甲斐の虎 -1-

俺は、久しぶりに武田の屋敷に戻った。
政宗殿と今朝会って、話した事を振り返りながら、お館様のお考えをどう聞き出そうか考えつつ、お館様のいらっしゃる広間へ向かった。

「お館様、猿飛佐助でございます」

廊下に跪いて頭を垂れた。

「うむ。久しいの。遙はどうした?」
「事情がございまして、俺一人で参上仕りました」
「あい分かった。入るがよい」
「はっ!」

俺はお館様の前に控えた。

「面を上げよ」
「はっ!」

俺はお館様を真っ直ぐに見つめた。
お館様は、いつもの通り、冷静でとても温かい雰囲気を纏っている。
目が合うと、お館様は人好きのする笑みを浮かべた。

「佐助よ、ご苦労であった。よくぞ遙を手伝い、疱瘡の被害を最小限に抑えた。褒めてつかわす」
「ありがとうございます。疱瘡の収束はあと2日の見通しです。一人、重症患者の治療でまだ手間取りますが、2週間以内には完治する予定です。その功労として、お館様への文に書いた通り、遙は八王子と吉原の病の治療のため、伊達に身柄を引き渡す事を希望しております。八王子は伊達政宗自ら作ったらい病患者の里で、遙ならばらい病の治療が出来るとの事で、伊達政宗も遙を欲しがっております」

お館様は思案するような表情を浮かべて、顎をさすった。

「なるほどのう…。政宗公からの文は、その要件であったか。吉原の病は深刻じゃ。江戸となると、遊郭の規模も大きい。政宗公も頭を悩ませているのであろう。しかもらい病まで治せるとあらば、政宗公が欲しがっても当然よ。遙の身柄が他の大名の手に渡ればそれで戦の火種になるやも知れぬが、天下人の下におれば遙も安全で、政宗公なら帰る手立てを探す力も持っておられる。何より遙はこの信玄の命の恩人じゃ。遙の望み通り、伊達に身柄を引き渡す事に致す。そう遙に申し伝えよ」

俺は内心ホッと吐息を吐いた。
ここまでは、俺の予想通りだ。
問題は、ここからだ。
お館様に姫様の事を聞き、そして、婚儀をどうなさるか探りつつ、遙の夫の事も話さなければならない。
俺は、言葉を選びながら話した。

「了解致しました。遙もお館様のご了承を得られてとても喜ぶと思います。最後の患者の治療が終われば、また改めて共にお伺い致します」
「そうじゃな。久しく顔を見ておらなんだゆえ、顔を見て改めて礼を言いたいものじゃ。本来ならばこの信玄が江戸に出向かなければならぬ所じゃが、政宗公がここを訪ねると文に書いてあった。政宗公には無礼ではあるが、お言葉に甘える事にする」
「承知致しました」

どう手札を切っていくか考える。
突き詰めて言えば、伊達政宗の婚儀騒動が全ての原因だから、伊達政宗にはすでに妻がいると単刀直入に話せば、お館様なら姫様の事も話して下さるような気がする。
姫様の事が政宗殿と遙の懸念材料だ。
ただ、それはあまりにも突拍子もない事で、信じて頂けるか不安に駆られる。
これが失敗したら、別の手を考えなきゃいけない。
ただ、俺には信じてもらえる切り札がある。
それが上手く効くか祈るしかない。

「あの、お館様。遙の神隠しについて分かった事がありますので、ご報告したいのですが」
「何と!!うむ。申してみよ」

お館様は驚いたように目を瞠った後、強く頷いた。
その目はとても鋭くて威圧感に満ちている。
緊張のあまり手が震えそうだ。
あの伊達政宗の妻が遙だんなて、突拍子もなさ過ぎる。
突拍子もないが、それは紛れもない事実だ。
俺は先に切り札を切る事にした。

「お館様。遙が命より大切にしていた物をお預かり致しました。どうぞ、これをご覧下さい」

俺は懐から、懐刀を取り出して、両手でお館様の前に差し出した。
お館様の目が驚愕に見開かれた後、懐刀を手に取って鞘を検分し、すらりと抜いて刃をじっくりと検分し、次に刃を抜いて銘を確認すると、元通りに戻して懐刀を俺に手渡した。

「名刀正宗と対で作られた懐刀じゃ。鞘の細工も見事じゃ。この竹に雀の家紋と名刀正宗、間違いなく政宗公の持ち物であろう。しかし、何故これが遙の命よりも大切な物のか、解せぬ。佐助、申してみよ」
「はっ!到底信じては頂けないのではと、遙も心配して口をつぐんでおりました。特に、この甲斐においては、誰にも知られてはならないため、遙もずっと口をつぐんでおりました。あの女遊びで有名だった伊達政宗が、天下統一の戦を始めて以後、7年間もの間、女に全く触れず、縁談も全て断っております。何故なら、7年前に伊達政宗と遙は、遙の世界で出会い、そこで深い絆で結ばれて夫婦となったそうです。二人とも同じ願掛けの耳飾りをしており、夫婦の証の指輪も揃いなのも確認済です。さらに、夫婦となった後、伊達政宗自身の懐刀を魔除けとして授けられたと言われたら、信じるより他にございませんでした。遙が甲斐に現れてから、ずっと俺が監視しておりましたから、遙の世界で二人が祝言を挙げたのは間違いありません。遙もそう俺に打ち明けました。伊達政宗が婚儀を断っていたのは、遙との再会を夢見て操を立てていたからだと思われます。そして、伊達政宗との再会のために遙は神隠しに遭ってこの世界へ来たと考えられます」

お館様は、唸るような思案声を漏らして、顎を撫でていた。

「それは、遙にとって誠に辛い事をさせてしもうた。政宗公にとってものう。政宗公が、その懐刀を授けるとは余程の事じゃ。遙の神隠しが、政宗公との再会のためなら何と言う深い絆よ。政宗公の神隠しの話など聞いた事はないが、しかし、遙がその懐刀を持っている以上、真実に違いあるまい。7年間も操を立て続けたとあれば、どんなに婚儀を勧めても断るはずじゃ。正直、儂もホッとした所よ」

お館様は、渋い思案顔をしたまま口元に苦笑いを浮かべた。
予想通り来た!
お館様は絶対姫様の事を掴んでる!
俺は表情を変えずに素知らぬ振りをしてお館様に尋ねた。

「ホッとなさったとは、お館様は婚儀をお諦めになったのですか?あれほど婚儀に熱心だったのに、何か心変わりでもなさったのですか?」

お館様は、眉間に皺を寄せて溜息を吐いた。

「諦めざるを得なくなったと言うべきよのう。姫の様子がおかしいゆえ、乳母に問い質した所、姫は幸村と逢瀬をしたそうじゃ。文箱から幸村の後朝の歌も見つかっておる。あひみての、じゃ。政宗公に嫁がせる事が叶わなくなってしもうた。あれ程、婚儀の催促をしておきながら、面目ない事、この上ない。武田のお家の恥じゃ。政宗公には最大限の礼を尽くして、遙との婚儀について、この武田信玄が後ろ盾となるより他あるまい。政宗公と遙を苦しめた、せめてもの罪滅ぼしじゃ」

俺は、驚いた振りをしてお館様に尋ねた。

「ええっ!?あの旦那と姫様が逢瀬ですか!?それで、お館様は姫様の処遇をどのようにお考えですか?」
「うむ…。元々姫が婚儀を拒んでいたのは幸村ゆえじゃ。しかし、この武田信玄、そうやすやすと幸村との婚儀を認める訳にはいかぬ。幸村には漢気が足りぬ。儂亡き後の武田を背負うのは幸村じゃ。いつまで経っても儂を超えられぬとあらば、婚儀を認める訳にはいかぬ。儂はあやつに試練を与えるつもりじゃ。あくまで幸村にはいまだに儂が姫を政宗公に嫁がせるつもりでいると思わせ、儂から姫を貰い受けたいとの漢気を見せるまでは幸村の婚儀は認めぬ。元々1年前、姫の婚儀について幸村に告げたのも、幸村の漢気と気持ちを確かめるつもりであったが、あ奴め、あっさりと承諾しよったからのう。二の姫を幸村が貰い受けるつもりならば、一の姫を政宗公に嫁がせるつもりじゃった」
「はぁ、お館様はあの時、旦那を試されていらっしゃったんですね。全く、あの人は本当に鈍感なんだからっ!!そうですか。ちなみに政宗公と遙殿の婚儀の後ろ盾となるとおっしゃいますと?」

そう尋ねると、お館様は悪戯っぽく笑った。

「それはまだこの武田信玄の胸の内じゃ。政宗公をあっと言わせたいからのう。そして、武田を大事と思って下さるよう手を打つつもりじゃ。じっくりと思案して、政宗公、直々にお伝えするゆえ、それまでは誰にも明かせぬ」
「そうですか」
「うむ、時に佐助よ。お主、幸村と何かあったのではないか?」

お館様に鋭い目で見つめられてぎくっとした。
何から話すべきか、どこまで明かすか表情を変えないまま悩む。
このままとぼけてお館様が何を勘ぐっておられるのか探るのが得策だ。

「何かとおっしゃいますと?」
「ふむ…。心当たりがあり過ぎて話さぬのか、秘密にしたい事があるかどちらかかのう。では、単刀直入に申す。幸村を痛めつけたのはお主と焔であろう。なにゆえじゃ?お主が幸村から離反するとは余程の事じゃ。申してみよ」

旦那に報復をしたのがこんな形で仇になるなんて、やっぱり感情でなんて動いちゃいけなかったんだと背中を冷や汗が流れて行った。
お館様の問いに素直に答えるのであれば、遙の事件の事を話さなければならない。
どう答えればいいのか考えながら、そのまま沈黙する。
沈黙は金だ。
そこで、お館様の出方を見るしかない。

「佐助よ、隠しても無駄じゃ。何の傷も残さずあのように幸村を痛めつけられるのは、お主と焔しかおらぬ。幸村が主として相応しからぬ事をしでかしたならば、この武田信玄が許さぬ。幸村の目付きがここの所変わった。目の色が濁り切っておる。良からぬ事を考えているのは見え透いておる。おそらく姫に関する事であろうが、お主が離反した事とは直接関係あるまい。お主は姫の事まで手が回らぬ状態であったからじゃ。何か心当たりがあるのならば申せ」

このお館様の目の色は、真実を知るまで納得しないという意志に燃えた色だ。
遙の事件を伏せるのは難しいかも知れない。
だけど、政宗殿との約束があるから、出来るだけ伏せるしかない。
真田幸村が政宗殿と遙を引き裂こうとしている事実だけを話して納得してもらえれば、それが一番だ。
外堀から埋めて行くしかない。
でも、尋問から得られた結果だから、やはり欺き通せない。
真田幸村の思惑に気付いたのは結果論だから。
何故尋問したかと問われれば、事件の事を伏せる訳には行かない。
事件の前に得た手がかりから話すしか方法はない。

「旦那は遙に懸想をしておりました。俺が遙と二人きりで料亭に行った事で嫉妬に駆られ、涼風を利用して俺と遙を見張らせました。そして、涼風に誤解を招くような報告をされ、旦那は遙を誰とでも寝る女だと酷く憎みました。旦那は遙の想い人が政宗公だと知っているため、二人の仲を引き裂いて遙を傷付けるつもりでいるはずです。お館様のお話によると、旦那は姫様と情を通じている様子。姫様の婚儀を成功させ、姫様が政宗公に愛されるためにも遙と政宗公の仲を引き裂くつもりでしょう。これが旦那に関する俺の心当たりです」
「うむ…。涼風を利用するとはあやつらしくない。それに、儂から姫を貰い受ける漢気もなく、姫の婚儀のために遙を傷付けるとは不埒千万!お主が離反した理由はよう分かった。お主自ら涼風を粛清したのであろう。そこまでの事をお主にさせたとあらば、お主が幸村から離反したのも納得がゆく」

お館様が大きく頷いて、俺はホッとした。
俺が伝えるべき事は全て伝えた。
後は、どうはぐらかすかだ。
お館様がこのまま納得して下さるのを願うしかない。
俺は悔しそうな表情を浮かべて、じっと床に目を落とした。
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