右目の涙 -1-

部屋に戻ると、遙は白衣の方が着物より楽なのか、布団に寝そべり少し疲れた様子でぼんやりとしていた。
俺も袴姿のまま、遙の隣りに寝そべって、遙の頬をそっと撫でた。
7年前からほっそりしていたが、今は健康的にほっそりしているというよりも、何だかやつれていると言った方が的確だ。
やはり、何か食べないと、このまま儚く消えてしまいそうで不安になる。

「遙、疲れたか?顔色が悪い。大丈夫か?」
「うん…。ちょっと疲れただけ。ダメだな…。思ったより体力落ちてるみたい。ここの所、あまり運動してない上に食欲もないし、眠りが浅かったから」
「そうか…。こんなにやつれちまって、本気で心配だ。何か食べた方がいいんじゃねぇか?」
「うん…。でも、食欲がなくて…」
「じゃあ、菓子を用意させる。それなら食べれるだろ?それから、栄養剤を飲んでおけ」
「分かった。あれなら飲めるし、お菓子なら食べれる。お抹茶と一緒に食べたいな」
「OK. すぐに用意させる」
「佐助も一緒がいいな。お抹茶飲んだ事ないみたいだし。あれだけ手伝ってくれたからいいでしょう?」
「仕方ねぇな。まぁ、いいだろう。おい、小十郎!」
「はっ!」
「猿飛を呼んで来い。それから、水差しを変えてくれ。茶を立てる」
「承知。おい!誰か猿飛を呼んで来やがれ!それから、政宗様のお部屋に水差しだ!」
「はいっ!小十郎様!行って来るッス!!」

ドタバタと部下が走っていく足音を聞きながら、俺はまた遙を見つめた。
やはり、笑顔がようやく戻ったものの、真田幸村から受けた心の傷は相当深く、いまだ食欲が戻らないほどに傷付いている。
遙の言う栄養剤がどこまで効く物なのかも俺にはよく分からない。
このまま儚くなってしまったらと思うと、ゾッとするどころの話ではない。
俺は、生き甲斐を永遠に失ってしまう。

「なぁ、遙。お前の飲んでる栄養剤について、もっと詳しく教えてくれ。お前、本当にあれだけで生きて行けるのか?不安で堪らねぇよ。人間は簡単には飢え死にはしねぇ。でも、この状態がずっと続いたら、お前が儚くなっちまうんじゃないかって…!お前を失ったら、俺は、俺は…!!」

遙を永遠に失ってしまうかも知れないと本気で心配したら、悲しくて堪らなくて、涙まで溢れて来た。
遙は驚いたように目を瞠った後、俺を抱き締めて、優しく髪を撫でながら、俺の耳元で囁いた。

「政宗、泣かないで。大丈夫だから。大丈夫だから泣かないで…」
「でもっ、でもっ…!!」
「本当に大丈夫だから。あの栄養剤はね、病気が酷く重くなって食事が出来なくなった患者さんに使うものなの。口から受け付けない患者さんには、胃に直接穴を開けて、管から注入するの。それこそ何年もそれでだけで生きてる患者さんにはたくさんいるよ。この栄養剤は、腸で吸収されるから、私が吐く前にはもう腸で吸収が始まってるから、栄養が全然摂れてない訳じゃないの。だから、重湯よりも栄養剤の方が、今の私には合ってるんだよ」
「そうなのか…?」
「うん、そうだよ。だから、泣かないで…」

遙は親指でそっと俺の涙を拭って優しく微笑んだ。
俺はやっと安心して、遙を抱き締めた。

「ずっと心配だった。お前を失ったらって思ったら、俺も生きて行けないと思った。I need you so bad, 遙。お前は、俺の全てだ。こうして再会出来たのにお前を失ったら、俺は本当に生きて行けない」
「政宗、大丈夫だよ。これからはずっと、政宗と一緒だよ。一緒に年を取って行ってね、お互いおじいちゃんおばあちゃんになってね、最期に寿命が尽きるまで、ずっとずっと一緒だよ」
「寿命が尽きるまで、か…」
「私がおばあちゃんになっても、政宗には手を繋いでて欲しいな。最期の時まで、ずっとずっと、今みたいに、ラブラブの夫婦でいたいなぁ」
「そうだな。俺の恋心は、きっと永遠に冷めないだろうな。Eternal Flameだからな。あの日、神の前で誓った通り、お前を一生離さねぇよ」

それから、俺達は何度も優しいキスを飽きる事なく繰り返した。
遙が愛しくてたまらない。
俺の不安もようやく消えた。
後は、右目の娘の治療と、真田幸村への制裁を終えたら江戸に引き上げて、ゆっくりと遙といつまでも気だるい優しい時間を過ごしたい。

「政宗様、猿飛が参りました。茶の仕度も整っております」

俺は、名残惜しくてもう一度だけ遙にキスをすると、遙を抱き起こして返事をした。

「小十郎、分かった。入れ」
「はっ!」

小十郎は猿飛と焔を伴って部屋に入った。

「政宗殿、ゴメンねー。焔も呼んじゃった」
「構わねぇよ。さっきは見事だったぜ。くノ一達はどうした?」
「温泉が美人湯だって喜んじゃってさ、お茶は堅苦しいから嫌だって、若草と一緒に温泉に行ってるよ」
「クッ、そうか、ならいい。あいつらの働きも見事だったから、茶くらい振舞っても良かったが、温泉か。疱瘡の治療に尽力してくれた上に、報復まで手伝ってくれるんだ。好きなだけゆっくりすればいい」
「流石、政宗殿、天下人だね!あの子達も聞いたらきっと喜ぶと思うなー。あの子達のために、普通のお茶とお菓子を湯上がりに用意してもらってもいい?」
「ああ、構わねぇよ。好きなものを頼んでいい」
「マジで?ありがとー!んじゃ、後で仲居さんに頼んでおこうっと。ねぇ、遙?疲れてる所悪いんだけどさ、お茶の前に右目のあの子の薬だけお願いしてもいい?部下が外まで取りに来て待ってるんだ」
「分かった。じゃあ、カルテ貸して」
「はい、どうぞ」

遙はカルテに目を通すと、にっこりと笑った。

「浸出液はほぼなくなったね。点滴も明日の朝までで、飲み薬に変更で良さそうだよ。あの村はもう疱瘡は収束したから、小十郎も連れて行ける。他の村も疱瘡の収束宣言は明後日。この風向きが、伊達軍の進軍のルートとぶつかる可能性は?」
「ほとんどないね」
「良かった!小十郎、ちょっと右肩の予防接種の痕を見せてくれる?」
「かしこまりました」

小十郎は遙の前に控えると、右肩をさらけ出した。
そこには、赤い疱瘡によく似た発疹が一つ出来ていた。

「うん、予防接種は成功。仮に疱瘡患者のそばに行っても、今の小十郎なら発症の可能性はかなり低いから大丈夫。本当はあと3日ほど待った方が確実なんだけど、村の疱瘡が収束してるから、マスク…えーと、鼻と口を覆う覆面なんだけど、それさえして粉塵を吸い込まなければまず疱瘡にはかからない。明日の昼頃、あの子に義眼を入れに行きたいんだけどいいかな?」
「政宗様、いかが致しましょう?」

小十郎は、着物の袖を直して俺に向き直ると尋ねた。
俺も遙の治療に興味があるし、あの娘が遙を恋しがっているかも知れない。

「Okay。 明日、あの村へ行こう。連れて行くのはお前が予防接種をした精鋭部隊と猿飛と焔だな。くノ一達はまだここでゆっくりしていればいい」
「んじゃあ、若草だけは連れて行くよ。あの子は薬師だから」
「それはお前に任せる。好きにしろ」
「ありがとね!それにしても、俺もようやくホッとしたよ。あの子の義眼、楽しみだな。あ、遙に返しておくね、義眼と麻酔薬」

猿飛は懐からビニール袋を取り出して、遙に手渡した。

「佐助、ありがとう。私も最後くらいはこの手でまたあの子の治療が出来て嬉しいよ。きっと後悔してたと思うから。じゃあ、今から薬の準備をするね」

遙はいつもの点滴を用意すると、猿飛に手渡した。

「焔、悪いけど、紫苑に渡してすぐ戻って来て」
「かしこまりました」

焔は、風呂敷で点滴を包むと、部屋を出て行った。

「猿飛、どうする?茶は焔を待つか?」
「いや、鉄瓶でお湯沸かすんでしょ?その間に戻って来るから始めちゃっていいよ」
「分かった。じゃあ、小十郎、任せた」
「承知」

小十郎は、火鉢で鉄瓶の湯を沸かし始めた。
その間に、茶の道具を仕込んでいく。
焔は、湯が沸く前に戻って来た。

「政宗様、茶はいかが致しましょう?」
「猿飛への礼だ。俺が立てる」
「はっ!」

俺は帛紗を帯に仕込むと、茶道具の前へ座った。
遙は、猿飛の隣へと移動し、小十郎は皆の前に菓子を振舞った。
猿飛は、興味津々に茶道具を眺め、茶菓子をいつ食べればいいのか困ってる様子で笑ってしまった。

「猿飛、そんな困った顔すんな。遙の見よう見真似でいい。略式だしな」
「でもさぁ、政宗殿がきちっとしてるから、俺、何か緊張…。暴走族の筆頭に全然見えない。遙が政宗殿のお茶にすごく憧れてたけど、何かそれがよーく分かったよ」
「そうか?」

丁度、そろそろ湯が沸く頃合いで俺は点前を始めた。
何も難しい事は考えず、流れるような動作で茶を振る舞うと、猿飛は感嘆の吐息を漏らした。

「はぁ…男の俺でもカッコいいって思うんだから、遙が惚れるのは無理もないよねぇ。本当に、政宗殿のお点前って綺麗だね」

遙の見よう見真似で菓子を食べて茶を飲み、猿飛は幸せそうに溜息を吐いた。

「お茶も美味い!ほんのりと甘いのに絶妙な渋さがたまんないね!遙がお抹茶飲みたがってたのも分かるなぁ」

猿飛は、茶碗を回して、そして焔に手渡してまたにこにこと笑った。

「気に入ってもらえて良かったぜ。遙が茶菓子なら食べられるって言うから、せっかくだからお前も呼んだんだ」

小十郎から茶碗を受け取り、道具を清めて点前を終わらせると、猿飛はまた感嘆の吐息を漏らした。

「はぁ、カッコいい…。でも、もっと気軽に飲めるといいのにねー。このお茶、すんごい美味しいんだもん」
「そうか?じゃあ、適当に立ててやるから、もう一杯飲むか?」
「えっ!?いいの!?」
「政宗、私も欲しいなぁ」
「OK. すぐに立ててやるから、待ってろ」
「政宗殿、ありがとー!」

猿飛は本当に嬉しそうに、にこにこと笑った。
小十郎は、笑いをかみ殺している。
こんなにぺらぺらと話す茶会なんて、利休が見たら文句たらたらだ。

「気軽なお茶もまたよろしいでしょう。それにしても、遙様の銃の腕前には、この小十郎、感服致しました。武士にとって刀は命そのもの。それを女に折られるとあらば、真田幸村にとっては屈辱的でしょう。よく練られた策でございます。猿飛の術もすごかったぜ」
「そう?小十郎、ありがとう!佐助の術のおかげで、本番の雰囲気分かったから、余計に上手く行ったね!」
「俺の方がびっくり。姫様にはあんなえげつない事までするなんてさ、打ち合わせでは聞いてたけど、実際にやったら、流石の姫様も卒倒しちゃうね!」
「卒倒してくれないと、予防接種出来ないから好都合だよ、佐助」
「遙様も心理戦がお得意なのですね。この焔も、遙様の策は誠にお見事としか言いようがありません。間違いなく、姫様は予防接種を受け入れるでしょう。そして、真田幸村も屈辱を味わうでしょう」
「そう?なら良かった」

茶を立てながら俺は皆の話を聞いていた。
正に俺が言いたかった事、そのものだ。
姫には俺も腹を立てていたから、あれ位が丁度いい。
マジで遙は出来る女だ。

また茶を振る舞うと、猿飛は満足したのか、丁重に礼を言って下がり、小十郎もまた部屋の外に控えた。

俺と遙は、また布団の上で抱き合い、思い出話に花を咲かせながら、愛の言葉を囁き、キスを繰り返した。
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