遙は、疲れたのか、夢も見ずに眠ったようで、初めてうなされる事なく朝まで眠った。
ただ、食事だけはまだ受け付けないようで、今朝も何か薬を飲みながら、栄養剤を飲んでいた。
栄養剤については、遙の説明を聞いて以来、心配する事を止めた。
このまま、よく眠れるようになれば、きっと自ずと食欲も戻って来るだろう。
とにかく、今日は右目の娘の治療をして、余力があったらまた予行演習だ。
遙の琴と小十郎の笛を聴くのもまた一興だ。
朝餉の後、少しだけ遙とまた抱き合い、優しいキスを交わすと、俺たちはそれぞれ着替えた。
俺は鎧姿に、遙は昨日と同じ医者の格好をして、護身用に銃を装備した。
「政宗様、出立の準備が整いました。焔と若草だけ先に村へ向かいました。政宗様をお出迎えする指揮を取るとの事。猿飛は、空から護衛につきます」
「I see. 遙、お前は一人で馬に乗るか?」
「うん。政宗の両手が空いてた方が、何かあった時に助かるでしょう?」
「まぁな。それにしても、馬まで乗るとはな」
「だって、政宗が帰った後、淋しくて、政宗が見てる景色が見たくて乗馬の練習をしたの。政宗が言ってた通り、馬に乗るの、気持ち良かったし、政宗が懐かしかったよ」
「ったく、お前はまた俺を喜ばせやがって。本当に可愛くていじらしい女だ」
遙の唇に数回キスをすると、部屋の外の小十郎に声をかけた。
「聞いての通りだ。遙の馬は?」
「よく人に慣れた馬をご用意してあります。遙様のおっしゃる通り、政宗様の御身を危険に曝す訳には参りませぬゆえ」
「Okay。じゃあ、さっさと馬を飛ばして行くか!俺も悲願だった義眼をこの目で見てぇからな。遙、行くぞ」
「うん!」
遙はバッグを持ち、俺の後に続いて外に出た。
そして、遙のバッグは部下に持たせ、小十郎をはじめとする部下達全員にマスクを着けさせ、俺たちはあの村へ爆走した。
遙が遅れないか心配したけれど、俺の隣りを全く遅れる事なく、馬を走らせていて、また俺は驚かされた。
村へ着くと、村人達が広場へ集まっていて、俺の姿を見て平伏しようとするのを俺は止めた。
「ただのお忍びだ。堅苦しいのはよせ。早速あの娘の治療に当たる」
俺が馬を降りて、遙を馬から抱き降ろすと、右目を失った娘が駆け寄って来て、遙に抱き付いた。
「うぁああん、先生、会いたかったよう!もう会えないかと思っちゃったよう!」
「ゴメンね、心配かけて。ちゃんと治すって約束したからね」
「まぁっ、先生っ!その包帯どうしたんだい!?怪我でもしたのかい!?」
その瞬間、遙はさっと青褪めて、かたかたと震え出した。
すかさず猿飛が間に入り、娘の母親を宥めた。
「あの日、政宗様が遙を迎えに来た時、遙は村の奥で賊に襲われたんだ。部下が救出したけど、遙は怪我を負わされてしまって、今まで治療に専念していたんだ」
「村の奥に賊が!?まぁっ!!みんな、気を付けなきゃね!!」
「大丈夫。多分、遙を攫いに来たんだ。甲斐じゃ遙は高名な医者だからね。高値で他の大名に売るつもりだったんだと思うよ。その前に、政宗様に遙をお返し出来たからもう大丈夫。流石に天下人には誰も手を出せないからね」
「そうかい。先生も災難だったね。政宗様の下に戻れて本当に良かった…って、先生っ!?あんた、結婚してるって言ってたけど、もしかして、まさか、まさか…!!先生のご主人って、ままま政宗様の事だったのかい!?」
おずおずと遙が頷くと、母親はへなへなと地面に座り込んだ。
「立ち居振る舞いは綺麗だし、宝石なんてついてる指輪をしてるし、只者じゃないとは思ってたけど、どっかの大店のお嬢さんかと思ってたけど、まさか、まさか政宗様のお嫁さんだったなんて…!!あの天下人の政宗様の奥様だなんて…!!」
「あんた、それはまだ口外無用だ。俺と遙が二人きりで祝言を挙げたのは、7年前だ。その後生き別れちまったんだ。だから、俺の妻が遙だって誰も知らねぇ。信玄にだけは数日前に伝えたけどな。でも、まだ秘密だ。遙が俺の婚儀騒動に巻き込まれたら、また危険な目に遭うかも知れねぇ。遙を守るためだ、いいな?」
母親は大きく頷いた。
「先生はみんなの恩人だからね!先生を守るためだったら、誰に聞かれても白を切るよ。みんな、いいね?」
「おう、ガッテンだ!」
村人達も大きく頷いた。
遙に抱き付いたままの娘をそっと遙は引き離し、そして娘と手を繋いだ。
遙は、猿飛の嘘にホッとしたのかようやく震えも止まり、にっこりと微笑んだ。
「約束してたからね。綺麗なお目々入れようね。もう、傷は痛くない?」
「うん!ちょこっとだけまだ痛いけど大丈夫だもん!お水も出なくなったもん!」
「そう。じゃあ、先生がもう一度確認するから、それからお目々を入れようね」
「うん!」
遙の笑顔も話し方もとても優しくて、とても心が温まる。
だからこそ、遙は甲斐で皆に慕われ、生き延びて来られたに違いない。
俺は改めて遙に惚れ直した。
「小十郎、遙のバッグを持て。俺も遙の治療が見たい。俺の悲願だった義眼だ。興味がある」
「そうですね、かしこまりました」
それを聞いた、娘の母親は目を見開いて驚いた。
「まぁっ!政宗様があんなあばら屋に!?いえいえ、とんでもない!」
「なぁ、母上殿。俺は遙のそばを離れたくねぇんだ。荒屋だろうが何だろうが俺には関係ねぇな。いいな?」
「そうよねぇ…。生き別れちまった奥さんから離れたくないのはしょうがないものね。分かったよ。政宗様もおいで下さいな」
「OK. 小十郎、猿飛、行くぞ。お前ぇらは、村の周囲の守りを固めろ。猿飛の部下達もな」
「はっ!」
「分かりました、筆頭!!」
「うん、政宗様、行こうか。みんな、守りは頼んだよ」
「御意」
皆が守備に着くのを確認しながら、俺たちは娘の家へ向かった。
部屋に入ると若草がそこに控えていた。
遙は小十郎からバッグを受け取り、娘の眼帯を外して診察を始めた。
娘の右目には、白い義眼が入っていて、小さな穴が空いていた。
遙は娘を俯かせ、ガラスの器を受け皿にして何かを確認した。
「もう黄色いお水は出ないね。これは涙だから大丈夫。手術は成功だね。じゃあ、体温と血圧測ろっか」
遙は、娘の腕に太い帯を巻いて、体温計を脇に挟ませた。
しばらくして、ピピっと電子音が鳴り、遙は数字を確認した。
「お熱も下がったし、血圧も異常なし。じゃあ、お目々を入れようか」
「わぁい!楽しみだなぁ!」
娘は嬉しそうにはしゃいだ。
遙もにっこりと笑い、猿飛を振り返った。
「佐助、ここからライト当ててくれる?左目の色をもう一度よく確認するから」
遙はバッグの中から数種類の義眼を取り出した。
貝殻のような形の、光沢のあるプラスチックのような素材に綺麗な瞳が描かれている。
俺も小十郎も、思わず感嘆の声を漏らした。
まるで本物の瞳のようだ。
そして、自然に見えるように細い血管まで描いてある。
遙は、娘の目の色を見ながら慎重に義眼を選び、俺の目から見ても、瞳の大きさも色も全く同じ義眼を選んだ。
「佐助、ここからは短時間の全身麻酔。この間と同じように手術の準備ね。若草ちゃんも助手に回ってくれる?」
「はい!」
「了解。若草、この間の手術の準備は覚えてる?」
「はい、佐助様」
「若草ちゃんは、本当に記憶力がいいね。じゃあ、道具を出すから並べておいて。そこからは私がするから」
遙は、道具を次々にバッグから出すと、それを若草が消毒しながら、並べて行った。
「佐助、私達は着替えと手の洗浄ね。うーん、政宗、小十郎?生々しい手術だけど見たい?」
「もちろんでございます。政宗様の右目を切り取ったのは、この小十郎でございます。遙様の治療を是非見せて頂きたいと存じます」
「俺も見てぇな。この娘が治る瞬間を見届けたい」
「分かった。じゃあ、そのままそこにいて。籠手と兜を外して、手指を若草ちゃんに消毒してもらってね。じゃあ行って来る」
遙は、着替えと何かの道具を持って部屋を出て行って、しばらくすると水色の割烹着を着て戻って来た。
その間に、若草は俺たちの手を消毒した。
そして、遙は若草が並べておいた機械を手早く操作して、娘にプラスチックのマスクを被せてまた機械の波形と数字を確認して、点滴を始めて、また器具や手袋を消毒した。
遙はにっこりと微笑み、娘の顔を覗き込んだ。
「またねんねしてる間に終わるからね」
「うん!またちくっとするの?」
「そうだよ。先生と十まで数えようね」
「うん!」
遙は注射器を持ち、娘の上腕をゴムチューブで縛って血管の上を消毒すると、注射針を腕に刺し、器用にまたゴムチューブを外した。
「痛かった?」
「大丈夫だもん!」
「そう、いい子だね。じゃあ十まで一緒に数えようね。せーの、一、二、三、四…」
猿飛が言ってた通り、娘は三まで言い終わらないうちに深い眠りに落ちて行った。
隣りで小十郎が驚きに目を瞠っている。
遙はまた手袋を消毒した。
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