甲斐の虎 -3-

「それに比べたら姫と幸村は何と情けない事よ!姫は相変わらず疱瘡の予防薬から逃げ回り、この儂が押さえつけても暴れてくノ一の手には負えぬ!乳母を問い質した所、幸村に肌を褒められ何人たりとも傷付けてはならぬ肌だと言われたからだと。浅慮にもほどがある!二人がそこまで情を通じているのであれば、政宗公と遙のように互いを信じ合い、想いを貫いて、この儂を感服させる程の情熱と幸村の漢気を、この儂の目の前で見せつけて願い出れば、この武田信玄も婚儀を認めるものを、陰でこそこそと逢瀬をした挙句、儂も政宗公も欺くとは不埒千万!やり方も感情も幼稚で情けない事この上ない!!しかし、これもみな儂のせいであろうな…」

お館様は恫喝すると、苦渋の表情で深い溜息を吐いた。

「甲斐の分国法、甲斐州法度次第に則って、嫡男義信を切腹させてしもうたゆえ、幸村も儂に逆らわぬのであろう。しかし、勝頼は世継ぎの器ではない。儂は幸村こそ武田を背負う武士をして育て上げて来たというのに、あやつにそれが分からぬとはのう…。幸村にはこの儂を超える男になって貰わねば、武田の行く末は不安極まりない」

俺は、軽く頷きながらも、姫様の予防接種に嫌な予感がした。
姫様は家出をしている。
政宗殿とあの街道で出会って、真田幸村があのタイミングで遙を襲えたのであれば、疱瘡流行地域を通った事は間違いない。
姫様はほぼ間違いなく疱瘡を発症する。
右目のあの子のように、予防薬を打っても間に合わないかも知れない。

くノ一に無理なら、遙しか姫様に予防接種は出来ないだろう。
しかし、今の遙に出来るのか…?
でも、政宗殿に守られている今なら、遙はきっと見捨てられないはず。
姫様が疱瘡を発症したら、必ず治療をするはず。
遙ならばどうするか、今まで接して来た遙を思い浮かべながら、遙の取りそうな策を読む。

遙は予防接種を必ずしに来る。
それは間違いない。
ただし、伊達主従に完全に守られた上で、俺と焔もいないと恐らく真田幸村に怯えて思うように治療は出来ないはず。
その一方で、伊達主従が真田幸村に出会ったら、必ず復讐をするはず。
ただし、遙は人が傷付くのを極端に嫌う。
せいぜい脅しをかける事しかあの子には出来ないし、政宗殿が真田幸村を殺すなんて絶対に許さないはずだ。
そして、真田幸村に制裁を下すなら、予めお館様に了解を取るくらいに遙は律儀だ。
それならば、俺が今、お膳立てをした方が二人が動きやすくなる。

「お館様。俺の推測ですが、姫様が家出をなさった時に、疱瘡流行地域を通った可能性が高いと思われます。姫様は恐らくお館様から遠く逃れるため街道を目指していたと考えられます。もし、街道まで到着していたのであれば、疱瘡にかかっているかも知れません。早めに手を打たねばなりません」
「何と…!!」

お館様は驚愕と恐れの混じった表情で固まった。

「そうであったか…。あの日、姫が憔悴していたのはそのためであったか…。しかし、くノ一の手には負えぬ。幸村に深く傷付けられたばかりの遙はこの屋敷にはすぐには来られぬであろう」
「いえ、遙は必ず来るでしょう。政宗公の右目を失わせた病を見過ごすはずがありません。それほどまでに遙は政宗公を深く愛しております。伊達主従に守られ、またこの猿飛佐助率いる忍隊の全総力を上げて守れば、遙も動けるはずです。ただし、その時に遙の目の前で、政宗公直々に真田幸村に制裁を下すと思われます。お館様にはその事を予めご了承頂きたい。遙は律儀ですから、お館様のお許しなく政宗公にそのような事をさせるはずがありません。この俺ですら真田幸村に制裁を下さずにはいられなかった程ですから、政宗公の心中を考えると、俺は政宗公の気の済むようにさせて差し上げたい」

お館様は思案するように目を伏せた後、力強く頷いた。

「あい分かった。遙ならば、政宗公に無茶はさせぬであろう。それでいて、幸村へどのように制裁を下すのかは分からぬが、遙と政宗公の策がどのような物か見ものじゃ。この武田信玄、お二人には口出しをせず静観するゆえ、安心せよと申し伝えよ。また、あの姫の様子も伝えよ。さすれば、姫を従わせる策も練るはずじゃ。政宗公と遙の絆とその策、儂もこの目で見とうなった。幸村と姫への試練はその後じゃ。先ずは、姫の疱瘡の治療を優先とする。遙には辛い思いをさせるが、いざとなれば儂自ら遙を守るゆえ、幸村も手出しは出来ぬ。それも併せて申し伝えよ」
「かしこまりました」
「それにしても、誠に天晴れな二人よ。この武田信玄、感服の極みじゃ」

またお館様は感動して何度も頷いている。
もうちょっと感動させちゃおうかな。
遙の事件の詳細さえ伏せればどこまで明かしても、俺の自由裁量だもんね!
お館様がもっとあの二人に入れ込めば、二人はもっと動きやすくなる。
ちょっとした悪戯心だけど、利益はあっても損はない。
俺は小さく笑ってお館様に軽く頭を下げた。

「政宗公と遙に口止めされていたので申し上げませんでしたが、あの二人の絆の深さをお館様に知って頂きたく、お知らせしたい事があります」
「口止めされているのであれば、裏切りになるのではないか?」
「いえ、政宗公の戦を阻止出来た今ならばお知らせしても構わないかと」
「そうか。ならば申してみよ」
「はっ!実は、政宗公は遙の存在を知り、疱瘡収束の時期を見計らって遙を攫いに参りました。村は厳重に封鎖しておりましたから、恐らくご自身の経験から甲斐の疱瘡の収束の時期を計算したのでしょう。見事な読みでした。お館様の姫様の婚儀に対する意気込みを計りかねて、お館様に秘密裏に、自らの先鋒で背後に伊達三傑まで動かして、いざとなれば甲斐を攻め滅ぼす10万を超える軍勢を率いて遙を攫いに参りました」
「何と…!!自らの先鋒でとな!?」
「はい。遙は伊達の布陣をすぐに見抜き、片倉小十郎を忍隊に牽制させ、また伊達の存在を伏せるための情報撹乱を忍隊に命じました。戦を回避するための遙の策でした。遙は最後の重症患者の治療をしておりました。政宗公と同じ、疱瘡で右目を失った幼子の治療に遙は全てを懸けていました。政宗公を愛するがゆえです。そのためどうしても甲斐を離れる訳には行かなかったので、先鋒で遙を攫いに現れた政宗公を、遙は撤退させました。決死の覚悟であの天下人が先鋒で軍勢まで率いて甲斐まで遙を攫いに来たというのに、あの政宗公の撤退の鮮やかさと漢気には俺も惚れました。7年振りの再会にも関わらず、愛する女を抱き締める事もなく、未練がましくそこに留まる事もなく、ただ右目を患った幼子を勇気付け、遙と愛の言葉を交わすだけで満面の笑顔で撤退して行ったあの姿は忘れられません。遙の治療に懸ける思いを尊重し、またご自身の右目と重ねて見て遙の愛情に心を打たれた上でのあの決意には、俺も感動して政宗公に惚れました」
「何と…!!」

お館様はまた目を見開き絶句した。

「その姿、儂も見たかった!!天下人の自らの先鋒での出陣にも驚きじゃが、7年振りの再会だというのに、自らの想いより、政宗殿への愛ゆえに患者の治療を優先させた遙の医者としての心構えと情の深さ、そして布陣を読み、戦を回避させた策の鮮やかさ!!正に女傑よ!!遙によってこの甲斐は救われたも同然じゃ!!そして、遙のその気持ちを汲んで、遙の決心が鈍らぬように、抱き締めもせず、言葉を交わすだけで笑顔で撤退した政宗公の漢気の素晴らしさ!!誠に天晴れなり!!遙も政宗公も、最高の心意気の持ち主じゃ!!流石、天下の伊達男とその妻よ!!この武田信玄も、二人に更に惚れ込んだわ!!それだけの軍勢を動かしてまでの略奪劇を覆すなど、誠に深い絆としか言いようがあるまい!!」

お館様は、感極まって目に涙を浮かべて、何度も頷いた。

「この武田信玄、全身全霊をかけて、お二人に尽くす所存!!佐助、お主も心置きなく幸村の配下を離れ、政宗公と遙にお仕えせよ。そして、政宗公に何かお力添えが必要とあらば、この武田信玄に何なりと申せ。武田の総力を上げて政宗公にお仕え致す!!」
「お館様、ありがとうございます。俺も政宗公にお仕えするお許しを頂けて嬉しいです。もちろんお館様にはこれからもお仕え致します。遙が立ち直るまで、右目を患った幼子の治療は遙の指示の下、俺と焔で行います。遙の様子を見計らって、姫様には必ず予防薬を与えますので、ご安心下さい」
「うむ。遙には、この信玄がついているゆえ安心せよと伝えよ」
「分かりました。政宗公の略奪劇についてはご内密に。あの二人にとっては辛い選択でしたので。鮮やかに引いたとは言え、政宗公にとっては辛い思い出です。また、その後再会した遙が深く傷付いていた姿に変わり果てていた事で、政宗公の心中を察するといたたまれない気持ちになります。あの時、攫ってしまえばと後悔しておられると思うので、お館様の胸の内にしまっておいて下さい」
「あい分かった。政宗公の心中をお察しすると、傷を抉るような事は申せぬ。必ず内密にするゆえ、安心するがよい。佐助、よくぞ話してくれた!礼を言う!遙と政宗公には最大限の礼を尽くす!誠にあの二人には惚れ込んだわい。儂も、幸村と姫の根性を叩き直す決意が改めて出来た。幸村の事は儂に任せて、お主は遙を支えよ」
「はっ!!」

うん、嘘は言ってない。
隠し事はしてるけど、嘘じゃない、多分。
お館様がこんなに感動して惚れ込んでくれたなら、これくらいは明かしても良かったよね?
だって、あの伊達政宗のカッコ良さをお館様が知らないなんてもったいなさ過ぎるよ。
俺、めっちゃ惚れ込んだんから。
お館様もああいうの大好きだし、お館様にも政宗殿と遙にもっと惚れ込んで欲しかったんだ。
これで大っぴらに政宗殿と遙にお仕え出来るようになったし、ラッキー!
ただ、政宗殿と遙には内緒にしとかなきゃね。
これで、懸念材料はほとんどなくなった。
後は、お館様でも手に負えない姫様だけが問題だ。
それは、遙と政宗殿に相談だな。

「佐助よ、他に申したき議はあるか?」
「いえ、ございません。姫様の予防接種について、遙と政宗公に相談して参ります」
「うむ。佐助、頼んだぞ」
「はっ!では、失礼致します」

俺は深々と頭を下げて、お館様の御前から下がった。

村へ戻り、右目の子の容体を遙宛に楷書で文を書き、政宗殿にお館様との会談の概要を文にしたため、詳細は直接遙と政宗殿にお話したいから時間を指定して欲しいと綴った。
そして、それを部下に遣いにやらせた。

恐らく、政宗殿は真田幸村に復讐をする。
しかし、遙が牽制するはずだ。
姫様も服従させなければならない。
あの二人がどんな手を打つのかとても楽しみになって来た。
いや、もう既に考えついているかも知れない。
姫様が疱瘡にかかっているかも知れないと政宗殿は知っているから。

明日、きっと二人に会える。
その時には、遙の笑顔が見られますように。

あの二人の最高の復讐劇を聞くのが楽しみでたまらない。
遙と政宗殿の気分がそれで晴れるのなら俺はいくらでも協力する。

早く二人が幸せになりますように。
そう青い空に願った。

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