7年振りの再会は本来ならば嬉しいはずなのに、こうしてやつれて錯乱する遙を見て、あまりにもショックで眠れそうにない。
気を失ったように、無表情で眠る遙は、本当に呼吸をしているのか心配になって、細い首の脈を何度か確認して、その度に脈拍を感じてホッと胸を撫で下ろす。
今日は一日遙が錯乱しないように、ずっと会話を逸らし続けて襲われた事を考えさせないように気を付けていたが、それもいつまで続けられるか自信がない。
いつかネタが尽きた時に、記憶が急にフラッシュバックして、また精神的に深いダメージを受けて、傷付く事だってあるかも知れない。
俺自身が何度も経験した、フラッシュバックを考えると、こうして欺き続けても、完全に癒えるまで、一体何年かかるか予想もつかない。
それも、俺が遙を呼ぶ声を聞かされながら襲われたのであれば、うなされている遙にとって、起こす時に逆効果になるかも知れない。
一体どうすれば、遙の傷を癒せるのか、手持ちの情報では足りない。
遙の襲われた状況を、もっと詳しく猿飛から聞き出すしかない。
それは、俺にとっても辛くてたまらない事だが、遙を癒すためには、避けて通れない。
明日、早朝に猿飛が来るよう、遙が申し付けていたから、もし、遙がまだ眠っていたら、その時に聞くしかない。
俺は、揺れる行燈の火を見つめながら考えていた。
まず、遙が目覚めるまで何時間かかるか見積もらなくてはならない。
俺は、そっと布団を抜け出し、机の上に置いたままの、精神科の治療薬の本を開いて、メモと参照した。
睡眠薬の長期で効く薬は、血中最大濃度は5時間後、その後、半減期が12時間後、と書いてある。
という事は、上手く遙が眠り続けられるのであれば、7時間半は少なくとも、眠れる見積もりになるか。
その前に、猿飛を呼び出すしかない。
今は、夜の10時頃だ。
6時半くらいに猿飛を呼び出すのが良さそうだ。
俺は、黒脛巾組に遣いにやらせる事にした。
「おい、小十郎、起きてるか?」
「はい、何でございましょう?」
「いや、部屋には入らず、そこで聞いてろ。黒脛巾組を、あの村に遣いにやれ。猿飛を今から約4刻と四半刻後にここに来させるよう事付けろ。だが、あの娘の治療が優先だ。娘の容体次第では無理強いはするな。猿飛の返答を聞いて、俺に報告しろ」
「かしこまりました。すぐに手配を致します」
隣の部屋で小十郎の衣擦れの音が聞こえ、忍を呼び出して、小声で事付ける声が聞こえた。
それを聞いて、俺は、また遙の顔を見つめた。
部屋が真っ暗になってしまうと、遙が取り乱した時に対処に困る。
行燈の油を切らさないよう、3時間おきくらいには起きて、油を足さなければならない。
どうせ、今夜は眠れそうにないから、寝過ごす事はなさそうだ。
俺は、また布団に戻り、遙を抱き締めた。
上手く薬が効いて、今夜を乗り切れば、遙も眠る事にあれほど取り乱す事もなくなるだろう。
この3日間が勝負だ。
3日間連続で上手く眠れれば、遙も薬に抵抗を示さないようになるはずだ。
3日までなら、徹夜は出来る。
昼寝で仮眠を少しずつ取れば問題ない。
そっと遙の頬を撫でながら、眠る顔を見つめ続ける。
少し蒼白い無表情の寝顔は、まるで亡骸のようで、どうしようもないほど不安に駆られて、抱きすくめては、その温もりに安堵して、また寝顔を見つめた。
1時間半ほど経った時の事だった。
遙の眉間に皺が寄せられて、かたかたと震えながら、みるみるうちに額に汗が浮かび、苦しそうな表情で涙を流し始めた。
触れられるのを拒むように、身体を小さく丸めて、いやいやと首を横に振る。
「遙…」
身体を揺すって起こそうとした時の事だった。
「あっ!いやっ!!ああっ!!いやっ!あっ!」
遙が嬌声のような声を上げて、俺は、慌てて遙の口を手で塞いだ。
遙は、辛そうに涙を流しながら、身体を震わせ、首を横に振りながら、手を振りほどこうとする。
片腕で腰を引き寄せて身体を固定して、とにかく声が漏れないように、手で口を塞いだ。
「んー!!んんっ!!」
何かがおかしい。
好きでもない男に犯されて、嫌悪感は感じても、こんなに快楽に感じたような声を上げるはずがない。
悔しさに唇を噛んで声を殺す事はあっても、こんな声を上げるはずがない。
媚薬でも使われたのか…?
真田幸村が遙のこの声を聞いたと思うと、怒りのあまり、もっとも残虐な方法で殺すか、死ぬより辛い目に合わせるか、とにかくもっとも苦しくて死んだ方がマシだと懇願するような復讐をしたい衝動に駆られてどうしようもない。
遙だって、悔しくてたまらなかったに違いない。
俺以外の男に、男を悦ばせるような艶っぽい声を無理矢理上げさせられた上に、その場で俺が遙を呼ぶ声をずっと聞かされていたのだから。
貞操が死守出来たからと言って、それで済む問題じゃない。
遙は、ただ犯されるよりも、もっとずっと酷い屈辱を味わって、深く深く傷付いたのだから。
俺にもどうしたら、遙を癒せるのか分からない。
快楽を刻み直そうとしても、その瞬間に記憶がフラッシュバックして錯乱してしまうだろう。
記憶を塗り替えないと、遙はずっと真田幸村を忘れられない。
心の傷がいつまで経っても癒せない。
俺達にとって、最も酷い残虐な仕打ちだ。
いくら心で結ばれていても、身体でも結ばれてこそ、一心同体の夫婦だ。
真田幸村、絶対に許さねぇ!!
辛そうに涙をぽろぽろと流す遙の口を塞ぎながら、もう一度身体を揺すって起こそうとしたが、薬の効果のせいか、目を覚まさず、一層酷く取り乱すようになってしまって、手が付けられない。
峰打ちで気絶させようにも、この状態じゃ無理だ。
遙のこの声を誰にも聞かせる訳にはいかない。
口を塞いで、暴れる身体を拘束するので精一杯だ。
何か、他の方法はないか。
持てる知識を総動員させて、考える。
夢を見る状態は、限りなく起きる寸前の状態で、聴覚は働いている。
俺が声を荒げて遙を呼べば、遙が襲われていた時の状況の再現になってしまって、夢の中の出来事は、より一層酷くなってしまう。
夢の中は、とても不安定で、現実では起こり得ない現象のコラージュだ。
それを利用して、今見ている夢を別の夢にすり替えるしか方法がない。
一種の催眠だが、夢は、その時聴いている音に同調して変化していく。
夢の中で笛の音を聴いていたと思ったら、目覚めた時に同じ調べを小十郎が遠くで奏でていたという事もよくあった。
俺が右目を失った後、小十郎はよくそうやって笛で俺を慰めていてくれた。
遙にとって、一番幸せな夢とは何か、それを考えて誘導するしかない。
多分、それは、俺にとっても一番幸せな思い出だ。
俺は、遙の耳元で、優しく囁いた。
「遙…遙…。愛してる…。遙、愛してる。俺と祝言を挙げてくれ。遙、俺と結婚してくれ」
何度も耳元で優しくそう繰り返すと、遙の身体から段々と力が抜けて行って、声を上げるのも止めて、ようやく俺は、遙の口から手を離した。
遙を抱き締めて、そっと髪を撫でながら耳元で囁いた。
「遙、愛してる。遙、お前は綺麗だ。どんな結婚式にしようか?どんなドレスがいい?お前なら、どんなドレスを着てもきっと似合うな。トレーンの長い、豪奢なレースのドレスがいいかもな。お前はスタイルがいいから、ふんわりとしたプリンセスドレスも似合うな。マーメイドもセクシーで大人びてきっと似合う。ネックレスは、上品でシンプルなのがいいな。お前の鎖骨、綺麗だから。そうだな…小さなダイヤを一周繋げた一連のネックレスがいい。デビアスの上等なダイヤだ。綺麗な鎖骨の上でさらさらと揺れて煌めくんだ。ヴェールは、マリアタイプの長いやつがいいな。清楚なお前にぴったりだ。ヴェールに透けて見える華奢な肩がすごく綺麗だろうな。耳元は、1カラットくらいの一粒ダイヤのピアスがいい。一歩ずつ歩くたびにキラキラ煌めくんだ。偽物の大きなイヤリングなんかより、お前には本物のダイヤをシンプルに着けた方が似合う。お前、のだめが好きだったな。俺は、千秋よりも燕尾服を完璧に着こなして、祭壇の前でお前を待っている。お前の家族にも友達にも、みんなに祝福される、とても幸せな結婚式だ…」
そう囁いているうちに、遙の表情が段々と柔らかくなっていって、幸せそうに口元を緩めて、俺の胸に頬を寄せた。
「政宗、愛してる。永遠の愛を誓うよ…」
「ああ、俺もお前を愛してる。永遠の愛を誓う、誓いのキスをしよう…」
俺は、遙の顎をそっと上げて、柔らかなキスをした。
遙は物足りないように、またキスをねだった。
何度かキスを繰り返すと、また遙の身体から完全に力が抜けて行って、深い眠りに落ちて行った。
あの頃、飽きる事なく抱き合って、眠りに落ちた遙と同じ表情をしている。
幸せそうで、安心しきった寝顔だ。
俺は、ようやくホッとして、また遙の寝顔を眺めた。
やっとあの頃と同じ遙の顔を見られて、懐かしさと愛しさで、胸がいっぱいになって、涙が溢れて零れ落ちて行った。
「遙、お前のその顔がずっと見たかった。もう、夢ですら思い出せなかったその表情をもう一度見たかった。遙、愛してる。愛しくてたまらない。大切な、大切な、たった一人愛してる、俺だけの遙…」
遙の額にキスをして、俺は、静かに涙を流し続けた。
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