚れていた場合はよくその腕をアルコールでごしごし拭いて薬を打つ事。それから、次の人の前に両手を最初と同じように念入りに消毒。また、言い忘れたけど、打った当日はお風呂禁止。翌日からは大丈夫。薬を打つ前に健康状態を確認して。不調なら、薬は禁止。もし、薬を打った後に、発熱や発疹、吐き気、痙攣など何か変わった様子が出たらすぐに連絡して。3日経っても腫れが見られない人がいたらその場合も連絡。薬が効くのに一週間はかかるから、それからあの村に行こう。他には?」
「いえ、大変分かりやすい説明でございました。ありがとうございました」
「じゃあ、道具は全部、小十郎が管理してくれる?多分足りるはずなんだけど、足りなかったらまたここに取りに来て。それから、それは今日中に必ず済ませて。右目のあの子の様子を早く診に行かなきゃいけないから」
「かしこまりました」

小十郎は、懐から風呂敷を取り出すと、机の上の道具を全部包んだ。

「一旦これで下がります。また質問があれば、お伺い致します。では、失礼致します」

小十郎は、一礼をすると下がった。
俺は感心しながら遙の様子を眺めていた。
あんなの、小十郎みてぇに糞真面目で頭が良くないと一発でなんか覚えてられねぇ。
猿飛は相当遙に厳しく何度も叩き込まれたな。
あの長い指示を全部よく理解してたからな。

「遙、お前、すげぇな!理屈もやり方も分かりやすかった。説明も上手い。でも、小十郎か俺くらいしか一発で覚えられねぇよ。大したもんだ」
「そう?予防接種はよく手伝ってたから。疱瘡の予防接種は初めてだけど、他は理屈は同じ。ただ、水道と石鹸がないのが痛いかな。みんなが石鹸で身体洗ってたら、あそこまで厳しく消毒しなくても済むんだけどね」
「そうか。さあ、これで仕事の話は終わりだ。元の可愛い甘えん坊の遙にさっさと戻れ」
「うん」

遙は道具をしまうと、俺の膝の上に上がって抱き付き、俺達は柔らかいキスを何度も何度も交わし始めた。
少し唇を離して遙を見つめると、仕事でキリッとしていた遙の表情が、ふわりと蕩けるように柔らかくなっていて、可愛い声で甘えるように俺のキスをねだった。
遙を抱きすくめて、また柔らかいキスを繰り返しながら、段々と深いキスに変えて行って、何度も何度も深く唇を重ねると、遙は甘えたような感じているような、甘い声を上げ始めた。
深いキスを交わしながら、そんな可愛い喘ぎにも似た声をしばらく聞いてたら、それ以上は、俺も止まらなくなりそうになって、唇をようやく離した。
遙は、ほんのりと頬を染めて、艶っぽい表情で俺を見つめた。
ああ、本当に、今すぐ遙を抱きたくてたまらない。
7年間待ち続けて、やっと再会したのに、これじゃ生殺しだ。

「そんな物欲しそうに俺を見つめるな。止まらなくなる。お前を傷付けたくないから、これでも我慢してるんだぜ?時間はたっぷりある。ゆっくりゆっくりお前の傷を癒してやるから、まだ焦るな」
「もっと政宗とキスしたい」
「今はダメだ。マジで止まらなくなる。香でも焚いて、リラックスして少しだけ横になろう」

俺は、荷物の中から香と香炉を取り出すと、香炉に灰を入れて、その上に香木を刻んだ物を数種類置いて、ライターで火を点けた。
ふわりと部屋の中に香の香りが漂う。
伽羅をベースに調合した香だ。

「わぁ…伽羅の香りだ…。しかも、今までで一番いい香り!流石政宗様。伽羅ってすごく高級なのに、その中でも更に高級そう…」
「それが伽羅でも高級だってすぐに分かるって大したもんだぜ?伊達に香道を嗜んでねぇな、流石だ。あの、東大寺を使ってる」
「ええっ!?東大寺!?信長が使ってたやつ!?あの幻の東大寺!?」
「そうだ。俺は天下人だからな。松永久秀撃退の礼に東大寺の坊主も喜んでたっぷり差し出したぜ?滅多に使わねぇけど、お前は特別だ。お前を迎えに来たから持って来た。落ち着くだろ?この香りに包まれながら、横になって抱き合ったら、気分もゆったりするぜ?」
「わぁ…夢みたい…。あの蘭奢待かぁ…」

遙はうっとりしたように目を閉じた。
俺は遙を抱き上げ、布団に横たえると、腕枕をしてそっと抱き締めた。
遙は俺の背中にそっと腕を回し、頬をすり寄せ、幸せそうに香の香りを楽しんでいる。
俺は、そっと遙の髪を撫で続けているうちに、ようやく落ち着いて、優しいじゃれるような柔らかいキスだけを繰り返した。
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