今日は、必ず遙を抱く。
遙が抵抗しても、抱きまくる。
俺の身体や、愛し方や癖を完全に思い出すまで、何度でも抱く。
かなりの荒療治だが、一番効果的で、一番早く真田幸村を忘れさせる方法は、それしかない。
あれだけ毎日何度も身体を重ねて愛を囁き合った、あの夏の恋を思い出す事でしか、遙が受けた傷を癒せない。
俺に抱かれ続ければ、うなされる事もきっとなくなっていく。
早く元の、正常な喜怒哀楽を感じて反応する遙に戻れる。
一番核心を突いた酷いやり方だが、欺き続けるのには限界があるし、遙の心の中に、いつまでも深い傷が眠ったままで、どんなに欺いても生涯心の傷から血が流れ続ける。
俺は、涙を拭ってもう一度遙にキスをした。
「遙、あと1時間もしないうちに朝餉だ。何か食べれそうか?」
「ううん。胃がきりきり痛い。食べたら気持ち悪くなりそう」
「そうか…。じゃあ、まだ重湯だな。絶食してたのがまだ堪えてるのかも知れねぇな。それにしても、薬が上手く効いて良かった。よく眠れたんだろ?」
「うん。すっぽり記憶が抜け落ちているみたいによく寝た。いつ寝たかも分からなくて、今も何かぼんやりする。薬が強過ぎたかな」
「いや、今はそれ位でいいと思うぜ?やっぱりお前はうなされて、何度か落ち着かせたから。薬のお陰で覚えてないんだ。だから、今夜も同じ薬だ」
「ううっ、覚えてない。峰打ちした?」
「いや、薬のお陰ですぐに落ち着いた。だから、安心しろ」
「そっか…。うん、じゃあ、今夜も同じ薬にする」
俺は、また遙を欺いた。
これから遙に施す荒療治の事を思うと、心が痛むが、欺いてでも実行するしかない。
朝餉が済んで、しばらくしてから、一日かけてでも荒療治を施す。
俺は、小十郎に予め知らせて、完全に人払いを徹底させる事にした。
まだ、小十郎は眠っているはずだから、小十郎の護衛をしている黒脛巾組の頭領に文を渡す事にした。
「遙、猿飛から荷物が届いてるぞ。指定通り早朝に来た。6時半頃か。お前、まだ寝てたから、起こさないように静かに出て行って、どこかで時間をつぶしながら、お前の指示を待ってるはずだ。早く検査をして、薬を調合してやれ。その間に、俺は、小十郎に朝餉の言付けの文を書く。昨日は、小十郎は仕事で遅かったから、まだ寝てるはずだからな。薬の調合が終わったら黒脛巾組に猿飛を呼びに行かせる」
「分かった」
遙はぼんやりとしたような表情から一転、キリッとした表情に変わって、風呂敷包みを開けて、中身を調べ始めた。
その間に、俺は、寝乱れた着流しを整えて、墨を擦って、小さな紙に小十郎に言付けの文をさらさらと書いた。
遙の朝餉の事と、遙の受けた仕打ちと荒療治の事だ。
それを折りたたんで、俺は、隣りの部屋の襖を少し開けて、小十郎の部屋にすっと入れた。
すぐに文を受け取る気配を感じて、小声で囁いた。
「小十郎宛てだ。お前は読むな」
「承知」
俺は、またすぐに襖を閉めて、机を見遣ると、遙は何かの道具を使って、とても集中した様子で、作業をしていた。
邪魔をしないように、俺は、静かに行燈の火を消し、火鉢の火を強めた。
遙はその間に検査を終えて、じっとしばらく考えた後、バッグの中から昨日と同じような治療道具を出して、薬の調合を手際よく行って、それが終わると、道具を脇に寄せて、タバコに火を点けるとゆっくりとふかしながら、紙の束に素早く目を通して行った。
俺も遙の前に座ってタバコに火を点けて、遙の表情をずっと見つめていた。
分厚い紙の束に、ものすごいスピードで目を通して行く。
その目は鋭く冷静で、紙の束から目を離さずに咥えタバコをすると、メモとボールペンを引き寄せて、素早く走り書きをし、紙の束にも2行短く走り書きすると、またタバコを指で挟んで吸いながら、あっという間に紙の束を読み終えた。
それと同時に短くなったタバコを灰皿で揉み消し、顔を上げた。
5分もかかっていない。
改めて、遙の頭の回転の良さにまた驚いた。
「お前、すげぇな!俺も速読は得意だが、そこまで速くは読めねぇ」
遙はフッと笑った。
「全部読んだ訳じゃないよ。これは、今までの治療の記録なの。この3日間、目を通してなかったから、そこだけ確認したの。かさぶたがまだ剥がれ切っていない患者はあと3人。それでも、あと2日もあれば完全にかさぶたが剥がれる見通し。もう死亡患者はいない。峠は超えていたから、病気に勝てなかった患者さんはみんなもう亡くなってしまった。風向きは、広い田畑に向かって吹いてるから、城下や街道に飛び火する可能性は低いかな。もう少しデータが集まったら、もう少し詳細に解析する。もう、ほぼ収束宣言してもいいね。右目のあの子は、やっぱり細菌感染を起こしかけてたから、薬を変える事にした。佐助を呼んでくれる?」
「分かった」
俺は、小十郎の部屋に続く襖を少し開けた。
そこには身仕度を整えた小十郎がいた。
「小十郎、猿飛を呼べ。あの娘の薬を渡す」
「かしこまりました。ついでに茶を申し付けてお持ち致します」
「Thanks」
小十郎は、すっと折りたたんだ文を俺の膝の前に差し出し、襖を閉めた。
俺は、机の前に戻って、小十郎の文を開けた。
念には念を入れて書いたのか、草書で書かれている。
遙には絶対読めない書体だ。
「遙様の状態がよく分かりました。昨夜のうなされていらした時のご様子が解せませんでしたが、これではっきり致しました。政宗様の策に賛成致します。早目に対処しなければ、うなされる度に、心の傷が深まるのは明らかでございます。かなりの荒療治ではございますが、この小十郎には政宗様の右目の時の事と重なって見えてなりません。放っておくのは危険でございます。人払いはお任せ下さいませ。この小十郎の命を懸けてでも、人払いを徹底し、近づく者があれば、斬り捨ててでもお守りする所存。この小十郎も、政宗様のお部屋からは離れた所で見張りますので、ご安心下さい。念のため、お部屋の外には護衛の忍は配置致します。ただし、猿飛佐助が遙様の配下にいる今は、恐らく危険はないと思われますので、あくまで苦無で曲者を仕留められるぎりぎりの距離は置かせます」
小十郎にもやはりあの声が聞かれていたと思うとやるせないが、小十郎は粗方の事をすでに知っている。
俺一人で隠し通すのはいずれにせよ到底無理だから、小十郎が遙の状態を良く理解して、援護してくれるのはとても心強い。
小十郎は、俺の右目の件の時の事をよく知っている。
あの時、どれだけ小十郎が心の慰めになった事だろう。
だから、小十郎が賛成するのであれば、恐らく俺の読みも正しいはずだ。
ただ、とても不安だ。
初めて遙を抱いた時とは比べ物にならないほどのプレッシャーだ。
遙の受けた傷がそのまま俺に跳ね返ってきて傷付く事を覚悟しなければならない。
話で聞いただけで、あれほど怒りと哀しみを堪えるので精一杯だったのに、実際に遙が酷く錯乱して俺を拒んだら、どれほど俺も傷付くかと思うと、俺も怖い。
遙は、俺にとって最大の弱点だ。
遙の愛を失ったら、俺は、生きた屍になってしまう。
でも、本当に傷付いているのは、遙自身だ。
命を懸けてでも守りたいなら、遙がその身に受けた傷を、俺自身がそっくり受け止めて、この身に写しとって遙から完全に取り除かなければならない。
俺自身が傷を受ける事で、遙の傷が癒えるのならば、この身を犠牲にしても構わない。
とにかく遙には少しでも早く良くなって欲しい。
遙は、仕事を終えると猿飛宛てのメモと道具を風呂敷で包み、またぼんやりとして、机に肘をついて何か虚ろげな表情で、遠い目をしている。
「遙、どうした?」
「うん、何かまだ頭がぼーっとしてるの。薬の影響かな。政宗、小十郎から手紙?」
「ああ、夜遅くまであいつ、仕事してたからな」
「そうなんだ…。忙しいのに一緒に楽の稽古させちゃって悪かったなぁ」
「いや、俺にも小十郎にもいい息抜きになったぜ?割引の琴の腕前聴かせてもらったしな」
「ふふっ、割引…。本当に小十郎の笛、素敵だったなぁ。春の海があんなに素敵にアレンジされるとは思わなかったし、小十郎、一発で覚えるんだもん。天才だね!」
「あいつの笛は天才的だ。それで俺の守役に父上が抜擢したくらいだからな。それに合わせられたお前も見事だったぜ?」
「だって、小十郎が目で合図してくれたし、それに、政宗がすごく耳が肥えてるから一生懸命頑張ったんだもん。まさか、iPodの演奏をあそこまで酷評されるとは思わなかったよ。政宗も耳がいいんだね」
「そうか?思ったままを言っただけだけどな」
「ううん、耳がすごくいい。だから、英語も上手いんだね」
「それを言うならお前もだ。お前が出来る異国語は?」
「日本語と同じスピードで読み書き話すのも出来るのは英語だけ。後は、読むだけならスペイン語とイタリア語とフランス語とドイツ語かな」
「はぁ、また隠してたな?じゃあ、他に嗜んでる楽器は?」
「ピアノとバイオリンとエレキギター。でも、手がそこまで大きくないから、ピアノはすごく難しいのは弾けないよ?あと心持ち大きかったら、リストもラフマニノフも弾けるんだけど。バイオリンは、大学の器楽室で美紀と合奏して遊んでた。美紀とストレス解消に、よく大学の器楽室にいたの。美紀のピアノはすごいよー?医者じゃなかったら、音楽家になってたんじゃないかってくらい上手いもん。美紀のストレス解消はピアノだったから、勉強すればするほど、ピアノが上手くなってたよ。女の子にしたら手が大きいから羨ましかったよ」
「そうか…。確か、バイオリンの形は完成してるはずだ。ピアノもそうだな。お前の世界よりこちらの世界の方が技術が全体的に発達しててな、ピアノものだめで見たのと同じやつがヨーロッパにあった。絵で見ただけだけどな。流石にエレキギターはねぇな。お前のエレキギターはcoolだったな!」
「ふふっ、ありがとう。ピアノはあと100年くらい待たないとないと思ってた」
「色々な事が落ち着いたら、取り寄せてやるよ。どうせ、一応貿易はしてるしな。ついでだ」
「そうだね。バイオリンは嬉しいな。研修医になってから、一番気軽なストレス解消はバイオリンだったから。そのために実家から送ってもらったし」
「そうか、あの頃、聴いた曲をアレンジして気晴らしにエレキギターを弾いてたから、昨日の小十郎の笛にも合わせられたのか」
「うん、多分そうだね。お琴はあんまり弾いてなかったけど、楽器はずっと何かしら触ってたから。ところで、小十郎って英語出来るの?」
「ああ、外国の商人とのやり取りでな、話すのは出来るぜ?日常会話も出来る。耳がいいからな。それもここ1年、いや、半年くらいか。大したもんだ。ただ、読み書きとなると、あいつはなかなか暇がねぇから、そこまではな。商業取引の英語なら読める程度か。本人はアルファベットくらいしか読めねぇって言ってるけどな。あれは謙遜だ」
「商業取引英語は苦手だな。最近は特に医学英語ばかりだから」
「そうか。まぁ、色々落ち着いたら、教えてやってやれ」
「私でいいならね。そっかー。小十郎、英語出来るなら歌って欲しいなー。エルヴィス」
「エルヴィス?」
「うん、ロックンロールの神様」
「お前、メタルとハードロックばっかり聴いてたじゃねぇか」
「流石に7年も経つと幅も広がるよ。今だにメタルもハードロックも好きだけど、ここ数年はエルヴィスとクイーンとエリックとクラシックを聴く事が多いかな」
「そうか…。7年だからな…。お前が何をその間聴いてたか知りたい。朝餉が来るまでエルヴィス聴かせてくれよ」
「うん、いいよ」
遙はバッグを引き寄せた。
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