甲斐の虎 -2-

「しかし、解せぬ。お主が幸村に関してそこまで確信出来るほど、お主は幸村の事を掴んではなかったはずじゃ。この儂の監視下に幸村はずっとおったからのう。幸村を外に出したのは、姫の行方を追わせた時のみじゃ。そして、行方知れずとなった幸村を探索させ、やっと連れ戻したのが翌日。その時、お主と焔が幸村を痛めつけたのは明白。儂の疑問はそこじゃ。なにゆえか答えよ、佐助!」

お館様の監視がそこまで徹底してたから、真田幸村の怪我が知れたのか。
やっぱり感情のままに報復なんてするんじゃなかった。
お館様にこんな風に恫喝されたら、もう言い逃れなんて出来ない。
真実を話すしかない。
俺は深い溜息を吐いた。

「遙に口止めをされているので申し上げられません」
「口止めとな…。ふぅむ…。お主、先ほど幸村が遙を傷付けようとしていると言っていたが、既に遙は幸村に傷付けられたのではないか?幸村のその行為の結果、お主は幸村を尋問し、そして幸村の思惑を掴んだのじゃな?そして、お主と焔が幸村を痛めつけずにはいられない程の事をしでかしたに違いあるまい。答えよ、佐助!そうではないのか!?」

流石にお館様を欺く事は出来ない。
俺はしばらく逡巡した後、頷いた。

「お主が感情に流されるのは珍しい。焔もじゃ。遙の誠実な心に打たれて、それだけ主として慕っておったのであろう。しかし、お主と焔がそこまで幸村に怒りを覚えてあのように痛めつけるとは余程の事じゃ。それ程までに遙が傷付いたのであれば、政宗公に申し訳が立たぬ。この甲斐を治める武田信玄が何も知らぬとあれば、情けない事この上ない。遙が口止めを願った事も気がかりじゃ。いずれは政宗公に知れて怒りを買う恐れもある。佐助よ、正直に何が起きたか話せ」

俺は迷った。
既に政宗殿に知れていて、政宗殿に口止めをされていると言えば、遙の事件の詳細を伏せられる。
遙にとって、とても残酷で、知られる事すら屈辱的な事件を。
伊達との接触は、既にお館様が政宗殿から甲斐にいる事を知らされているのであれば、事件後の接触という事にすればいいかも知れない。
その一方で、政宗殿は必ず真田幸村に報復するはず。
お館様に、ある程度は匂わせて政宗殿が最高潮の怒りに燃えている事くらいは知らせた方がいいかも知れない。
事件を隠し切れない以上、政宗殿が報復しやすいようにお館様を味方に引き入れる布石くらいは敷かないと面目が立たない。

「申し訳ございません、お館様。遙は真田幸村に心を深く傷付けられた結果、政宗公から貰い受けた懐刀で命を絶とうとまで致しました。その時、俺は遙の夫が政宗公だと知りました。真田幸村の仕打ちに怯えては錯乱し、眠ればうなされ、起きても思い出しては泣き濡れてまた錯乱するほどに。死んだ方がマシなくらい非常に屈辱的で酷い仕打ちだったとしか申し上げられません。遙が確実に深く深く傷付くやり方で、更に政宗公との仲を引き裂き兼ねない残酷な仕打ちでした。遙の名誉のためにも詳細は言えません。俺も焔も怒りに燃えて、あのように真田幸村に報復せずにはいられない程だったとしか。今の遙を癒せるのは政宗公だけです。そのため、政宗公の下に遙をお返し致しました。政宗公は全てを知った上で、最高潮の怒りに燃えながらも、遙の願いで甲斐を攻め滅ぼすのを思いとどまっておられます。ただし、決して真田幸村を許さないでしょう。何らかの制裁を政宗公自ら下す事を望んでおられると思います。政宗公でも手を焼く程に遙は傷付いていて、同じく政宗公も傷付いておられます。俺がお館様に詳細を申し上げられないのは、他でもない政宗公に口止めをされているからです。真田幸村の仕打ちを知られる事により、遙はまた傷付き、それは政宗公の望む所ではありません。また政宗公ご自身も誰にも知られたくないとお望みです。俺が言えるのはこれだけです」

お館様は眉間に皺を寄せて唸っていた。
政宗殿の口止めならば、お館様もこれ以上は追及は出来ないはず。
事件の事は伏せられなかったけれど、詳細を知らせずに話すにはこの方法しかなかった。
少しの偽りを混ぜたけれど、おおよその事は事実だ。

「政宗公に口止めをされているとあれば、この武田信玄もこれ以上は追及出来ぬ。致し方あるまい。ただし、幸村がお二人を深く傷付け、政宗公が甲斐を攻め滅ぼしたいと思う程に遙が傷付いたという事はよう分かった。それほど遙にとって屈辱的で、政宗公にとっても誰にも知られたくない程とは、余程の仕打ちな事に間違いあるまい。それでも遙が政宗公の報復を止めるとは、何と健気なおなごよ。遙も怒りと悲しみのあまり政宗公の望み通り、この甲斐を攻め滅ぼしたいと願っても仕方なかろうに。また、遙の願いのために自分の怒りを抑えるとは、政宗公の遙への想いの深さにも感服の極みじゃ」
「遙の手は人の命を救うためにあります。誰も傷付く事を極端に嫌っております。そのため、自分がどれだけ傷付こうと、戦だけは必死に止めております。でも、俺の正直な感想では、政宗公は真田幸村へ自らの手で報復したくてたまらない気持ちでいると思います。また、遙も真田幸村がそれで命を落とさないのであれば、政宗公を止められないと思います。もし、真田幸村が瀕死にでもなったら、敵とは言え、遙は真田幸村の命を救うために必死で治療をするでしょう。彼女はそういう女の子です。だから、俺も忍隊も彼女を慕い、配下についております。彼女の望みを叶え守る事が、俺と焔を始め、猿飛佐助忍隊の願いでもあります」

お館様は、目を瞠って感嘆の吐息を漏らした。

「何と情の深い、健気なおなごよ。政宗公が惚れ抜いて忘れられなかったのもよう分かる。佐助、お主ほど冷徹な男ですら情に絆されて配下についたのも無理はない。そのために政宗公は7年もの間、操を立て続け、遙もまた同じであったのであろう。そして、政宗公は何らかの方法で遙が甲斐にいる事を突き止め、遙を武蔵に呼び出す策を練った。それが八王子と吉原じゃ。また、遙もそれに気付き、お主の監視を欺きながら、その場で遣いの者に政宗公宛の返事の文を託したのではないか?自分の存在を政宗公に知らせるために」
「おっしゃる通りです。俺に二人の関係が知られないように、遙は政宗公にしか分からない難しい英語の文を書き、俺が英語で愛してるという言葉を知っていたため、他の4ヶ国語で愛してると書きました。政宗公もそれを全て解読したそうです。それは政宗公ご自身からお聞きしました」

お館様はまた唸るように感嘆の声を漏らした。

「何という深い絆よ。遙も、言わば敵地とも言えるこの甲斐においてお主ほどの男を欺きながら、政宗公にしか分からぬ異国語で恋文を書くなど、正に驚くべき知恵と肝の据わったおなごじゃ。政宗公も、儂の婚儀の催促に手を焼いて、回りくどいながらも確実に遙を江戸に呼び寄せるために打った策、流石天下人よ。見事じゃ。政宗公は外堀を埋めた上で、この甲斐に遙を迎えに来て、遙との婚儀の話をするつもりであったのであろう?政宗公から文が届いて、儂に会いに来ると書いてあった」
「そうです。政宗公がお館様にお会いする目的は、遙との婚儀の話をお館様にする事で、遙を伊達に身柄を引き渡すよう交渉するおつもりです」
「天下人自ら甲斐に出向いて儂と話をつける程とは、誠に天晴れ!それほどまでに遙への想いが深く、この武田信玄も立てるとは、それこそ正に儂の理想の漢気よ!ますます政宗公に惚れ直した!遙を呼び寄せる策も見事であった!例え儂が婚儀に固執していても、遙を政宗公に渡さずにはいられない見事な策じゃ!」

お館様は感動し切ったように、何度も頷いて目を細めて満足げな笑みを浮かべた。

いや、政宗殿はお館様に秘密で遙を攫おうとしたんだけど、それは伏せておこう。
攫おうとしたと聞いたら、それはそれでその情熱にお館様は感動しそうだけどね。
あの伊達三傑まで背後に動かして、自ら先鋒で攫おうとしたなんて聞いたら、その壮大な略奪劇に感動しまくりそう…。
天下人の先鋒だなんて聞いたら、また政宗殿の株がお館様の中で急上昇だよ。
まぁ、それは秘密って事でいいや。

しかしお館様は、次の瞬間また険しく怒りに満ちた表情になった。

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