右目の涙 -4-

「それでは、術後の経過を観察してから、義眼を入れます。若草ちゃん、明かりで照らしてて」
「はい」

若草が明かりで照らすと、遙は器具を使って目蓋をこじ開け、その器具を猿飛に固定させたまま、白い義眼を取り払った。
その下の窪みを見て、俺は息を呑んだ。
普通の女なら卒倒しちまうような、生々しい手術の痕だ。
遙はそれをやってのけたんだと思うと、何だか感動で胸が熱くなる。

「若草ちゃん、ライト貸して」
「はい」

遙は、ライトで右目の虚ろな空洞を隈なく照らして中を確認していた。

「遙様、この小十郎も見てもよろしいでしょうか?」
「俺も見てぇな」
「うん、少しだけなら」

俺と小十郎は、右目の手術の痕を眺めた。
全ての血管が糸で止血されていて、膿んでもいない。
とても綺麗なピンク色をしていた。
小十郎は感嘆の声を上げた。

「これは…!!遙様が治療なさったのですか?」
「うん」
「抜糸などはいかがなさるのですか?」
「その糸は溶けてなくなるから、抜糸は要らないの」
「何と…!!…誠、お見事としか言いようがありません。この小十郎、政宗様にお辛い思いをさせてしまい、申し訳ない思いでいっぱいです。あの時、政宗様にこのような処置をこの小十郎が出来ていたらと思うと、悔やまれてなりません!!」
「小十郎、仕方がないよ。小十郎は最善の手を尽くしたと私は思ってるよ。政宗の傷痕、とても綺麗にふさがってた。未来の技術だから、ここまでの治療が出来るだけ。小十郎は何も悪くないよ。そのまま右目が壊死を起こしたら、全身が細菌感染を起こして政宗は死んでいたかも知れない。私は小十郎に感謝してるよ」

その瞬間、小十郎は目頭を押さえてぽろぽろと涙を流し、後ろへ下がった。
そして、声を殺して泣いていた。

「遙様のそのお言葉、どれだけこの小十郎の救いになった事か…!!クッ……」

俺も小十郎の隣りに座り込み、その肩をぽんぽんと叩いた。

「小十郎、お前は本当によくやってくれた。遙の言う通りだ。俺はお前に救われた。そして、俺の心は遙が救ってくれた。この娘の治療が成功したら、俺は右目の呪縛から解き放たれるような気がする。だから、最後まで見届けようぜ」
「はい、政宗様っ!!」

小十郎は、まだ涙ぐみながらも遙の処置をじっと見つめていた。
遙はライトを若草に手渡し、義眼を消毒すると、慎重にそれを右目に入れて、目蓋をこじ開けていた器具を取り外した。
そして、何度か手で目蓋を開けて、義眼の見栄えを確認している様子だった。
やがて、遙は安堵の溜息を吐いた。

「処置は全て終わりました。バイタルの確認はこのままで、点滴は全て外します」

遙は点滴を止め、針を娘の両腕から引き抜くと、またじっと機械の数字を確認して、時計を見た。

「あと20分以内には目が覚めると思う。佐助、若草ちゃん、補助ありがとう。お疲れ様でした。佐助、もう着替えていいよ」
「了解。何か生々しい義眼だったけど、実際目の中に入るとどういう見栄えなのか楽しみだね」
「生々しいから、本物にそっくりなんだよ。多分、予想では左右ほぼ同じ目の色で間違いないから」

遙は疲れたように溜息を吐いた。

「遙、疲れたか?」
「うん、少しね。やっぱり床の上だと姿勢が辛くて」
「そうか。少し外に出て休んだらどうだ?猿飛に10分くらいは任せても大丈夫か?」

遙は機械の波形を見つめて頷いた。

「そうだね。タバコが吸いたいかも。やっぱり疲れてるのかな」
「あれだけ馬を飛ばした後に治療をしたんだ。疲れても仕方ねぇよ。猿飛、席を外してもいいか?」
「うん、いいよ。何か異常があったらすぐに呼びに行くからさ」
「Thanks. さあ、遙、行こうぜ」
「うん」

遙は水色の割烹着を脱いで帽子とマスクを外すと、居間で念仏を唱えていた両親に挨拶をして、俺と小十郎と共に家の外へ出た。

水色の秋空が広がっていて、柔らかな陽射しとそよ風の中、遙は伸びをして、そしてぐったりしたように丸太で誂えた腰掛けに座ってまた溜息を吐いた。
俺は遙の隣りに座り、懐からタバコを取り出して遙に咥えさせた。
そして、ライターで火を点けてやると、遙はようやくホッとしたようにタバコの煙を吸い込み、青空に向かってゆっくりと煙を吐いた。
俺もタバコに火を点けて、ゆっくりとふかし始めた。

「後は、麻酔が切れるまでが勝負だな。子どもだから余計に心配」
「処置は上手く行ったじゃねぇか」
「うん…。でも、麻酔って本当に危険な薬だから、患者さんが目覚めるまでは、いつも気が抜けないの」
「そうか…」

そう呟く遙の横顔は厳しく大人びた表情で、俺たちを別っていた時の長さを改めて実感した。
でも、その間に遙はこんなにも成長した。
俺も天下を統一した。
俺たちの出会いも、別れも、再会も、全て必然だったように思えるほどだ。

そして、あの娘が目覚めた時、俺は右目の呪縛からきっと解き放たれる…。

遙は疲れたように、俺にしなだれかかり、ゆっくりとタバコを吸っていた。
その時、焔が茶を盆に乗せて現れ、遙をねぎらってまた守備に戻って行った。

俺も遙も、しばらく無言で茶を啜りながら次のタバコに火を点けて、また遙の肩を抱き寄せた。
小十郎も厳しい表情で、猿飛が呼びに来ないか不安そうに、あの娘の家を見つめていた。

タバコを二本吸って、茶を飲み干すと、遙は時計を見て立ち上がった。

「政宗、小十郎、行こう。あと少しであの子の麻酔が切れるから」
「Okay。小十郎、行くぞ」
「はっ!」

娘の寝ている部屋に真っ直ぐ向かうと、まだ娘は穏やかな寝息を立てて眠っていた。
規則正しい電子音が静かな部屋に鳴り響いている。
俺たちは、ただ無言で娘を見つめていた。
遙は時折、機械に目を遣り、また娘を見つめていた。

やがて、5分ほど経った頃、娘が微かに瞬きをした。
遙は娘のプラスチックのマスクを外して、じっと娘の目の動きを見つめた。
俺も息を殺して、祈るようにその目が開くのを待った。

何度か小さく瞬きをすると、娘はゆっくりと目を開けた。
その瞬間、熱いものが胸の奥から込み上げて、俺は口許を覆った。
堪えきれない涙が次々に頬を伝っていく。

何という事だろう…。
そこには、俺の夢、理想、願望そのものがあった。
娘は、完全に右目を取り戻していた。
例え、それが仮初めのものだったとしても、俺が欲しくて欲しくて堪らなかった、右目がそこにはあった。

小十郎も堪えきれずに嗚咽を漏らし、涙を流していた。

「政宗様っ!!」
「何も言うな、小十郎っ!分かってる」
「はっ!…クッ…何という事だ…右目が…右目が…!!」

遙も薄っすらと涙を浮かべて、それをすぐに拭うと、にっこりと笑い、娘の顔を覗き込んだ。

「気分は悪くない?お目々は痛くない?」
「大丈夫!ちょっとじんじんするかなぁ」
「どこかに当たってすごく痛い所はない?」
「大丈夫!白いお目々の時と同んなじ!最初はじんじんしたけど慣れちゃったもん!」
「そう、良かった!佐助、この子のご両親呼んで来て」
「分かった」

猿飛は静かに部屋を出て行き、娘の両親を連れて来た。
娘はゆっくりと起き上がり、母親の姿を見ると満面の笑みを浮かべた。
その笑みすら、何の違和感もない。
まるで、右目はそのまま健在なのではないかと思うほどに自然な笑みだった。
母親は、口許を押さえて泣き崩れ、娘を抱き締めて声を上げて泣いた。

「先生っ!!…っ本当にありがとう!!ありがとうございます!!…っううっ、こんなに綺麗に治るなんて、夢にも思わなかったよ!!ああっ、本当に良かった!!」

父親も後ろで男泣きに泣いていた。
俺も涙が止まらない。
涙と共に、またほろ苦い思い出が全て洗い流されていくような気がしていた。

「お母さん、苦しいよう!私もお目々見たいよう!」

遙は涙を浮かべて微笑みながら、そっと娘から母親を引き離し、ポケットから手鏡を出して娘に鏡を手渡した。
娘は興味津々に鏡を覗き込み、歓声を上げた。

「わぁい!!お目々だ!!前と全然変わらないお目々だ!!わぁい、わぁい!!」

娘は大はしゃぎをして、立ち上がり、遙に鏡を返すとぴょんぴょんと飛び跳ねて大喜びをした。
さっきまで気を失っていたとは思えないほど元気で、俺は本当に驚いた。
麻酔がこんなにすごい薬だなんて、この目で見るまで理解していなかった。
小十郎も目を瞠った後、また声を殺して涙を流した。

「ほらほら、まだお薬が完全に抜けてないから暴れちゃダメだよ?」
「えー?みんなに見せたいよー」
「明日ならいいよ。でも、今日はお家でねんねしててね。佐助、誰かに厳しく見張らせて」
「了解!若草、いつもの付き人に遙の言付けよろしく。遙、薬は?」
「今から処方する。若草ちゃんは、言付けの前に機材の洗浄お願いね」
「はい!」

遙は、薬の処方を始め、若草と猿飛は手際よく機材の洗浄と片付けを始めた。

俺は、はしゃぐ娘を引き寄せて抱き締めた。

「お前の顔、もっとよく見せてくれ」
「うん、いいよ!」

娘は嬉しくて堪らないというように、満面の笑みで俺を見つめた。
本当に完璧な右目だ。
娘がちらりと小十郎を見遣ると右目も僅かに動く。
見た目には本当に分からないほど精巧な義眼だ。

「お前っ!本当に良かったなっ!」
「うん!…お侍さんのお目々も治らないのかなぁ…?」

その瞬間、遙の表情が凍り付き、俺は首を横に振った。

「俺はいいんだ。遙が今の俺を愛してくれてるから、それでいいんだ。それに、お前が俺の夢を叶えてくれた。遙にもらった右目、大事にしろよ?」
「うん!」
「政宗様…っ…ううっ…!!」
「私、遙先生みたいなお医者さんになりたいなぁ。みんなの病気を治したいなぁ」
「ふふっ、政宗様にお願いしてごらん。大きくなったら江戸においで。私が鍛えてあげるから」
「本当?」

娘はひたむきな瞳で俺を見上げた。
ああ、本当に澄み切った、綺麗な右目だ…。

「ねぇ、政宗様。私、お医者さんになりたいよう!遙先生みたいになりたいなぁ」
「そうだな。母上の手伝いをきっちりして、器用になれ。あとは記憶力だな。色んな事をたくさん覚えて忘れないようになれ。手先の器用な大人になったら、江戸に来い。そうしたら、お前を医者に鍛え上げてやる」
「わぁい、ありがとう!」
「遙の言う事をよく聞いて、今日は絶対によく休むんだぞ?約束を破ったら、医者にはさせねぇからな?」
「うん!約束する!ねんねする!」

娘は俺の腕の中から抜け出し、いそいそと布団に潜り込んで、嬉しそうににこにこと笑っていた。
遙は、涙を堪えるように口許を押さえ、そして無理矢理に笑みを浮かべた。

「それでは、私たちは失礼致します。佐助、後は頼んでいい?」
「了解!」

猿飛は全て分かっているというように頷いた。
遙は、立ち上がり、振り返らないまま急ぎ足に家を出て行った。
その後を俺も大股に追いかけて外に出た。

遙は村はずれまで小走りに走ると、振り返り、俺に抱き付いて嗚咽を漏らしながら、ただただ泣き始めた。
俺も遙を抱き締めて、髪の毛に顔を埋めて涙を流した。

「政宗っ!やっと…やっと助けられたよっ…ううっ…でもっ、政宗の目を治せなくてゴメンっ…ひっく…どうしても無理なの…」
「俺の事はいいっ!お前は、よくやった。お前は本当によくやった…!」
「遙様っ…!政宗様っ…!」

小十郎も感極まったように、ぽろぽろと涙を流していた。
遙としばらくただただ抱き合って、涙が枯れるまで泣いた後、見上げた空は、どこまでも青く、今までで一番美しい秋空だった。


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