Surrender -2-

それから、俺は、遙がうなされ始めた瞬間に、同じ言葉を囁いて、遙を落ち着かせた。
サイクルは丁度約1時間半だ。
2回ほど、それを繰り返してまた遙が深い眠りに落ちてしばらく経ってからの事だった。
隣りの部屋から小十郎の小声が聞こえた。

「政宗様、猿飛佐助から返事が参りました。政宗様の仰せの時間にこちらに来るそうでございます」
「Okay, 小十郎。遙を落ち着かせるコツが分かった。お前は朝までゆっくり眠れ。少なくとも2刻半は眠れ。明日、俺が昼寝する間にぼんやりされたら困るからな。護衛はお前だけが頼りだ。俺は、今夜は徹夜だ。だから、心配すんな。お前の部屋に忍を控えさせて、眠れ」
「承知致しました。これから長丁場になるのであれば、申し訳ございませんが、体力を温存させて頂きます」
「ああ、そうしてくれ」
「それでは、失礼致します」

小十郎の衣擦れの音がした後、隣りの部屋の行燈の火が消えた。
今は、午前3時位だ。
小十郎も5時間位しか眠れないが、3日間位なら、お互いそれでも身体はもつ。
猿飛佐助が来るまで、あと2時間半。
遙がまたうなされ始めるのは、今までのサイクルを考えると、約30分後だ。

そして、予想通り、約40分後にまた遙はうなされて、俺は、同じように遙を落ち着かせた。
俺もそろそろ眠くなって来て、行燈の明かりを少し強くした。
秋の夜長というだけあって、夜明けまでまだ1時間半くらいある。
猿飛佐助がここに来るまで、あと2時間位だ。
丁度空が白む頃合いになる。

ふと遠ざかりそうになる意識を何とか取り戻して、俺は、布団から抜け出し、火鉢に火を点けた。
そして、タバコを吸いながら、また精神科の本をゆっくりと読み始めた。
聞いた事のない病名がずらずらと並び、それに対する治療薬と効能が書いてある。
遙の状態を分析しながら、眠気覚ましに立て続けにタバコを吸いつつ、すっかり冷めた茶を飲みながら、遙の心を治せる薬はないか、本を読みふけった。
これは、主に治療薬の本で、精神疾患の説明が足りない。
遙が起きてからでも、別の本を出させるしかない。
とにかく、今の遙の状態を正確に診断して、それに合わせた薬をまた選ばせるしか方法がない。

本を読みふけっている最中、背後の空から何か飛び降りる気配を感じて、俺は、身体ごと振り向いて、片膝を立てて、刀の鯉口を切った。
いつでも居合抜きが出来る状態だ。
飛び降りた影は、障子の向こう側の手すりの内側に跪いた。
俺は、小声で囁いた。

「猿飛か?」
「ああ、そうだ」
「よし、気配を殺したまま入れ」
「分かった」

猿飛は、音もなく障子を開けて部屋に入ると、また音もなく障子を閉めて、机を挟んで俺の前に控えた。
俺は刀を収め、左側に置いて、右肘を机についた。

「顔を上げろ」

猿飛は、顔を上げて、俺を見つめた。

「遙の件で、聞きたい事がある」

そう言うと、猿飛は顔を顰めて小さく溜息を吐いた。

「いつかは聞かれるとは思ってたけどね。俺も、今日呼ばれて都合が良かった。貴方さえ都合が良ければこちらから接触しようと思ってた所だったから」
「都合がいい?どういう事だ?」
「2日前、遙は俺と一緒にお館様にお会いする約束をしていたんだ。お館様には言い訳をして先延ばしにして頂いたけれど、あまりお待たせ出来ないから、俺だけでもご報告する事にした。遙は疱瘡収束の功労として、伊達に身柄を預ける事を願い出る事になってたんだ。遙はそこで、お館様の婚儀に対する意気込みがどこまでなのか確かめるつもりだった。遙の身柄を引き渡す代わりに、貴方に武田の姫様を押し付けるつもりかどうかをね。俺の予想では、お館様は姫様を切り札にはなさらないと思った。正式に伊達に身柄を預ける事を了承してもらったら、遙は堂々と江戸に行ける事になるから、遙はお館様から許可を得るつもりだった。八王子と吉原の惨状をお話しすれば、お館様なら哀れに思って伊達に身柄を無条件で引き渡す可能性もあると読んでいたんだ」

俺は、拳を握り締めた。
遙らしい、正攻法だ。
信玄が情に絆されたら、遙は1週間後、傷付く事なく堂々と江戸で再会出来てたかも知れない。
信玄の下で守られながら、俺の迎えを待っていたかも知れない。
あの真田幸村も、流石に信玄の屋敷で遙に狼藉は働けなかったはずだ。
何より、猿飛佐助の忍隊が完全に遙の配下にいる今、疱瘡が収束していたら、全力を上げて武田の屋敷で遙を守っていたに違いない。

俺が早計だったばかりに、遙をこんなに傷付けてしまった。
そう思うと、自分が情けなくて、涙が出そうになる。

「そんな顔、しないでよ。あれだけ頭の回転がいい遙ですら、お館様の真意は読めなかったんだ。自分の身柄と引き換えに、お館様が姫様との婚儀を貴方に押し付けるかも知れないと心配していた。遙は、お館様の諏訪の姫君略奪の事を知っていたんだろうね。だから、警戒していたんだと思う。矢継ぎ早に婚儀の催促をされていた貴方が、一番お館様のお気持ちを痛いほど分かっていたのは確かだから、貴方が取った策は俺も痛いほど理解出来る。悪いのは貴方じゃない。全て、タイミングの問題だったんだ。真田幸村が武田の屋敷に戻ってからの足取りを、俺は把握し切れていなかった。忍隊の多くが疱瘡の治療に当たっていて、武田の屋敷の警護が手薄になっていたからだ。真田幸村が不穏な動きを見せてすぐにお館様に文を書いて、真田幸村の動向から目を離さないようにお願いはしたんだけどね。ある意味すでに手遅れで、そしてまた、タイミングが悪く、不測の事態が起きて、お館様の目を逃れた結果、あの事件が起きた」
「そうか…。俺の要件は、遙の事件の詳細を聞く事だったが、情報の整理が必要だな。俺も真田幸村の事を黒脛巾組に探らせている所だが、今の話を聞く限り、お前はすでに何が起きていたか、おおよそ確信しているな?まず、お前が真田幸村を疑った経緯から、真田幸村について知っている事を過去から順番に話せ」
「完全な確信ではない部分もあるけど、それでいいなら。遙を救出後、真田幸村を尋問した。あの人は、拷問なんかじゃ吐かせられないからね。嘘発見法を使った。性格が真っ直ぐなだけに、嘘をつかせようと誘導尋問をしたら、それなりの反応は得られた。あの反応なら、精度は8割以上は信用出来る見積もりだ。完全な確信ではないから、俺自身、お館様から知ってる範囲内の情報を今日引き出すつもり。主と腹の探り合いなんてしたくないけど、確認したい事がいくつかあるからね。それを踏まえて聞いてくれる?」
「分かった。明確に分かっている事と、推測の所をはっきり俺が区別出来るように話を聞かせろ」
「了解。じゃあ、まず、俺が真田幸村を疑った経緯から。これは、完全に裏が取れてる事実。絶対に怒らないで聞いてくれる?俺と遙は料亭に食事に行った。遙が食事を全部村人に回して栄養剤だけで数週間我慢してたから見兼ねて連れて行く事にした。八王子から爺さんが訪ねて来た日だ。その時、真田幸村はらい病患者の姿を初めて見てショックを受けて武田の屋敷に戻った。本当は一緒に来るはずだったんだけどね。食材が余って困った女将に頼まれて、翌日も料亭に出かけた。その時、真田幸村は、俺のくノ一に命令をして俺達を見張らせた。運の悪い事に、恋バナで遙は政宗殿の事を思い出して、遙は美紀ちゃんの胸でしか泣かないって突っぱねてたのに、俺と美紀ちゃんが重なって見えて、俺に抱き付いて政宗殿を焦がれて号泣した。その場面を真田幸村に報告された。完全に誤解する言葉でね。真田幸村は遙に懸想をしていたから、ただの嫉妬だったかも知れなかったけど、俺に一番可愛がられてると自負していたくノ一の嫉妬を利用して、俺を裏切らせて見張らせたやり方が真田幸村らしくなくて、嫌な予感がした。それが、真田幸村を疑った経緯」

俺は、思わず深い溜息を吐いた。
女子会の事は聞いていたが、女子会と言えば、恋バナがつきものだと聞いた事がある。
猿飛が全然男に見えていなかった遙にとって、猿飛は唯一弱音が吐ける相手で、この軽い口調は確かに美紀によく似ているから、余計に重なって見えたんだろう。
抱き付いて泣いた気持ちも分かるし、何だか怒る気持ちも湧いて来ない。
むしろ、猿飛が哀れな位だ。
俺は、目で続きを促した。

「はぁ、怒られなくて良かった。ここまでは、俺自身がくノ一を尋問して吐かせたから確実な真実。これから話す事は、真田幸村を誘導尋問して得られた、不確実だけどかなり程度信用出来る情報。まず、真田幸村は、政宗殿が遙の想い人だと知っていて懸想をしていた。俺と遙が料亭に行った日、武田の屋敷に戻った真田幸村は、政宗殿の許婚筆頭の姫様と逢瀬をした。おそらく2回。貞操までは奪ってないけど、抱いたのは確か。特に強い反応だったから、ほぼ間違いない。計算すると、武田の屋敷に戻った晩から2日連続。お館様の監視が厳しくなったのはその翌日から。これは心理分析の得意な部下の推測だけど、その時、真田幸村と姫様は心も身体も深く結びついて、政宗殿が遙を愛せないように、遙を手酷く傷付けるか籠絡する決心をしたようだ。姫様が嫁いでも、遙をもはや愛せない政宗殿に、姫様が大切にされるための策らしい。真田幸村はお館様には絶対逆らえないから、姫様を貰い受ける漢気はないからねって事。それならせめて政宗殿に姫様を大切にして欲しいって想いだろうってさ。ここからは尋問からの情報に戻るよ。俺を裏切ったくノ一の報告から、遙は男たらしの誰とでも寝る女と誤解されて、遙に懸想していた真田幸村は遙を酷く憎んだ。そして、二度と政宗殿を想えないように手酷く傷付けるか籠絡して遙の心を奪う機会を狙っていた。しかし、お館様の監視が厳しくて屋敷からは離れられない。そんな折に、姫様が屋敷から脱走して、姫様の守役だった真田幸村なら連れ戻せるはずだと、お館様は姫様を探しに派遣した。ここからが、情報の断片からの推理だからあやふやなんだけど、おそらく真田幸村は、姫様から政宗殿が甲斐にいる事を知らされ、その機会を逃さずあの事件が起こった。これが、尋問から得られた情報とおおよその推理の全容」

もう、溜息しか出て来ない。
そんな子どもっぽい感情と軟弱さと短絡的な思考と浅知恵だけで、遙がこんなに傷付けられたのかと思うと、呆れると同時に、男女の機微について厳しく説教したくなる。

愛した女なら、命を懸けてでも自分の手で一生守り抜くものだ。
例え、主に逆らう事になっても、互いの心が深い絆で結ばれていたら、駆け落ちして遠くに逃れてでも一緒になり、例え貧しくなったとしても、全力で守り抜いて、生涯女が幸せな気持ちでいられるように、ありったけの愛を死ぬまで注ぎ続けるのが、男の在り方だ。

それにしたら、遙を傷付けるやり方だけは、許し難い位に残酷で、確実に遙が深く深く傷付くやり方で、怒りが込み上げる。
俺は、怒りをぐっと堪えて猿飛に俺の知っている情報を話した。
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