理系女子と文系男子 -8-

「それ、何だ?」
「iPad。iPodの大きいやつで、これで譜面も調べられるの」
「7年経つと、ずいぶん便利になるな。未来はやっぱすげぇ」

遙は、20分ほどそれを真剣に見つめていじっていた。
その間に小十郎は、春の海を通しで奏でていた。
奏で終わると、どう即興を入れるか、何度か奏で直して、一番coolな節回しを模索している。
俺はタバコを吸いながら、小十郎の笛に聴き惚れていた。
相変わらず、最高にcoolだ。
聴いていて、気分がいい。
ふと、遙を見遣ると、小十郎の顔と、譜面を交互に見ながら、膝の上で琴の弦を弾くように指を動かしていた。

「小十郎、そのまま続けて。終わったら、最初から最後まで通しで今の旋律で吹いて」

小十郎は目で頷くと、そのまま最後まで奏で、また最初から最後まで通しで奏でた。

「政宗、多分、分かった!すぐに出来るか分からないけど、忘れないうちに弾いてみる!」
「よし、じゃあ、すぐに弾いてみろ。iPadを琴のそばに置いとけ。怪しくなったら、譜面見て合わせろ」
「うん、そうする」

遙はiPadを持って、すぐに琴の前に座り、iPadを脇に寄せると、小十郎と視線を合わせた。
小十郎が目で頷くと、遙は初めの独奏を奏で始めた。
さっきより断然いい音色とタメだ。
さっきはあれでも自信なく弾いていたのかと思うと驚く。
さっきの小十郎の笛をずっと聴きながら譜面で確認していたのか、小十郎の主旋律に合わせて奏でる伴奏のタメも最高にシビれる。
完全に息がぴったりと合ってる。

そこから、笛と琴の掛け合いが始まった。
遙は、小十郎の目を見つめて、小十郎も遙の目を見つめて、絶妙にお互いタイミングを目で合図しながら、激しい掛け合いを完全に息をぴったりと合わせて奏でた。
背中がゾクゾクとするくらいに最高にcoolだ。
ドキドキと胸が高鳴る。
掛け合いが終わると、余韻を楽しむように、また長いタメを作って遙が独奏を奏でた。
そして、小十郎の静かな主旋律がしばらく続き、クライマックスの掛け合いになると、また遙は小十郎の目を見ながら琴を激しく掻き鳴らし、小十郎も遙に目で合図を送りながら笛を鳴かせる。
激しく二つの楽器が鳴いた後、最後に余韻が残るような静かな琴の独奏で調べは終わった。
あまりにも素晴らしい演奏に、しばらく声も出なかった。
座敷には、まだ余韻がしばらく漂っていて、小十郎も遙も見つめ合ったまま、無言だった。

「ブラボー!!」

突然、襖の向こうから部下達の大声が聞こえて我に返った。
小十郎がハッとしたように目を見開き、そして怒鳴った。

「てめぇら、あれほど政宗様のお部屋に絶対近付くなと言ったはずだっ!!後で覚悟しやがれっ!!その声で、全員誰か分かったから逃げようったって無駄だっ!!全員吊るし上げてやるから、覚えていやがれっ!!」
「姐さんのお琴、最っ高にcoolッス!!失礼しまッス!!」

バタバタと走って逃げて行く足音を聞いて、俺は溜息を吐いた。

「気配に気付かなかったとは情けねぇ。すっかり聞き惚れちまった」
「政宗様、申し訳ございません。この小十郎の監督不行き届きでございました」
「いや、いい。流石に襖が開く気配くらいはいくら何でも分かる。真っ正面だしな。襖は全く動かなかったから、遙の姿は見られてねぇ。だから、安心しろ」

遙は、くすくすと笑い出した。

「小十郎って、政宗の前と、他の人の前で、本当に全然違うね。怒鳴り散らす小十郎、すっごくカッコ良かったよ?ドスが利いてて」

小十郎は慌てふためいたように顔色を変えた。
俺も、カッコいいと言うセリフに思わずこめかみがピクリと動いた。

「Hey, 遙。聞き捨てならねぇな。小十郎がカッコいいだと!?」
「だって、政宗を超える男前って小十郎しかいないじゃない?カッコいいものはカッコいいよ?でも、愛してるのは、政宗だけ」

納得はいかねぇが、確かに小十郎には敵わねぇし、小十郎が男前なのも認める。
それに、愛してるのは俺だけと言われたら、もう怒る気も何だか失せた。
遙の愛してるは俺にとって最強の殺し文句だ。
つくづく惚れた弱みだ。

「はぁ、お前って本当にズルい女。何も言えなくなっちまった。仕方ねぇなぁ、全く。確かに小十郎は男前だからな。ただの感想として受け取る」
「うん、ただの感想だよ?それ以上でもそれ以下でもないよ?」

慌てふためいていた小十郎が、やっとホッとしたように吐息を吐いた。

「政宗様に殺されるかと思いました。お言葉ではございますが、遙様、他の男を政宗様の前で褒めるのはお止め下さいませ。血が流れます」
「大丈夫。小十郎しか褒めないから。それに政宗一筋7年間だもの。ずっと愛してるのは政宗だけ。いいものはいいって褒めちゃダメ?」
「分かった、遙。お前の愛はよーく分かったから、小十郎を褒めるのは許す」

遙は、にこにこと嬉しそうに笑った。

「小十郎との演奏、すっごく気持ち良かった!上手い人と合奏すると、つられて自分も上手くなった気持ちになるね!」
「いや、上手くなった気持ちどころじゃねぇ。お前の琴、シビれるほど上手かったぜ?」
「政宗様のおっしゃる通りでございます。あの短時間で、この小十郎の笛の特徴を捉え、それに完全に合わせた腕前、お見事でございました」
「遙、もう一度、同じように弾けるか?」
「分からないけど、多分、小十郎が目で合図してくれたら出来ると思うよ」
「よし、じゃあ、あと3回やってみろ。3回完璧に出来たら完成だ。後は、毎日3回ずつ通しで稽古だ」
「分かった」
「かしこまりました」

遙は琴を戯れに掻き鳴らして音が完全に消えてから一呼吸置くと、小十郎の目を見つめた。
小十郎が目で頷くと、また最初の独奏を弾き始めた。
さっきよりまた少し上手くなっている。
繰り返し練習させたらどこまで上手くなるのか恐ろしいほどだ。
俺は、頬杖をついて、二人の演奏に聞き惚れていた。
一度目はさっきと全く同じように演奏が終わり、二度目は小十郎が主旋律を遊ぶようにアレンジをした。
調さえ同じなら、どうアレンジしても旋律はぴったりと合う。
遙は動じる事なく、伴奏を奏でた。
二度目の演奏が終わり、三度目は、また小十郎が戯れに掛け合いの旋律をアレンジすると、遙もそれに合わせた旋律を奏でる。
小十郎の策略だ。
例え、節が変わっても合わせられるか遙を試している。
遙は小十郎の目を見つめながら、小十郎の節回しにぴったりと合わせた。
そして、最後まで完璧に演奏を終えた。

「小十郎、遙を試したな?」
「ええ。例え、本番で違った節回しをした場合でも合わせられるか、試させて頂きました。お見事でございました」
「小十郎が目で合図してくれたから合わせられたんだよ。ちょっとびっくりしたけど、頑張った」
「びっくりしたように見えなかったけどな。大したもんだ。お前、暗譜してる調べ、何かあるか?」
「お盆と暮れからお正月にかけて毎年弾いてるのはあるけど?」
「お前も同じのばかり弾いてたら飽きるだろ。それを弾いてみろ」
「六段って言うんだけど、知ってる?」
「いや、聞いた事ねぇな」
「そっか…。あと何十年か未来に出来る曲かな。じゃあ、門外不出という事で」
「細かい事、気にすんな。どうせ、俺の前か帝の前でしか弾かせねぇよ」
「ごめん、佐助に聴かせちゃった…」
「何だと!?…ああ、例の割引の曲か」
「割引の曲って身も蓋もない言い方!」

遙は腹を抱えて笑った。
小十郎も笑いを堪えている。

「是非聴かせてもらおうか、割引の腕前を!」
「あんまり割引割引言わないで!笑いが止まらなくなるから!」

遙はまだくすくすと笑っている。
ようやく遙の顔に笑顔が戻ってとても嬉しい。
今日、7年振りに再会した遙は、あまりにも痛々しくて見ていられなかった。
思っていたより錯乱する事もなく、こうして笑顔も戻った。
このまま琴の稽古でもさせて、あとは手習いでもさせて、気を紛らわせたら、真田幸村の事を思い出すのも減るだろう。

遙はようやく笑うのを止めると、もう一度、調弦をしてから弾き始めた。
ゆったりとした、風雅な旋律は座敷にぴったりだ。
優雅に琴を奏でる遙は、深窓の姫君にしか見えない。
桜の花でも見ながら、赤い盃でゆっくりと上等な酒を楽しみたくなるような、そんな旋律だ。
小十郎が、感嘆の吐息を漏らした。
座敷の雰囲気ががらりと変わった。
料亭の女将が褒めそやしていたのもよく分かる。
よほど弾き慣れているのか、タメといい、力加減の繊細さといい、溜息が漏れるほど絶妙で、聞き惚れずにはいられない腕前だ。

俺は小声で小十郎に囁いた。

「次に聴く時は、上等な酒をゆっくりと赤い盃で飲みたくなるような気分がしねぇか?ゆったりとした酒の席にぴったりだ」
「同感でございます。誠に美しい調べでございます」

最後に、繊細で細かな旋律をさらりと奏でて、六段は終わった。
穏やかで優しい風雅な余韻がしばらく残っている。
遙も、しばらく琴に目を落としていて、やがて顔を上げると微笑んだ。

「さっき、春の海を練習したお陰で、お琴習ってた時みたいに気持ち良く弾けた。こんなの久しぶり」
「ああ、すっかり聞き惚れちまった。桜の花でも見ながら、赤い盃で上等な酒をゆっくりと楽しむのにぴったりな調べだ。最高の腕前だったぜ?どこから見ても姫君にしか見えねぇよ」
「全く同感でございます。お見事としか言いようがありません。思わず感嘆の吐息が漏れました」
「そう?」
「ああ、そうだ。明日は上等な酒でも用意させて、お前達の稽古と六段を聴きながら、ゆっくりと楽しませてもらうぜ?そうだな、六段の時は小十郎にも付き合ってもらうか。いい気分で飲めそうだ」
「いいなー。私も小十郎の笛を聴きながら政宗と飲みたいなー」
「ああ、いいぜ?明日も楽を楽しむか。今日は夜も更けたから、小十郎の笛は明日のお楽しみだ。小十郎、琴はそのままでいい。布だけ被せておけ。今日はいい気分のまま寝る。遙が取り乱さないように、抱き締めて寝るから、布団もこのままでいい」
「かしこまりました」

小十郎は、琴を壁に寄せて片付けると、下がって行った。
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